storm

@hitori_mitiwa

第一章 butterfly effect

第1話 butterfly effect 1

 人をバラして焼いて食べた。それは僕の友達だった。


僕の口の中に広がっていく脂肪の甘味、香り、舌の上に乗った久々の重み。

漏れ出た脂を吸い上げ舐めとる僕の舌は止まらなかった。

歯先が肉を切り崩す。

犬歯がそれを噛みちぎる。

奥歯で肉を咀嚼して、液体になった肉が喉に流れ込んでいく。

何日振りの食事だろう、何ヶ月振りの肉だろう。

暗くて寒い森の中で、僕らは怯えた動物みたいに身を寄せあって彼を食べた。

頬のこけてきたルルワは少しそれを食べて、それから泣いた。

僕はルルワの肩を抱いて彼女の髪を指で撫で続けた。


 この国が内戦を始めて一年になる。


何がきっかけだったかはよく知らない。

僕はその時十歳だったし、妹のエタナはまだ七歳だった。

街の中心に湧いている大きな泉、葬送の泉から離れて五キロぐらいの丘の上で、僕達は果樹園を営んで生活してた。

葬送の泉に湧く神水にも劣らない清らかな水が果樹園のそばに湧き出ていて、その水で育てた果物は甘くて大きくてとても美味しかった。

果樹園は父さんの自慢だった。

僕は街の学校まで歩いて行って、イムワットの聖句とこの国の歴史を学んだ帰りに、父さんの果樹園へ駆け込んだものだ。

籠一杯に収穫されたオレンジ色の果物が、荷馬車の中に更に三つも四つも積まれてあって、僕は荷馬車に揺られながらその中の一つをよく拝借して食べていた。

疲れた体に酸味が染み込んで、甘い果汁が喉を潤す。

そんな僕を振り返りながら、優しい父さんはよく呆れた顔をして笑っていたっけ。

西陽は柔らかく緩やかに僕らを照らし、籠を運んだ僕の腕についた小さな傷を隠してくれていた。

学校は楽しかったし、不満はなかった。

明日も学校へ行って、それから果樹園へ行って、父さんの手伝いをして家へ帰る。

ずっとそう言う日が続くのだと思っていた。


 けど、いつからだろう、こんなに優しかった父さんが声を荒げて知らない人の名前を口汚く罵り始めた。

アーシファの考えは間違っている、民の事を何一つ考えていない。

僕達はアーシファという人のことを知らなかった。

それがこのコヌヒーという砂漠の国の王様である事をその時やっと知ったぐらいだ。

王様は偉いものじゃないか、と僕は思う。

でも普段温厚な父さんが見たこともないほど怒っているのを見て、僕もいつしかアーシファは悪い奴なんだと思うようになった。

父さんはよく言った。「現国王は、我々のイムワットを汚している」


 イムワットは僕達の神様だ。

砂漠の中に棲む巨大な虫。

けれど、僕らはイムワットに護られてこのオアシスで生活出来ている。

ずっと昔の偉大な王が、イムワットと契約を交わした。

僕達はイムワットの眷属だから、イムワットは僕達を護り、水を提供してくれる。

そんな偉大な神様を、アーシファという王様は殺して他国に売っているという。

酷い話だ、と僕も思った。

けれどそれが本当かどうか、確かめた人は誰もいない。

だって、僕らだってイムワットを見たことすらないのだから。

果物を運んでいた父さんの手が、家のテーブルに叩きつけられる回数が増えて、とうとう父さんは八月の明るい朝に、僕達を抱きしめて、涙を流して出て行った。

背中には遠い国で作られたらしい、銃という武器を担いでいた。

父さんは言った。お前たちの未来のために。

僕は父さんがいなくなることがとても辛かった。

本当は毎日、あの明るい果樹園で一緒に酸っぱい柑橘類を収穫していたかった。

でも、父さんの姿が僕の中に誇りとなったのもあの時だ。

僕は父さんの息子でよかったと思う。

でも妹のエタナにはよくわからないかも知れなかった。何故なら。


 父さんが出て行って、内戦はどんどん激しくなった。

銃声と大砲と魔法砲撃の音が街中に響き始めて、僕達の住んでいる所にも大きな火が落ちてきた。

龍騎兵が空を舞って、僕の街と家と果樹園を全て壊した。


母さんの手を引いて逃げ出した僕らの背後で、エタナは死んだ。八歳だった。


倒れてきた瓦礫の下で、エタナは真っ白になって眠っていた。

広い果樹園の樹が燃え尽きて、炭になって、家を燃やしていた火が収まって、やっと僕達はエタナを見つけた。

掘り起こした時には、体の下半分が無くて、右腕は炭になっていた。

手伝ってくれた人達から、顔が綺麗でよかった、と言われたけど、僕には納得できなかった。

死んでしまったのに、いいも悪いもあるもんか。

でも、僕の腕に抱かれたエタナの小さな体は、苦しそうではなくて、なんだか眠っている様にも見えて、それだけは僕達、母さんと僕だけになってしまった家族にとっては救いになった。

僕達は小さなエタナの、さらに小さくなってしまった体を花で包んで、葬送の泉に赴いた。

死者はこの泉に沈められる。

清らかなのはイムワットのおかげ、イムワットが水を澄ませ、死者の肉体を水の底の安らかな国へ連れて行ってくれる。

けど、エタナは安らかな国に行けたのかどうか、僕にはもうわからない。

なぜなら、僕達が葬送の泉に着いた時、そこには腐り始めた遺体が山のように積み上げられていたからだ。

羽虫がブンブンと音をたて、遺体の下で潰れ切った誰かの脳髄に卵を産みつけていた。

死体の山から漏れ出た体液が、泉の水を茶色に変えている。

泉を覆っていた神聖な柱は全て崩れ、屋根の一部が泉の中に沈み込んでいた。

内戦が始まる前、深い青に沈む葬送の泉の周りには、黄色い花が咲き乱れていた。

今はそれももうない。

僕らの目に映る色は人の油と血液で茶色に汚れた泉だけだった。

胸が張り裂けそうなほど辛かったけど、僕達には何も出来なかった。

だから僕達は、せめてエタナが虫に食われないように、動物たちに食われないように、泉の端にエタナを隠した。

イムワットがそれに気づくことを祈りながら。


 そして僕達は逃げた。だけど遠くには行けなかった。

僕達には砂漠を渡る体力も無かったし、食糧も水もなかった。

何より、この国の外壁から一歩でも外に出たなら、僕達はイムワットやその他未知の怪物たちの餌食になる。

お金持ちなら傭兵、或いはギルド依頼で護衛をつけて街の外に出られるけども、僕達にそんなお金はなかった。

頼れるのは父さんが所属しているだろうレジスタンス軍だけだったけど、断られた。

父さんは既に死んでいた。

僕を見下げたのはスキンヘッドの怖い顔をした、ヨーセフという男だった。

体がどこもかしこも大きくて、両手に棍棒みたいな大きな鉄の銃を抱えていた。

ヨーセフは僕と母さんをチラリと見て、ぞっとするような冷たい声と目で言った。

「俺たちには荷物を背負う余裕はない」

 母さんの事だろうとすぐに理解した。

エタナが死んでしまって、母さんは少しおかしくなった。

眠らないし、突然泣き始めるし、一日中イムワットの聖句を唱えている。

そんな母さんを守る余裕はないって事だ。

僕は母さんの手を引いて、レジスタンス軍のアジトを去った。

でも、いくところなんてない。

銃声の少ない方、少しでも暗い所へ僕達は逃げた。

溝の中や、泥の中を転げ回って逃げた。

そして、僕達はやっとハーディ達に出会った。


 街の中心部から見て東の方角、その森の中でハーディはみんなにスープを配っていた。

飢えて動けなくなって、座り込んでいる僕と母さんをハーディが見つけて、すぐに保護をしてくれた。

頭は朦朧としているのに、意識だけがギラギラしてて、僕はハーディとその仲間達に抱えられながら、彼の太い腕にくっついていた赤い蝶の紋章が上下に揺れて羽ばたいているのを眺めていた。

与えられたスープを何も考えないまま飲んで、僕達は眠った。

そして目が覚めて、ハーディの名前を聞いた。

ハーディはボランティアで戦争難民を支援している、と言っていた。

ハーディは深い彫りと高い鼻と、綺麗な青色の目を持ったとても美しい男だった。

黒い髪は短く綺麗に切り揃えられていて、それが顎髭と繋がっている。

背が高くて体が大きくて、小麦色の肌をしてて、そして笑顔がとても素敵な人だった。

僕達はすぐにハーディに夢中になった。

ハーディは僕達の為によく動いてくれた。

僕達を含めて避難民は12人ほどだったけれど、誰かに何かを頼まれればハーディはしっかりそれに応えてくれた。

そして、戦争が終わるまでここに居ていい、我々は中立者だから政府軍は我々を攻撃しない、とも言った。

僕達は小さなキャンプで共同生活を始めた。

僕と母さん、ハーディ、ハーディの友人ルディ、アリヤおばさんとシータ、ナディアさんと赤ちゃんのホープ、ナディアさんの旦那さんのイレ、それから男性数名、そしてルルワ。

ルルワは死にかけているところをハーディーに保護されたらしい。

僕と同じ歳なのもあって、僕達はすぐに仲良くなった。

ルルワは大きな潤んだ目をしてた。

僕の話を聞くときは僕の目をじっと見て、下唇を噛んでいた。

笑うと大きな赤い花が綻んだようだった。

ルルワのパパとママは死んだらしい。

一番上のお兄さんがレジスタンス軍にいるらしいけれど、どうなっているかはわからない、と言っていた。

僕と同じように家を焼け出された時、ルルワ達家族を守って彼女のお父さんは撃ち殺された。

お母さんと一緒に走って逃げたけど、今度は転んだ弟を庇ってお母さんが撃たれた。

背中でお母さんと弟が死んでいくのを確かめて、ルルワは泉に飛び込んだ。

入り組んだコヌヒーの地下水脈を無我夢中で泳いで逃げた。

地上に出て、右足から血を流しながら必死で逃げた。

ハーディに会ったときは足が腐り始めていたらしい。

ここね、とルルワは笑ってかさぶたの残る右足を見せてくれた。

ハーディは命の恩人だわ、とルルワは言う。

「私ね、ハーディはもしかして天使じゃないかと思っているの。イムワットが私たちを救う為に遣わした天使なんじゃないかって。ふふ、ハーディには内緒にしててね、恥ずかしいから」

 やっぱり笑った顔のルルワは綺麗だ。僕もそう思う、そう答えたらまたルルワがこう言った。

「私には天使が二人いるわ。ハーディとヤヒム。貴方よ、ヤヒム」

 ルルワの笑顔を何処か夢の様に眺められたのは、僕がまだイムワットを信じていたからだろうと思う。だから僕はこの時誓ったのだ、イムワットに請願した。

どうか僕とルルワを引き離さないでください。

僕とルルワが共に居れる理由がこの内戦なら、この戦乱が終わることのありません様に、と。

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