A6ノート、携えて

田山エドワード

執筆について

 この原稿はスマホで入力している。



 最近はスマホでの入力で小説を書き上げるのは珍しくなくなってきた。デジタルネイティブが増えれば当然そうなると思う。私の若い頃はそれこそ大変なヘイトが飛び交っていた……。


「文壇に対する冒涜! 小説の原稿は原稿用紙に万年筆で書いたものにしか魂は宿らない!」と噴飯するお年寄りが割りと多く、日本で初めてワープロ原稿で始終した小説が書籍化すると、今でいうアンダーグラウンドなフォーラムで散々叩かれた作家先生が居た。


 個人的な所見だが、執筆するのに道具が変わっただけで魂が消失してしまう創作物などたかが知れていると思う。創作はそんなに底が浅いものではないと思っている。


 それに大方の読者様は書店に並ぶ『紙の本』の原稿時の形状などどうでもいいと思っている人が殆どではないかな? 言い換えれば、作者が「この本を書くにあたってこんなに苦労しました。本の中身より私の執筆の姿勢を評価してください」と放言しようもうものなら、それこそ作家として問題があるのでは?


 本当に昔が良かったというのなら、執筆に関しては人類は未だに石板と壁画から進歩していない。そもそも原稿用紙と万年筆を持ちあげていた当時の一部の人達は、それらが無かった時代は創作に関しては暗黒時代だとでも言いたいのか。我が国の古典文学など、殆どは巻物や和紙に筆と墨で記している。(少し話外れるが、明治大正の頃など「最近の若者は小説などというくだらない読み物に耽っている! もっと漢詩を読め!」と古い世代に注意されていた)


 私は積極的に新しいガジェットを使い倒したいと思っている人間だが、老眼ゆえにスマホで執筆というのは初めての体験だ。


 これはこれで新鮮。新しいカルチャーに触れていると言う一種の満足感が得られる。


 ほんの三十数年前まではワープロ原稿が叩かれていた。却って今はどんなガジェットで執筆しても誰も何も気にしない。それが執筆スタイルに関して柔軟になったのか無頓着になったのか、商業主義として成功すれば何でもアリだと認識されたのかは分からない。


 なんであれ、執筆する手段が選べる……その場面で複数の選択肢が有って、自分で好きな選択肢を選んで進むことができるのは羨ましく素晴らしい事だ。……「自分にはこの道しかなかった……」という悲劇を回避できる。


 自由に選択できる手段が有るのに伝統と格式を重んじて旧来に固執する一部の方々は、自分たちが持ちあげる原稿用紙と万年筆でさえ、現れた当初はさらに古い世代に「筆と和紙を使え!」と反駁されていたことを知らない。


 ……それが、同時に情報化社会なのだろう。情報が簡単に可視化されるからお年を召した世代の価値観に対して先進的な考えを持つ方や若い世代と真っ向からぶつかる悲劇が散見される。


 この、スマホで入力するというスタイルも十数年もすれば何に置き換わっているか分からない。


 私としては温故知新の精神で新しい文化にアクティブに触れて行きたいと思っている。

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