第4話 誕生日

 秀人はあれから玲香のことを避けるように生活していた。朝や夜の食卓以外は玲香と顔を合わせず、その時の会話もほぼなくなっていた。秀人は玲香の顔を見るたびに、血に顔を当てていた玲香の姿が頭に甦り頭痛がした。しかし、玲香への家族愛のような感情だけが残っていて、それに付随するように彼女の誕生日のことへ集中していた。授業が早く終わった日は都会の方へ出て、プレゼントを見に行き、家に帰るのを憚った。避けることと祝うことのどちらが先行して都会に赴いているのか、もはや、秀人には判断できなかった。玲香は、そのような秀人の様子を悟ったかのように、同じように話すことをしなかった。その姿は、番を失った渡り鳥のようであった。


 時は流れ、玲香の誕生日の当日となった。秀人は買っておいた丁寧に包装されたイヤリングの箱を鍵付きの収納にしまっておいた。普段使いしやすいようにシンプルなデザインのホワイトゴールド製のものを買った。誕生日ケーキは、「ラファエル」と言う名のチョコレートケーキであった。艶のあるチョコレートに包まれ、その中央に金の天の川が流れているように金粉が撒かれていて綺麗だった。


 玲香はよく誕生日の時にこう言っていた。


「兄さんが一緒にいてくれればそれでいい。それだけで。」


 両親は相変わらず仕事が忙しくて、ここ数年秀人と玲香の誕生日を二人で祝うことが多かった。両親はそれをひどく申し訳なく思っているようで、毎年、すまない、すまないとばかり、連絡してくる。しかしそれはむしろ、二人の寂しさを増幅するばかりであった。玲香は、そんな素振りは全く見せず、目の前にいる兄をみて笑顔を絶やさなかったのである。


 学校が終わり、玲香に食材を買うことを頼まれたのでスーパーに寄ってから帰った。秀人が帰宅すると玲香はすでに料理の下拵えを始めていた。秀人は料理ができないどころか、卵を綺麗に割ることすらできない。秀人自身は、玲香に誕生日の時くらい休んでいてほしいと思ったが、玲香は、料理を好きでやっているし、自分の好きなものを作っているからと、エプロン姿でいうから黙って邪魔にならない程度に手伝うことにした。


「兄さん、もう大丈夫だから休んでて。」


 玲香がそういうので、秀人はテーブルの上の準備をしたり、プレゼントを確認したりして時間を潰した。とうとうやることがなくなったので、ソファーに座って何も映らない画面越しに、料理をする玲香の姿を見ていた。彼女が手際よく料理する姿には、彼女の喜びのようなところが垣間見えた気がした。にしては、手際が良すぎる節があるが。


 あれこれ考えていると、玲香が食事を作り終えたので、運ぶのを手伝った。食卓に並んでいるのはどれも秀人の好物であった。クリームシチューに、ヒレのステーキ100g、白アスパラガスの炒め物などなど。玲香はこの料理を作る前に、「今日は誕生日だから私の好きなものをたくさん作るわ」と嬉しそうに言っていた。秀人は、玲香に気を遣ってもらっているような気持ちになって、顔を俯かせて言った。


「玲香、本当に玲香が好きなものなのか?どれも俺の好きなものばかりだ。」


「兄さん、まごうことなく私の好きなものです。ここある全てが私の好きなものです。」


 玲香はまっすぐに秀人を見つめて言った。


「そ、そうか。」


 秀人は俯いたままそう言ったが、このままでは誕生日の雰囲気が台無しになると思い気を取り直して続けた。


「よし、食べよう。ご馳走ばかりで何から食べようか迷うな。しかし、この後ケーキがあることを忘れないでくれよ。」


 秀人はその時の限りの張り切り顔で言った。


 食事が終わり、少し休憩を挟んでケーキを用意した。そのケーキに「1」と「6」の数字を模った蝋燭を挿して電気を消した。秀人は少し含羞を含んで歌を歌った。玲香はその秀人の姿を見て、涙ぐんだ。


「おめでとう、玲香。」


 そういうと、椅子の下に置いておいた包装箱を玲香に渡した。玲香は丁寧に包装を解き、中身を見ると気持ちが溢れ出て持たないように涙を流した。


「ありがとう、兄さん。こんな、本当に嬉しい。」


 玲香の泣き笑顔を見て秀人は、これまでの不安や焦燥感を全て発散するように笑った。玲香はそのイヤリングをつけて見せて、向かい合っていた席を立ち、秀人の横に座り直した。そして、秀人のことをまっすぐ見て言った。


「兄さん、私もう一つ、もう一つだけ欲しいものがあるの。」


 秀人を見据える玲香の顔が突然とけそうに赤くなっていく。秀人は急に寒気がして、体をびくつかせた。玲香は、その右手を秀人の右頬に沿わせ、軽く撫でた。そして、その手を秀人の頭の後ろに回して顔を近づけた。秀人は逃げようとしたが頭の中が真っ白になって、動けない。そのまま、玲香は秀人の唇に自らの唇を当てがった。

少しして玲香が唇を離すと、秀人はようやく口をひらく。


「玲香、これは、だ、だめだ。本当にいけない。万が一にでもだ。どんな理由があってもだ。俺たちは、か、家族なんだぞ。」


 秀人の言葉、空中に放り出されるとまるで意味を失うように、しどろもどろに部屋の熱気によって溶けた。


「兄さん、人の感情は押さえつけられるものじゃないの。どんな大人だってそう。感情を受ける器を用意しておいて、それを今じゃないどこかで発散するの。それは決して感情を消したり、そもそも無いことすることじゃないの。そして、感情が迸って止まらなくて、その場で全て解放したいと思う時があるの。それが今。私が欲しいものは兄さん。そして兄さんを愛する私。別に兄さんが私を受け入れなくたっていい。とても悲しいことだけれど。兄さんはただ私に愛されればいい。行き場のない、耐えきれない愛を受け止める器になってくれればいい。」


 玲香は興奮していうと、秀人にまたがり右手を頭の後ろに回して顔を近づけ、左手を秀人の右手に絡ませた。そして唇をそわせると、舌を秀人の舌絡ませた。玲香は吐息を漏らして、たまに「あ」だとか「ん」だとか声をあげて、激しくした。彼女は興奮のあまり涙を浮かべていた。


 秀人は抵抗することができなかった。彼女の思いを聞き、これまで尽くしてくれた彼女の愛を思い出した。彼女のとろけ落ちそうな紅潮顔をみて、なぜか幸福感を覚えた。そして彼女が言っていた言葉を思った。


 「(玲香、君のいう通りだった。感情とは抑えることのできないものなんだね。俺は君とのキスを拒絶していないし、むしろ君の嬉しそうな顔を見ると俺も嬉しくなってくる。そうすると、君の愛に応えようと俺の本能が呼びかけてきて、拒絶できないんだ。自分がわからなくなる。どれが自分の本心なのか、これは恋心なのか。どうすればいいんだ。)

 

 約5分ほど経過すると、玲香が口を離した。玲香と秀人の間に細い糸のような線がつーっと下へ流れていった。お互い息が荒く上がったまま、見つめ合っていた。秀人は、改めて、プレゼントしたホワイトゴールドのイヤリングをする玲香をみて、愛おしくてたまらなくなった。


「プルルルル」


 突然、家の電話が鳴り出したので急いで秀人がそれを取った。


「秀人、玲香に変わってくれ。」


 父からの電話であったので秀人はすぐに玲香に電話を変わった。秀人はその様子をまじまじと見ていた。何を話しているのかわからないが、玲香はとても嬉しそうで、自然と秀人も微笑んでいた。そして考えた。このまま素直に玲香の愛を受け入れるのは、自分にとっての「愛」を殺してしまうのではなかろうか、と。今は忙しくて帰って来れない両親だが、もしそれが止んで、家族全員が集まって食事を囲める時間が増えた時、僕らの居場所はあるだろうか。

 部屋には玲香の声と振り子時計の音だけが反響していた。それでも玲香の「愛」を見殺しにしていいのだろうか。きっと玲香も覚悟を決めて告白してくれたのだろう。あんなに必死に話す玲香は見たことがない。俺が玲香の愛を受け入れることで、玲香が幸せになれるならそれこそ、一つの新たな「愛」だと言えないか。


 色々な感情が脳を駆け上っていると、電話を終えた玲香が戻ってきて、また、秀人に顔を近づけようとする。秀人は急いで答えを探して言った。


「玲香、君の愛を嬉しく思う。だけれども、やはり、僕たちは兄妹だ。こんなことはしちゃダメだ。感情とかそういうの抜きにして、僕はやはり今までのままいたい。」


 玲香は打って変わって悲しみを顔に広げた。それを見た秀人は激しい絶望に落とされて、緩急入れずに言った。


「だ、だから、キスだけだ。キスだけは許す。でも一日2分だけ。それ以上はだめだ。」


 玲香の顔は喜びが顔中から出ているようであったがそれをおさえるように冷静な顔つきになった。



 その日、玲香は秀人に終夜キスをした。その夜の暑さは、梅雨特有の蒸し暑さのせいではないだろう。

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