慶安事変異聞録

駒井 ウヤマ

由井正雪討伐編

第1話 四方山話

 元号が慶安へと変わって早4年。とある江戸屋敷、1人の若者が客間にて、自身を呼びつけた屋敷の主人をそわそわと待ちわびていた。

 若者は見たところ齢19~18ばかり、少し癖のある黒々とした頭髪もその若々しさを十分に主張している。髪型は月代を剃っておらず浪人の様であるが、身に着けた着物は華美では無いものの仕立ては上物のようであり、少し影があるものの育ちの良さそうな相貌も相まって何処かの大名家の跡取りとも見える程である。

 だが緊張しているのか何なのか、しきりに肩を揺らしたり組んだ足を小刻みに揺らしたりと落ち着かぬ様相がその男ぶりを台無しにしていた。

 しかし、そんな様であっても鍛えられた感覚は過たず家主の接近を捉え得たらしい。屋敷の主人である老僧がすうと障子を開けて顔を覗かせた時には、そのような不作法な仕草は掻き消えていた。

 そこにいたのは姿勢をしゃんとした1人の美丈夫。屋敷の主人もその様を見てうんうんと軽く頷いたところを見ると、あるいは先までの様子は監視されていたのであろうか。

「ふう。さて、待たせたかね四郎丸しろうまる。いやさ、元服の儀はもう過ぎておったか。名を何と申したかの?」

「・・・成枚なりひらと」

 四郎丸と呼ばれた男はそう答え、指にて畳にこうっと字を書き示した。

「そうそう成枚、では杉山成枚と。しかしまあ当朝有数の色男と同じ読みとは、お主も隅に置けんのう」

 その揶揄うような口調に若者は少し表情を曇らせるが、この男の物言いに一々反応していてはキリが無いと経験にて学んでいたため直ぐに表情を戻すと、

「ですので、今まで通り、当方の事は変わらず‟四郎丸“とお呼びください」

「そうかの、そうかの。されどされど・・・うむうむ、良い男ぶりは父方の血筋か」

「・・・ご存じなので?」

「主の父は良うは知らぬが・・・まあ、色々と、な」

 そう皺だらけの顔で嘯く内容のどこまでが本当か、四郎丸には分かったものでは無い。よって、無視して話を進めることにした四郎丸は懐より1通の書状をスッと差し出した

「しかして此度の呼び出し、如何なる次第にて御座いましょうか?今まで、貴殿が死んだと称してからも呼び出しは何度か御座いましたが、此度のものは余りに性急にて。使いの者が乗って来た馬、あれはもう早馬としては使い物になりませぬぞ」

「不服かね?」

 チラ、と一瞬覗いた冷たい視線に、四郎丸の背に冷たいものが走る。が、そんなものに今更臆す四郎丸では無かった。これでも数年来の付き合いだ、ワザとらしく出した殺意が本物では無いくらいのことは分かり切っている。

「いえ。ただその使者へは当家より新たな馬を提供しましたので代金か代わりを受け取りとう御座います」

 よって、平然とした顔でそう冗句を返すと、眼前の老僧の顔も柔和な表情へと戻った。

「・・・と、冗談はさておき。ここ数年は書簡か人伝にての依頼ばかりだに、こうして対面で、それも左程にお急ぎの要件とあればどれ程の厄介事かと、そちらの方が我が身を震わします。なにせ当家は脛に傷持つ身ですので。そのことは貴殿が一番よく御存知かと思っておったのですがね、天海僧正殿」

「はっは。そうかの、そうかの。安心せい、少なくとも津軽の国元や杉山家をどうこうしようと言うのではないわ」

 快活に呵々と笑う天海と呼ばれたこの老僧、皺だらけのその顔は高齢であることしか判別出来ず、100を超える老人、と言われればそうも見える。

 だが、その顔に浮かべるにやけ笑いも相まって、大権現の懐刀として権勢を振るった謀臣と言うよりはどこぞの商家の好々爺と言った方がしっくりくるくらいである。

 と言っても四郎丸もこの男とはそれなりの付き合いである。只の好々爺では持ち得ぬ権勢を幕閣へと揮う様は幾度と無く見て来た事も事実、信じ難いが本当の事なのであろう。

「ふむ、では話そうか。四郎丸よ、『由井正雪』という男の事は知っておるか」

「はっ。この数年で急に名の知れるようになった軍学者と。確か・・・何月か前に謀反を図り捕殺されたと聞き及んでおりますが」

「結構。・・・しかし、謀反や捕殺の件は内密の筈。流石は早道之者、と言ったところか」

「それも当方の御役目ですので、御容赦を。しかれば僧正殿、そのお話から察するに当方への依頼とはその軍学者に関する事と見えます。さしずめその一党の内、野に散った残党を見つけ出し狩り取る、と言うことでしょうか」

 違うだろうな、と思いつつ、そうだと楽だな、と思い駄目元で提案してみるが案の定、天海は首をふるふると左右に振る。

「いや、その程度の事でこの様に急な呼び出しは流石の儂でもせんよ。・・・・・・して、何から話そうか」

 いつしか、先程まであった朗らかな雰囲気は一変し、天海も四郎丸もその表情は硬く張り詰めている。そんな緊迫した時間が暫し流れた後、天海がポツリと四郎丸が聞き取れるかどうか位の小声で、

「・・・今から申す事は、御当主にも国元にも他言無用ぞ」

「はい」

「うむ。先にお主が述べた駿河にて捕殺したという話、あれはな、嘘じゃ。諸国の密偵どもに知らせるための作り話に過ぎん」

 その告白に大きく息を吐き、座ったままの姿勢で器用に肩を竦めると、

「成程、当方らも虚偽を掴まされたと・・・忍びたちも鍛え直しと伝えねば、ですな。しかしであれば、まだ何処ぞにか隠れておって、その捜索を?」

「いや、そういう用でも無い。第一、潜んで居るであろう在所は先日、既に儂の手のものによって掴んでおる」

「要領を得ませんな。見つかっている、のであれば旗本衆かその国の大名にて追捕させればよいでしょうに。貴殿は一体、当方に何をさせたいのです?」

 天海はその問いには答えず、1片の木片を袱紗より取り出すとそっと差し出した。それは掌に入る程の大きさで薄汚れてはいるものの何処か人の形にも見えた。

「これは、『式』に使う人形ひとがたのようで御座いますな、陰陽道やらの術士が使うとか云う」

「左様。厳密な事を言えば、彼の者たちは紙の人形を使うのであるがな。・・・話を戻そう。件の軍学者を捕らえようとしたところ男が消え、現場にこれがコトりと、な」

「つまり・・・彼の由井正雪なる軍学者はこれを身代わりに未だ自由の身、と?」

 その問いに、天海は黙ったまま、しかし大きく頷いた。

「これで、旗本に任せられん事は分かろう。されど、如何なる武辺者と言えど術士の相手をせよとは難題にて余りある。そう思わんか?」

 思わんか、と言われても四郎丸も術士の相手などした経験は無く、答えようが無い。

「また先に申した在所というのもこの事に関しておる。今より数日前、富士山麓にある霊場にて、幕府より派遣しておる術士より連絡が途絶えた。それに前後して、何やら悪しき気を富士の辺りに感じるようになった故、恐らく奴はそこに居るのであろう、というのが当方の予測でな」

「・・・式、霊場、何とも・・・で御座いますな」

「無論、儂もお主に術の心得の無い事は存じておる、安心せよ、術士の相手は術士。して、その術士についても儂の伝手にて大和より招いておる。お主に頼みたいのはその護衛じゃ・・・容易かろう?」

 その『龍を退治するのに比べれば、虎退治は簡単だろう』と言わんばかりの理屈に、四郎丸は思わず眉を顰めた。

「護衛の依頼ですか・・・。しかし、霊地と言うからには富士の霊地とやらは術士たちにとっては大切な土地なのでしょう。左程の大事であればそのように内密にせずとも、お手盛りの幕閣を動かして京なり何なりより術士を大々的に呼び寄せ、対応されば済む話では」

 その方が、そのような事態に不慣れな自分に守られる術士が行うより成功の目算がありそうなものだ。しかし、天海は大げさにかぶりを振ると、

「そうはいかん。富士の気配は囮で、京や江戸が突かれる恐れもある。無暗に要地を留守にさせる訳にもいかんのだ。・・・それにな、内々の話であるぞ。現在、その軍学者による謀反の原因が扇動に乗る改易浪人の増加であると判断して祖法を改め、諸大名の改易についての締め付けを緩めるよう老中の阿部豊後守を通じて命じておる。しかし、事が単なる術士の悪行と公になれば、酒井雅樂や知恵伊豆がいらぬ差し出口を挟まんとも限らん。あ奴らに気付かれぬよう、事は内密に済ましてしまいたい。つまりはそういう理由じゃ」

 それを聞くと、四郎丸の眉間の皺は増々深くなった。

「・・・成程、良う分かりました。何とも天海僧正殿らしい、嫌らしい話で御座いますな」

 つまりは、お上の権勢争いのせいで要らぬ苦労を背負え、ということらしい。

「しかし、お主や国元にも悪い話では無かろう。それにな、天草の乱より十数年、未だその記憶も失せぬ内にあまり大業に世相を騒めかせては武威で立って居る徳川家の、それこそ鼎の軽重を問われかねん。しかして、引き受けてくれるならばこれを渡そう」

 そう言うと天海は振り向くと後ろの床の間より1振の刀を手に取り四郎丸へ手渡した。その刀は拵えこそ地味であったが手入れは行き届いているようだ。目釘に一分の緩みも無く、抜いてみれば刃紋は美しく、業物と言っても過言無い代物である。そして何故だか四郎丸の手にその刀は妙に馴染み、何と言うかしっくりくる、そんな風に感じた。

「これが、何か?」

「それはな四郎丸。越前松平家より取り寄せた業物で、銘を『石田正宗』と申す物じゃ。どうじゃ、手になじむとは思わんか」

 そう言われると、四郎丸は更に不機嫌そうに顔をくしゃくしゃと歪め、吐き出すように言った。

「・・・悪ふざけが過ぎますぞ」

「唯の悪ふざけでは無い。その刀には儂が出来得る限りの付術ふじゅつをしておいた、術士との戦いとなれば必ず助けとなるであろう。無論、報奨はそれだけでは無い。此度の件を無事に治めてくれればこれ以降、杉山家にも津軽家にも痛くない腹を探る様な真似はせん、と約束しよう。既にお主の兄上を通じて当主にも話は通るよう手配済み、後はお主が首肯すれば早飛脚が飛ぶ手筈よ」

「そこまで外堀が埋まっておれば、最早是非も有りますまい。仕方有りませんな、お受けいたしましょう」

 諦めたように、四郎丸は大きく肩で溜息を吐く。

「されど、出立の前に当方からも文をしたためても宜しいか?此度の事態は余りに余人の常識の埒外にあります故に貴殿からの症状だけですとあにう・・・吉成様も心揉まれましょうし」

 その願いのささやかさに安堵したか、天海は「ほう」と小さく息を漏らす。

「良かろう。では隣の間に紙と硯を用意させる、しばし待たれよ」

「有り難き」

「なんの。それと、儂の名は流石に使えんが、誰か適当な者の名で関を越える為の免状も既に用意させておる。どのように事態が推移するかは分からぬ故、大方の関所なら問題無く通用出来る代物にしておいた。持って行くが良い」

 そう言うと天海は来た時と同じようにスッと立ち上がると廊下へと消えていき、部屋には再び四郎丸1人となった。緊張からか、話の衝撃からか四郎丸の両手はじっとりと汗で濡れていた。

 遠くから聞こえる鐘の音から判断するに、どうやら四郎丸がこの客間に案内されてからまだ1刻と経っていないようである。されど、体を襲う疲労感は1日中身を粉にして働いたとき以上にも感じられた。

 ふと、目を落とすと先程預かった刀が目に付く。はあ、と四郎丸は諦めたように息を吐くと独りごちた。

「まったく、親の因果が子に報い、か・・・孫でも、それは変わらんらしい」


 杉山四郎丸成枚。彼は津軽家重臣杉山源吾の4男であり、兄である杉山吉成は家老職を務める津軽家の重鎮である。しかし彼の父とされる杉山源吾、その名は変名であり、その本名は石田重成と申す―。

 ―即ち、彼、四郎丸はかつての豊臣政権五奉行筆頭にて事実上の『豊家の宰相』石田治部少輔三成、その孫である。


 江戸の天海の屋敷を出た四郎丸は足早に立ち去ると河川敷に腰を下ろした。緊張からの反動か、伸ばしっぱなしの頭を不作法にポリポリと掻くと独り呟いた。

「まったく・・・参ったなあ、あの糞坊主め」

「お受けになった以上、仕方ないでしょう」

 何時の間にか、隣へ腰かけた男にそう返されると四郎丸も苦笑するしか無かった。

「まあ、そうだな。泣丸なきまる、お前も付いて来てくれるか?」

「無論にて」

 泣丸と呼ばれたその男、一見して奇妙な男である。声はまるで老人の如き嗄れ声、ざんばらに振り乱した髪もほぼ白一色で艶が無く、先の天海と同年代と述べても通りそうな程であった。

 にもかかわらず、装束から覗く傷だらけの四肢は筋骨隆々としており働き盛りの若者のそれである。

 ならばと、顔相にて正確な齢を図ろうにも顔には能で使われる翁の面を被っており、年齢どころかその表情すら伺うことは出来ない。

 そして、何よりおかしいのは、川べりには多くの町人や百姓が歩いているにもかかわらず、誰もその奇妙な風体の男を見て声を上げることも避けることもしないことだ。まるで、そんな男など居ないかのように。

「して、天海僧正からはどのようなご依頼で?」

「普通、受ける前にそれを聞かないか?まあいい、話せば長くなるが・・・かくかくしかじかの・・・」

「・・・まるまるうまうま、と。富士の霊場とあれば名にしおう青木ヶ原樹海の最奥部。しからば甲州街道にて?」

「流石、その類の事には詳しいな。いいや、敵陣に踏み込む前に大和より来る術士とやらと合流せねばならんとさ。面倒だが一旦江戸から東海道にて駿河まで下り、その後に甲斐へと抜ける事になる。例の術士とは樹海の直近にある村にて合流予定だと」

 そこまで言うと、四郎丸は声音を正し、しゃんと背を伸ばして問いかける。

「・・・本当に良いのか、此度の依頼は今までの他家への斥候やら不心得者の始末とは異なる。あの糞坊主は暈していたが、それこそ何が起こるか分かったもんじゃないぞ」

「是非も有りませんぞ。それに、拙者は最早、早道之者の内には戻れませぬ。如何なる苦難であろうとも、主殿と共に向かいとう御座います」

 表情は伺えぬが、そうきっぱりと言い切る泣丸の声音には一片の迷いも見受けられない。

「そうか、なら俺からこれ以上は言うまいよ。そら、糞坊主からもらった免状だ。忍とは言え普通に関を通れるならば、それに越したことは無いだろう」

「有り難く頂戴致します。しからば、道中にて何も無ければ件の村近辺にてお会いいたしましょう。御免」

 そう聞こえ、一陣の風が吹いた次の瞬間には泣丸とやらは影もかたちも無い。川べりには本当に四郎丸1人きりが残された。

 しかし四郎丸も慣れたものらしく何も無かったように立ち上がり、塵を払い、大きく伸びをする。天海に貰った刀は移動の邪魔になるのと余計な問題を避けるため具足と纏めて袋に入れてある。勿論、盗まれるような手抜かりはしない。

 袋を背負いタッと走り出す四郎丸の前には霊峰富士が悠然とそびえ立ち、空は青く晴れ渡り行く先に一片の暗雲も無い。

 少なくとも、今のところは。


「・・・・・・・・・行ったか」

 四郎丸が座を辞してから数刻後、暮れかけた縁側で天海は独り言ちた。すると、後の障子がカタリと鳴った。

「何か」

 そう、表情をキッとあらためて誰何する声は、四郎丸に向けていたものとはまた違う、まるで氷璃の如き冷たさだ。

「・・・阿部豊後守様がお着きに」

「暫し待たせよ、直ぐに行く」

「は。彼の軍学者の沙汰についてか、とお伺いですが・・・如何にお答えを?」

 その問いに、天海は冷たい舌鋒を増々冷たくして、

「違うと申せ、その件はあの者に任せた。・・・彼の者は父祖のみぎりより良う存じておる、よもやの過ちもありますまいよ」

「それはそれは。流石の僧正殿、毀誉褒貶あれど高名な『豊家の宰相』殿とも縁が御有りとは・・・」

「そこまでに致せ。死にとうは無かろう」

 流石に死んだ男に仕える者。その言葉と、同時に障子紙を破って突き入れられた小刀が意味する所を知らぬ程に凡愚では無い。たちまち口を閉じるとサッと立ち、パタパタと足早に立ち去って行く。

「ふう・・・あの者も一廉の者ではあるのだがな。口を噤む時を理解せんでは、まだまだよなあ」

 そう言って、天海もまた客前へ出る為にそっと縁側を立つ。振り向けば、もうすっかり太陽は地平の際へと沈みかけていた。

「まったく・・・世辞も述べるなら良う良う考えよ。儂があの、忌々しい禿鼠の茶坊主に縁などあるものか」

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