第3話〈みよりの危機〉

 朝はしんどい。

 大抵の人は朝はしんどいと思う。

 特に朝が苦手でぼんやりしてなかなか起き上がれない人にとっては。

「う~」

 ボサボサ頭でふらふら駅に向かうみより。

 スーツはヨレヨレだし化粧もろくにせず、おまけになんだか目がしょぼしょぼするし、うっかりホームから転落しそうな危うさである。

 満員電車に揉まれて一時間。

 やっとの思いでたどり着いた会社では、営業成績が悪いと罵られーー入社してそろそろ一年経つが、限界かもしれない。

 みよりはいつものように髪を一つにまとめて、リュックサックを背負い秋葉原の街へ飛び込む。

 ーー成績悪いってさあ、こんな怪しい健康器具、そもそも買いたいって人いないんだよ。

 内心は愚痴でいっぱいだったが、せめて検討してみるという人だけでも見つけなければならない。

 ーーまあ、もうどうでもいいん、だけど。ん?

 ふと、視界に違和感を感じて立ち止まる。

 会社から外出してまだ二時間足らず。

 まだまだ体力には余裕がある筈だ。

 ーー疲れてるからかなあ。

 と、若干の不安をはね除けようと自分を励ます。

 だが、結局目の違和感は拭えず、会社に連絡をいれる前に眼科に足を運んだ。

 すぐに診察は終わると思っていたのだが、医師の反応が怖い。

 結果的に、その日はみよりにとって最悪な一日となってしまった。

 診察が終わっても会社に連絡を入れる気になれない。

 呆然と宙を見つめてかすんだ右目を瞬く。

 医師の言葉が脳内に何度も浮かんでは、みよりを暗闇に突き落とした。

『貴方の目はいずれ見えなくなります。あと数年で左目も右目と同じように』

 それ以上は脳が拒絶してあまり覚えていなかった。

 精密検査の予約をして今日はひとまず目薬を渡されて帰された。

 秋葉原の駅へ向かう途中でようやく会社に連絡を入れて、事情を説明すると、流石に怒鳴られることはないが、同情の言葉がつらい。

 いつの間にかいつものカフェにたどり着いて、注文もしないのに店の外の席に座る。

「いるわけ、ないよね」

 なんとなくユユに会いたい気がして無意識に足を向けてしまった。

 そのまま一時間はそうして座っていただろうか。

 店員に声をかけられてやっと諦め、席を立とうとしたところで、左目の視界に花柄が映りそちらに振り向く。

 思った通り、ワンピースの小柄な女性がいる。

「ユユさん」

「まだ時間は大丈夫?」

 重たそうな顔を傾げると頷くみよりの隣へ腰かけた。

 みよりも座り直して少しの間の後に「あの」とだけ言葉を吐き出すがまた沈黙する。

 ユユがおもむろに帽子を取ってみよりに顔を向けて話しかけた。

「みよりちゃん私を見て」

「……」

 そっと目を向けるみよりだが、やはり右目がかすんでいる。それを確認してとうとう涙がおさえきれなくなった。

 静かに泣くみよりの顔を見つめるユユ。

「ごめんね」

「ーーゆゆさんとは、関係、ないことなんです」

 鼻がつまったような情けない声。

「わたしの、め」

「どうしたの」

 ユユは穏やかにみよりを見守る。嗚咽で震えるみよりの背中をさすって落ち着かせようとする。

 しかし、みよりはしゃっくりまで出してしまう。

 こうなるともう溢れだす感情が止まらなかった。

「……めが、見えなくなるって……」

「ええ?」

「っもうみぎめ、がっ」

「みよりちゃん、落ち着いて」

 あとはもう泣き声しか出せなかった。

 ひとしきり泣いて気がつけば、カフェから追い出されていた。みよりはとても一人ではいられず、ユユの住んでいる桜荘に連れていってもらうことになった。

 そこで一晩過ごしたのだが、あまり記憶がなかった。

 数日後、どうにか出社したみよりだったが、仕事ができる状態ではなく欠勤が増えていく。

 それなのに毎日あのカフェに通っていたみよりだったが、ユユが現れなくなり落ち込んだ。

 アイスティーは味を感じない。ため息ばかりついているみよりに何かが近寄ってくる。

 それは一見して猫のおもちゃに見えるが、言葉を発した。

「お嬢さん、お嬢さん」

「え、だれ」

 みよりは辺りを必死に探すが、右目のせいもありなかなか見つけられない、だが、足元にぶつかる感触にようやく下方に視線を向ける。

「は」

 そこにいたのは。まるっこい一匹の猫。

 というよりは四本の足に車輪をつけている太った茶色の丸い猫であった。

 みよりは突然の出来事に緊張しながら疑問をぶつける。

「あ、あなたなに」

 すると猫は叫んで答えた。

「柴田だ!!」

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