かぐや姫
だ
Men I Trust
場所は赤坂見附駅近くのバー。
カウンターにスーツ姿の男女が席を並べている。2人が日中に流した汗はとうに乾き、繰り返される明日への倦怠を紛らわすために、ゆっくりとウィスキーを体に流し込んでいた。
男が女に向かって言った。
「あいつとは、どうだったの?」
女は即座に返した。
「なにもないよ。」
男の表情は一瞬硬直したように見えたが、「それ以上の追求をするつもりはない」と訴えるように、すぐさま前を向いて、店内音楽に意識を集中させた。店内には”Men I Trust”の"Numb"が流れていた。
そのとき女は、琥珀色に光るグレンリベットをグラス越しに眺めながら、男が思い浮かべていたものとは全く別の人物を思い出していた。
*
山本明里。それが彼女の名前である。
生まれは横浜。都内のメーカーの事務職として就職し、今の男は会社の上司からの紹介で交際を始め、半年後に婚約した。
学生の頃の彼女はとびきりの美人というわけではなかったが、周囲と比べて大人びて垢抜けていた彼女は、意図せず注目を集めることがあった。
高校時代、クラスの男子は隙をみてチラチラと彼女を見たり、その中の数人は明里に言い寄った。そしてそのことに嫉妬した一部の女子は彼女を仲間はずれにした。周りの人間がそれに気がつきそうになると、それを外の人間から見えない場所で、或いは周囲が指摘しえない方法でそれらを行った。
明里はそんな状況にうんざりしていた。一種の退屈というか、倦怠のようなものだったのかも知れない。冴えないクラスの男子と恋愛をしようなんて気は起きなかったし、そもそも私は私であろうとしているだけだ。誰に何を言われる筋合いはない。しかし、そうしたスタンスが彼女の状況を悪くしていることは、彼女自身が気づいていながら止めることが出来なかった。
明里の持つ、既に個として独立した、洗練された輝きは、あまりに狭い鬱屈としたコミュニティに閉じ込められていた。
そんな彼女だが、一人だけ何故だか気楽に話せた男子がいた。
その男子の名前は瀬尾亮平。
同じ予備校に通っていた2人は帰り道の間、取り止めのない話をする仲だった。何時間、何を話しても2人は平気だった。テストが終わった日の二人は日が暮れるまで飽きずに話していたこともあった。
お互いの中にある何かが、飾らない心地よい空気を生み出していた。
しかし、彼女たちが高校2年生の夏に事態は一変した。
それは瀬尾の突然の告白だった。
明里は驚きながらも、こう思った。
-結局あなたもそうなのね-
私と瀬尾はこの関係を越えることはできない。
残念ながら、私は瀬尾を男として受け入れる気はない。
彼女のチャームは、男を惹きつけるが、皮肉なことにそれは益々彼女を孤独にさせ、他者と分かり合えない隔たりを突きつけた。
*
女は男に自然な笑みを向けて男を見つめて言った。
-本当になんでもないの。いきましょう-
2人は夜の繁華街の光の中へと消えていった。
とても小さく、歪んだわだかまりが2人の座った席ににぽつんと、2人の未来を暗示するように残っていた。暫くそれは店の中に漂い続けていたが、再び扉が開いて新たな風が入り込むと、いつのまにかそれは消えていた。
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