Day3


 いくら呪いといえど、三日目にもなれば慣れてくるらしい。


 怪我の功名とはいえ、ユキコから「おはよう」といってもらえるだけ幸せを感じなければバチがあたるというものだ。


「おい、おれのユキコをいやらしい目で見るなよ」


 朝からとんだ言いがかりをつけられるのも気のおけない友人と旅行をしているからこそではないだろうか。


 ぼくが否定するよりもはやく、ユキコは「そんなことより」と話をとめた。


「今日は、ナオキの番だけど、大丈夫そう?」


 口では「もちろん」と答えるが、自信をもって大丈夫とは言えなかった。ぼくはユキコとは違う、昨日までは他人事のように自分のあとに控えるキョウスケのことを心配していたけれど、いざ自分の番になると気が気ではない。


「ちゃんと勉強しとけよ。おれたちはユキコと違っておつむが悪いんだからよ」


 キョウスケのいうとおりだ、幸い出題範囲はわかっている。今日一日、集中して勉強すればきっと乗り越えられるはずだ。


「しっかし、昨日は危なかったな」まるで他人事のようにキョウスケは言ったので、ぼくとユキコは思わず目を合わせた。


「ほんとだよ、危うくぼくらは死にかけた」

「わたしの嘘がなければ、死んでた」

「嘘だったの!」


 ぼくたちは動きをとめた。

 ふたりの視線はぼくに集まる。違う、ぼくは何も言っていない。


「ひどい、ぼくを騙したんだね」

 顔あげると、そこには当たり前のように幽霊が浮いていた。ミイラみたいな顔を手でおおって悲劇的な演技をしている。


「昼間だぞ」

「幽霊だって昼間に動くやい」


 そうなんだ。と感心している場合ではない。ぼくたちは油断していた、決して聞かれてはならないこと幽霊に聞かれてしまったんだ。


 さすがのユキコも言葉が出てこないようだ。


「ぼくを騙していた責任、どうとるつもりだい?」


 ぼくらは黙るしかなかった。


「そうかい、黙りかい」


 幽霊はたぶん怒っている。ぼくらを呪い殺すのだろうか。


「まったく」と幽霊はため息をついた。「次から気を付けてよ。ぼくが幽霊だからって、なにも感じないわけじゃないんだからね」


 予想してなかった幽霊の反応にぼくらは同時に奇妙な声をあげた。


「見逃す、のか?」

「見逃す?」


 幽霊はどうやら交渉が苦手なようだ。頭からぼくらよ嘘を言及して、呪い殺すことに持っていく発想がそもそもなかったらしい。


「いいの、気にしないで」

 ユキコは早く会話を終わらせようとするが、幽霊は「どうゆうこと?」と離れようとしない。いくら気にしないでと伝えても離れようとしない。気づいてぼくらを弄んでいるのか、本当に気づいていないのか分からないからたちが悪い。


「ところでさ」とぼくはみきり発車で話題を変えるであろう接続詞を口から出した。


 幽霊の意識がそれたように感じた。続ける話題に興味を持ってもらえなかったらいよいよ逃げ道はなくなる。なのに、幽霊の興味のある話題など考えたこともない。幽霊は何が好きなんだ。成仏? お経? 好きなお墓の形? どれも違う気がする。


「君の名前は、なんていうんだい?」


 たぶん違う。けど、会話の始まりは自己紹介だろう。そして、自己紹介の始まりはいつも同じだ。


「ほら、名前を知らないと、困るだろう」


 いや、困ることはない。実際幽霊は幽霊のままのほうが分かりやすい。


「たしかに」と幽霊は納得した。これは好機とキョウスケも「知りたい、ぜひ教えてくれ」と前のめりに尋ねる。


 そこまでいうのならと幽霊は咳払いをした。


 幽霊といえど、名前はあるんだなあと感心した。幽霊もまた、ぼくらと同じように生きていたんだよなあ。


「ぼくの名前は、カストロ。よろしく」


 *


「おい、はかどっているか?」キョウスケから声をかけられて、はっと顔をあげた。


「見ればわかるだろう」


 必死だった。カストロが消えてからぼくはずっと勉強をしていた。


 どうやらキョウスケは何度も声をかけてくれていたらしい。そういえばお腹も空いてきた。


「そろそろ休憩しましょうよ」


 頭ではわかっているし、煮詰まってもよい成績がだせるわけではない。それでも勉強以外のことをしていると落ち着かない。


「ナオキは昔からひとつのことに没頭するよな」

「今回は特別だよ。ぼくが間違えれば、みんなを道連れすることになる」


 ふたりに気をつかわれていることが苦しい。いっそぼくを置いて遊びにでもいってくれないだろうかと思うけれど、ふたりは絶対にそうしないだろう。


 再びぼくが勉強を再開すると、重苦しい空気が部屋に充満する。ぼくの気が散らないように気を使ってくれているのだろう。


 もうカストロでも誰でもいいから、ふたりを連れ出してくれないだろうか。


 と、ぼくの願いが通じたのだろうか。部屋の扉が激しくノックされた。突然なんだと空気が一転して張りつめる。


 扉越しに声が聞こえる。どうやらニシサカのようだ。壁越しに叫ぶなんてただならぬことに違いない。


 キョウスケが恐る恐る扉を開けると、飛び込むようにしてニシサカが部屋の中にはいってくるなり「ヤバいぞ」とぼくらに事の重大さを伝えようとするが話にまとまりがないせいで何を言っているのか分からない。


「ニシサカさん、落ち着いて」ユキコが深呼吸を促して、ようやくニシサカは落ち着きを取り戻した。


「で、なにがやばいんだ?」

「そうなんだよ」再び語彙力を失おうとしていたので、ぼくらはニシサカに座るよう促した。


「クーデターがおきる」


 落ち着いていわれたとてすんなり理解できる内容ではなかった。クーデターという言葉のもつ現実味がぼくらの受け止められる許容範囲を越えていた。


 なにを馬鹿なことをとキョウスケが笑うが、ニシサカは大真面目だ。


 なんでもホテルのある島の近くにある過激派組織がいよいよクーデターを起こすらしく、すでにホテル客の何人かは避難を始めているのだとニシサカは教えてくれた。


「きみたちも早く逃げたほうがいい」なんて言ってくれるけれど、クーデターとは別の問題も抱えているぼくらは顔をあわせることができなかった。


 曖昧な態度しか示さないぼくらに対してニシサカは必死で逃げるよう促した。それはそうだ、ぼくらだってカストロさえいなければいますぐにでも逃げ出したい。でも、逃げたところで呪い殺されるのでは意味がない。


 事情を知らないニシサカの目には、クーデターという非日常にうかれる、アホな学生に見えるのだろう。


 言われなくても、クーデターに巻き込まれることが危ないことくらい分かっている。


 結局、ニシサカは外が暗くなり、ユキコが「ごめんなさい、今日はもう寝るわ」と言うまでぼくらの説得を続けた。


 ぼくは、勉強することができなった。


 *

「そいつは災難だったな」

 カストロは呑気だ。


「可哀想と思うなら、金縛りくらい解きやがれ」

「そうはいかない。ぼくが喧嘩に強そうに見えるかい?」


 ふわふわと浮きながら呑気に言う。まるで他人事のような反応だ。


「だれのせいで避難ができないと思ってるの」

「ぼくのせいだっていうのかい!」


 カストロがどこまで本気で言っているのかわからない。結局、カストロはいつものように問題をだして、ぼくが正解すると大人しく消えていった。

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