夢を追うことから逃げた

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夢を追うことから逃げた

ここは、都内某所にあるイタリアンレストラン。

カウンター席が8つで、テーブル席が40だ。

おそらく、大きすぎず小さすぎずといった規模だと思う。

客単価は6,000円ほどなので、まあ高級レストランと言えるレベルだろう。

私はこのレストランで、料理人として働いている。

なぜレストランで働いているかと言うと、小さい頃から料理が好きだし得意だったからだ。

小学4年生くらいの時かな、母の見よう見まねで作った料理をおじいちゃんに振る舞ったら、「美味しい!」と言いながら純度100%の笑顔を見せてくれた。

子どもって与えられるばっかりだから、人に与える経験が乏しいものだ。

だから、自分の料理で人を笑顔にできたことが、凄く嬉しかったんだと思う。

その日を堺に、私は毎日のように料理を作るようになった。

将来の夢は料理人になって、自分の料理で人を笑顔にすること。

それが私にとっての最善の生き方だと、信じて疑わなかった。

だから、高校を卒業したら迷わず調理師学校に通ったし、卒業後はこうしてレストランに就職した。

何もかもが、思い通りに進んだ人生のように思う。

だけど、いざプロとして働くとなると、結構大変だ。

掃除・接客・在庫管理などの、料理意外の仕事が山のようにあるし、苦手な料理でもプロ品質の仕上がりを求められる。

それに、なぜか休みは週1しかない。

社会人として働くことになっても、週に2日は休めるものだと思っていた。

で、年に数回は長期休暇を取れて、その度に国内旅行をするという典型的な過ごし方ができると思っていた。

しかし、連休すら取ることができない。長期休暇なんて夢のまた夢だ。

一応有給を使えば長期休暇は作れるが、そんなことができる雰囲気ではない。

会社は「有給を上手く利用して、たまには長期休暇を取ってくださいね」的なことを言っているが、これは、ただの責任逃れだ。

いくら制度を整えてくれても、その制度を行使できる雰囲気を作ってくれないと意味がないんだよ。

周りの人が長期休暇を取らないのに、自分だけ取れるわけないじゃん。

こういう現状を分かっていながら何の対策も講じずにふんぞり返っている上層部に、私は辟易していた。

まあ、でも、愚痴ばかり吐いてもいられない。

もうプロの料理人になったんだ。頑張れ私!


「このラザニエッテ、作ったの君かい?」


「はい、そうです!」


料理長から声をかけられた。

このラザニエッテは、我ながら上手くできたと思う。きっと褒めてもらえるに違いない。


「なかなか良いラザニエッテだね。美味しそうだ」


「あ、ありがとうございま」


「だけど、客に出せるレベルじゃない」


「え・・・」


「水分が多すぎるし、見た目も美しくない。家庭で出てきたら喜んで食べるけど、レストランで出てきたらガッカリするレベルだね」


「も、申し訳ありません」


「これは、休憩中のバイト君に食べてもらおう。私が作り直しておくから、君は皿洗いをやってくれ」


「・・・はい、承知しました」


***


「おかえり!今日の仕事はどうだった?」


朗らかな笑顔で出迎えてくれたこの男は、私の彼氏だ。

彼はメーカーの営業マンとして働きながら、ほそぼそと漫画を描いている。

私と付き合う前、元々彼は漫画家として生計を立てていたのだが、それだけでは食っていけなかったのか、普通の仕事をするようになったらしい。

つまり、端的に言えば、夢を追うことから逃げたというわけだ。

私は彼のことが大好きだが、どこか見下しているところもあった。

夢を追うということは、つまらなく困難な現実の連続に立ち向かうことを意味している。

なのに、彼はその現実から目を逸し、中途半端に夢に縋りついている。

もちろん、これは彼自身が選択した生き方であり、私がなにかと説教するなどおこがましいことだ。

だけど、一生懸命夢を追っている私の横で生半可なことをされると、上手く言語化できないモヤモヤした感情が胸の奥底に渦巻いてしまう。


「“お前の料理は客に出せるレベルじゃない”って言われたよ」


「えー、マジで?君の料理は凄く美味しいのに」


「・・・ありがとう!じゃあ、ご飯にしよっか」


***


「今日のご飯は、ラザニエッテです!」


「ラザニエッテ?」


「うん、シート状の平らなパスタ麺を使う料理なんだけど・・・」


「ふーん。よくわからないけど、美味しそうだね!いただきます」


「・・・!めちゃくちゃ美味いじゃん!やっぱ君の料理は最高だよ」


「ありがとう!そう言ってもらえると嬉しい」


やっぱり、私の料理は人を笑顔にできる。

その事実を再認識させてくれる彼は、私にとって大切な存在だ。

彼はいつもやや大袈裟に料理を褒めてくれるが、そこに嘘くささが無いのが心地よかった。

心の底から美味しいと思ってくれていて、その想いを私のために全力で表現してくれているのだ。


「あなたのおかげで、元気出た。明日も頑張れそう」


「そうか!それは良かった」


ただ、彼を喜ばせることはできても、プロとしてはまだまだだ。

明日は絶対料理長に「美味い!」と言わせるぞ!


***


「おはようございます!」


「おはよう。あっ、今日から君はホールだけやってくれればいいから」


「・・・え?どういうことですか?」


「君は料理を作るよりも、接客のほうが向いているということだ」


「・・・」


「適材適所ってやつだよ。君は料理の腕はイマイチだけど、ルックスはなかなかのものを持っている。だから、ホールに専念してもらったほうがいい」


「・・・はい、分かりました」


結論から言うと、私は業務中に過呼吸で倒れた。

小さい頃から今日に至るまで、私は誰よりも料理に没頭してきた自負がある。

料理で人を笑顔にすることが私の使命だと思って、毎日毎日頑張ってきた。

料理長はまるで悪意のない子どものように、その尊い日々の積み重ねを粉々にしてしまったのだ。

それと同時に、私の心も限界を超えてしまったようだ。

「ここは君のいるべき場所じゃない」というアラームを発信するように、だんだんと呼吸が深くなっていき、ついには立っていられなくなった。

過呼吸が落ち着くと、目の前に彼氏が立っていた。料理長が連絡してくれたようだ。

「今日はもう帰りなさい」という突き放したような言葉を胸に差し込まれた私は、彼の車に乗って店をあとにした。


「過呼吸で倒れたって聞いた時はびっくりしたよ。一体どうしたの?」


「・・・“君は料理を作るよりも、接客のほうが向いている”って言われた。まるで私の人生を全否定されているような気がしちゃって、心が耐えられなかった」


「・・・そっか。これからどうするの?」


「しばらく休んで、また料理人として頑張ろうと思う。こんなことでへこたれてたら、夢が叶えられないからね」


「・・・僕は、料理人を辞めちゃってもいいと思ってる」


「え?だめだよ。ここで辞めちゃったら、夢を叶えられない」


「ちゃんと聞いたことなかったけど、君の夢って何?」


「そ、それは、“自分の料理で人を笑顔にすること”だよ」


「そっか。その夢ってさ、料理人として大成しないと叶えられないものなのかな?」


「・・・え?どういうこと?」


「料理人として大成して多くの人を笑顔にできたら、それは素晴らしいことだと思う。だけど、別に全員がそこを目指す必要はないんじゃないかな」


「・・・」


「そもそも、なんで料理で人を笑顔にしたいと思ったの?」


「それは、小さい頃に作った料理でおじいちゃんが喜んでくれて、それが凄く嬉しかったから・・・」


「そっか。つまり君は、自分の料理で身近な人が笑顔になることに喜びを見出したわけだ。でもそれってさ、もう既に実現できているよね」


「・・・」


「現に僕は、君の料理で毎日のように笑顔になれる。これだけでも、素晴らしいことだと思うんだ。

世の中には、自分の好きなことや得意なことを極めて、それを仕事に結びつけることが重要っていう考え方があるよね。

でも、僕はその考え方が絶対的な正解だとは思わない」


「・・・絶対的な正解じゃない?」


「うん。僕が昔、プロの漫画家として生計を立てていたのは君も知っているよね。

だけど、その時期は全く楽しくなかった。

漫画家として食っていくためには、厳しい納期を守らなきゃいけないし、売れるために作風を時代に寄せる必要もある。

そういう漫画の描き方は、僕の本意じゃなかったんだ」


「・・・うん」


「僕が漫画を描くようになったのは、小学生の時になんとなく描いてみた漫画を、周りの友達が面白いと褒めてくれたからなんだ。

つまり僕も君と同じ様に、身近な人に喜んでもらえたことが、凄く嬉しかったんだ。

だけど、いつの間にか漫画家になることが夢と思い込んでしまい、苦しい日々を送るようになってしまった。

今はサラリーマンとして生計を立ててさ、ほそぼそと漫画を描いているけど、この状態が凄く心地いいんだ。

今の僕の状態を、“夢を追うことから逃げた“と言う人もいる。

だけど、その表現はちょっと間違っている。

正確には、”夢だと思っていたものを追うこと“から逃げたんだ。

自分の好きなことや得意なことを極めるのは素晴らしいことだけど、それで大成しなきゃいけないというのは嘘だと思う。

仕事は生きていくためだけにこなして、好きなことや得意なことはマイペースに取り組むと、割り切る考え方もあるんじゃないかな。

夢をどう形作っていくかなんて、そんなことは本人が独断と偏見で決めればいいんだ。

・・・あと、最後に言っておきたいことがある」


「・・・なに?」


「・・・僕は君の料理が好きだ。これからも最高の料理を振る舞ってほしい」


「・・・!うん。わかった」


後日私は、会社を退職した。

今はメーカーで事務仕事をしながら、料理をSNSに投稿する日々を送っている。

フォロワーも着実に増えてきて、お小遣い程度のお金を稼げるようになった。

料理人としての道を断ち切ったことに幾分の切なさや後悔はあるけど、これで良かったんだと思う。

あ、あと、私に新しい夢ができました。

それは、




おじいちゃんになった彼を、料理で笑顔にすることです。

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夢を追うことから逃げた TK @tk20220924

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