第1話 木城に住む少年

 時は十年遡る。




―――




 幼い子供の小さな手が、もう一人の幼い子供の背中に触れそうになった瞬間、辺りは黄土色の煙が立ち込め、子供たちを包み込んだ。子供は咳き込みながら、その煙を発した少年に対して、怒ったようには聞こえない可愛らしい声で文句を言う。

「ベニ、樹力を使うのはズルいよ! 使っちゃダメっていうルールだったのにぃ」

 文句を言われた少年、ベニは頭を掻きながら反省の色が見えない謝罪の言葉を述べた。

「ごめんごめん、でもさ、捕まりたくないじゃん?」

 その言葉に皆は不満の表情を浮かべ、ベニに対し文句を言う。

「だって僕たちはまだ樹力を使えないし、ベニの胞子はくしゃみが止まらなくなるんだもん」

 周りの皆は絶え間なくくしゃみをしており、それを見たベニは真っ赤な髪の毛を弄びながら、次は真剣に謝る。

「ごめん。もうしないようにするよ」

「うん、いいよ! じゃあ鬼ごっこの続きしよ!」

 子供はベニの手を掴み、走り出そうとするが、ベニは動かずに言う。

「そうだ、今日は早く帰らないといけないんだった!」

 ベニは今日用事があったことを思い出し、慌てたように皆の元を後にする。そして目的の場所へ向かう。先程まで町中を駆け巡っていたというのに、ベニは再度全力で走る。人と人の間をその小さな体で軽々と抜け、裏道に入った時、冷たく、重い、静かな声にベニは引きとめられた。

「樹力は人前で使うな。そう言ってるだろう?」

 ふと振り返ると、そこには暗い青みがかった紫の髪の毛を束ね黒い衣に身を包んだ若い男がいた。彼はベニを叱るような、それでいて諭すようにゆっくりと重い声音で言う。

「あ、カブト……。いやあれはふと出ちゃって」

 ベニは震えた声で言い訳をする。怒ると怖いカブトという強い認識が、ベニをそうさせる。十二歳のベニに対し、カブトは十七歳。この国では十八歳から成人として認められるが、カブトは周りの者たちより大人っぽく。いや老けていると言おうか、どこか異様な落ち着きがあり、人々を見る目は冷たかった。だが幼いベニにとってはそのクールに見える一面が輝いて見え、カブトが一際格好良く見えたのだ。ベニはカブトの習っている格闘技を修練し、剣術を学び、勉強した。ベニはカブトを目指し、カブトのようになりたがった。カブトもそのように慕ってくるベニを自分の弟のように思い、様々なことを教えた。

 そのうちの一つが、「人前で樹力を使うな」ということだった。

 

 遥か昔、人同士の争いを恐れたベニたちの先祖は木に登り、そこに集落を形成した。樹の上のみでの生活を確立した先祖たちは、より地上を恐れ、地上を地獄と謳った。人は樹と共に過ごし、木の元で生を授かり、死を受け入れた。いつしか人は樹のように、植物の力を手に入れていたのだ。それが樹力。植物の力を手に入れた人間。彼らは自らのことを樹人、樹人族と呼んだ。一人一人血筋関係なくに全くランダムの植物が宿っており、カブトにも同様植物が宿っている。しかしカブトは樹力を一切外に出したことがない。自らがベニに伝えた教えを守っているのだ。自分で言ったことなのだから当たりと言えば当たり前。

 しかしカブトは周りのガラの悪い男に絡まれ、そいつらが樹力を使ったとしても絶対に使うことはなかった。そんなカブトはベニにとって最高のヒーローだった。

「てか、カブトなんでこんなところにいるんだよ!」

 ベニはカブトを指さしながら言う。そのベニの声をカブトは鬱陶しそうに聴きながら、変わらず重い声音で話す。

「既に十分の遅刻だ。師が迎えに行って来いと」

 カブトの目からベニに送られる視線は槍のように鋭くベニを貫く。ベニは少し震えながら謝罪の言葉を述べる。今日は謝ってばかりだと、表情に影を落としながら。

「謝ってる暇があるなら、走れ」

 カブトは黒い衣を風にはためかせ走り始める。ベニと共に通っている武術道場に向かって。


 古い腐りかけた木の柱に手を付きながらベニは靴を脱ぐ。床を踏むと鈍い木と木が擦れ合う音が鳴り響き、その音はベニの緊張感を高めた。普段から緊張すると言うのに、今日は遅刻をしている。師に何を言われるのか。幼いベニには師の怒りが一番怖かった。引き戸を開け、一礼をして畳の敷かれた武道場へ入る。空調設備がないと言うのに涼しい。いや寒いと言った方が正しいか。その寒さの原因はこの建物の断熱がしっかりされていないなどという訳ではなく、他にある。

 武道場の真ん中には道着を羽織り、並々ならぬ覇気を放つ白髪頭の老人がベニたちに対し背中を向け、座っている。彼がベニたちの師、ジュソだ。樹力の副産物である具現を利用した武道を編み出した人物である。ジュソは終始隙のない動きで立ち上がり、こちらに振り向く。その鮮やかな動きはジュソの体を風がすり抜けていくような、空気がジュソを避けていくような。そんな感覚に陥る程であった。

 そして一息ついた瞬間カブトはジュソに殴りかかる。ベニはカブトの動きに合わせ、後ろからついていく。カブトはジュソに向かって、拳を突きだす。

 が、ジュソはそれを手の平で弾き、軽々と躱す。

 しかし避けられるのがわかっていたかのように、流れるような動きでカブトは後ろ回し蹴りを、ジュソの右脇腹目がけて放つ。カブトの脚は確かにジュソの脇腹を捉えたが、ジュソは脚の動きに合わせ横に体を流したため、手応えはない。

 しかし体の重心が未だに変化しているため、ここからジュソは直ぐに移動はできない。

 そこを目がけてベニが殴りかかる。ベニの一発を確実に入れるため、カブトはジュソの空いた右腕を掴み、具現により腕から蔓を発現し、ジュソの右腕と自分の左腕を絡みつかせる。そしてベニの拳がジュソの顔を捉えた。しかし鳴り響いたのは、鈍い骨と骨がぶつかる音ではなく、手を叩いたような乾いた音だった。

 ベニの拳はジュソの左手に掴まれ、ジュソの顔を捉えるには至らなかった。

 ベニは飛び上がってしまったがためにジュソの華麗な体重移動からの投げ飛ばしを喰らい、床に叩きつけられる。床板とベニの背骨がぶつかり合い道場内には鈍い音が響き渡った。カブトも腕を固定していたせいで、体重移動によって、バランスを崩されたところに足払いを喰らい、床に尻を付いてしまう。

 ジュソは未だ道場の中心で静かに佇んでいた。

 カブトは強かった。質の悪い男達に暴力目的で囲まれたとしても、無傷で制圧できる程に。だが相手の顔に拳を叩きつけることはなく、攻撃を受け流したり、足を引っかけたり。それだけで相手を一網打尽にして見せた。そのいつも、いつまでも冷静なカブトは周りから、いけ好かない野郎だの、気取ってるだの言われ嫌われていた。しかしそれは周りの嫉妬や憧れの念によるモノであることにベニは気付いていたため、その冷静なカブトの姿を見て、ベニはいつもほくそ笑んでいた。

 そのカブトを上回る実力者ジュソ。もう既に筋肉は衰え、足腰にもガタが来ている程には歳だろう。腕は細くなり、手に皺がいくつも浮かんでいる。それでもジュソは育ち盛りのカブトの攻撃を華麗に躱し、拘束されている状況でベニの攻撃さえも受け流して見せた。ジュソは圧倒的に強かった。


 攻防が終わった後、ジュソが静かに口を開く。ベニとカブトは直ぐに姿勢を立て直し、正座をしてジュソの前に座る。ジュソが放つプレッシャーと言うべき、重苦しい空気が武道場内を包み込んだ。

「カブト、お前は自らの力を過信していると同時に、ベニの力を軽く見過ぎている」

 カブトは図星を突かれたような表情をして、静かに俯く。ベニはカブトのそういう態度には気付いていた。どこか邪魔そうに、鬱陶しく思っているような仕草。しかしそれと同時に弟のように優しく接してくれることもあった。

 ベニ自身どうカブトに接していいかわからなくなる時もあったが、いつしかその態度を改めさせてやろうと自ら強くなることを決心していた。いつか、カブトの隣にいたとしても、見劣りしない男になると。

「もちろん、実力は確かについてきている。しかしそれ故にどこか相手の実力を測りきれていない。あそこで大振りの回し蹴りは不適切だ」

 戦闘の中、一瞬で相手の弱みを掴み、本来ならそこに付け入る。そして相手を制圧する。それがジュソの教える武道。そこを全て甘んじ攻撃を受け流し、悪いところをこのように伝える。長年鍛えられてきた、勘、センス、そして視覚を主にする把握能力。それを元にベニたちへ伝えているのだ。頂への道を。


 そしてジュソの視線が、ベニへと移る。

「ベニ、お前のあの攻撃はゼロ点だ」

 あと一歩で攻撃を食らわせられたというのに。ベニの顔は悔しさで満たされる。

「攻撃をする際、地から足を離すのは愚かな行為。先ほどのように簡単に攻撃を受け流すことが出来る。しかも飛んでいる最中は無防備、なにをされても避けようがない」

 自分では最高と思っていた攻撃が、一蹴される。

「判断力はまだまだ、だがあそこからの拳の振りの勢いはよかったぞ」

 聞こえた褒め言葉がベニの心の氷を少し溶かす。このふと言われる一言がまた明日頑張ろうという気にさせるのだ。ジュソは再度、流れるように立ち上がった後、背を向け武道場の奥へ歩き出す。そして小さく呟いた。

「人が地から足を離し、生きていけるわけなど」

 その言葉はベニにもカブトにも聞こえてはいなかった。

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