第六幕:この道の先

第41話:火花散る

「――本日、湯摺は体調を悪くしておりまして」

「そうですか。今日、お話しておいたほうが良いと思うのですが。湯摺課長にもう一度お訊ねいただけますか?」


 三、四分を待たされ、再びの女性は断る方向へ持っていった。

 だがウイさんは想定内というように、スラスラ応じる。この喋りの人がセールスでやってきたら性質タチが悪そうで、間違いなく俺は居留守を使う。


「いえ。お入りください」


 向こうもなかなか。即座に方針変更がされ、オートロックの扉が開いた。


「どう……」


 どういうことで、どうしようというのか。ウイさんの正気を疑い、どうしたと問いたくもある。


「さあ? 了くんが来たい言うたけえ」

「さあ、って」


 背筋を伸ばした彼女が、エレベーターの前へ。了も小走りに追い、後ろへ並ぶ。

 順番待ちの必要はないんだ、と笑ってやる気にはなれなかった。


「なんで俺には黙って」

「『ヘイちゃんを困らせとるんは誰?』いうて、イケメンジャーみたいに言われたら黙っとれんかった」


 エレベーターの扉に向くウイさんの眼は強く、鋭かった。けれども了を語る口元、それに拳と脚が笑っている。


「ヘイちゃんに教えたら断られるけえ。黙っとこって、あたしから言うた」


 なるほど。新幹線でトイレに行った時とか、内緒話の機会はいくらでもあった。俺だけでなく、ウイ姉ちゃんと仲良くできるのはいいことと思う。


「そりゃあ」


 ダメじゃろ。と声にしたつもりが、小さくかすれた。「え?」と聞き返すウイさん、困り顔の了も、閉じる扉で見えなくなる。

 ベージュに金色の、豪華なのだか下品なのだかという模様に唾を吐きかけたかった。


 回れ右をしようとして、半身で止まる。

 俺が去れば、二人が追いかけてくると思うのか。そうかもしれないが、可能性は半分だ。

 もし、俺の為にと了が無茶をしたら。


「ヘイちゃん!」


 扉が開く。オートロックと言えど、中からは簡単だ。自動改札も利用できる了ならば。


「僕……」


 ふよふよと柔らかそうな眉が下がりきっていた。見上げたまま、俺の脚に抱きつく。


「分かった。でも、お話するだけじゃけえの? 変なことすなよ」

「うん! 僕、良い子でる」


 これほど簡単に絆されたのではあった。しかし了と、ずっと一緒に居る約束をした。それは俺自身の希望でもある。これくらいで置いていく選択肢は、最初から存在しない。


「約束できるよね。イケメンジャーじゃもんね」

「うんっ」


 改めてエレベーターのボタンを押したウイさんが、念押しらしきことを言う。しゃがんで、彼の手を取って。

 元気のいい返事の頃には、エレベーターの扉が開いた。俺も拘ったことを言わず、乗り込む。ただし胸に、油断しないと強く持って。

 土産物の店で鎧が崩れ落ちた時、了は自分がやったと言わなかった。


 四〇四号室の前に立つと、了とは繋がりのない緊張にも襲われた。全力で百メートル走った後みたいに息が上がり、心臓の打つのも激しい。


「ヘイちゃん、大丈夫?」


 また潤んだ目で、了が見上げる。それほどあからさまに苦しげだったようだ。息を落ちつけるのと併せ、彼と同じ位置まで視線を下げた。


「正直、ちょっと緊張はしとるの。でもちゃんと話をつけられたら、これから了と一緒にるんも心置きないわ」

「そうなん?」


 現金な奴。心配の中にも、ちょっと嬉しそうだ。思わず笑って、頭をゴシゴシと強く強く撫で回す。


「じゃけえ、頑張るわ」

「うん!」


 何をどこまで理解しているやら。事情もだが、俺の気持ちも。

 そんなに気持ちよく笑ってくれては、悪の皇帝だって蹴散らせそうに思う。


「じゃあ」


 何が、じゃあだ。何やら完全に読み取った風に、ウイさんは呼び鈴のボタンを押す。ここにもインターフォンの機能はあるようだが、すぐに扉の向こうへ人の気配がした。


 内錠とドアガードを外す音が忙しい。その割に扉が開くのは柔らかく、サマーニットにロングスカートの女性が出迎えてくれた。

 緩いパーマが茶色く感じるのは、たぶん白髪染めだろう。四十代半ばくらいの女性は、その場で深く腰を折った。

 たまには肉を食べたほうがいいですよ、と余計なことを言いたくなるほど鎖骨が浮いて見える。


「湯摺の家内でございます。狭いところですが、どうぞ中へ」


 釣られて俺も、同じように頭を下げる。上げた時には、もうウイさんがサンダルを脱ごうとしていた。

 慌てて追いかけ、湯摺課長の奥さん——湯摺夫人の前で屈む。

 夫人の目は、明らかに俺を問題外としていた。ウイさんの背中、ウイさんのサンダルに、点火せんばかり凝視する。

 元とは言え上司の家だ。非常識を責めているとも否定できないが。


「こちらです」


 玄関に近い引き戸を夫人は案内した。もちろん開けてもくれて、俺などは「ど、どうもです」なんてオドオドしてしまう。


「ありがとうございます」


 まっすぐ伸びたピンク色の背中が、部屋に入って一歩で止まる。縮こまりかけたが、思い直したように戻った。


「お久しぶりです」


 小さく、だがゆっくりとした動作。部屋の中の誰かに、ウイさんの頭が下がる。

 誰かなんて言わずとも、「久しぶりじゃね」と親しげな声を聞かずとも、湯摺課長その人に他ならないけれど。


「変わった組み合わせじゃね。君らが知り合いとは知らんかったよ」


 ホームセンターで見覚えのあるようなソファーで対面すると、課長はもう一度「久しぶり」と言った。

 ネクタイこそないものの、仕事で着るスーツ。ひたすらクドい黒縁眼鏡。薄くなり始めた頭頂をごまかす為の短髪。

 記憶のまま、変わらない姿がそこにある。

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