第8話

「55歳ですか、うーん……」


 職業斡旋所の窓口で、サラは職員と睨めっこになった。

 口元だけ笑顔を形作って、職員は問う。


「学歴……はなし、ですね。失礼ですが職歴はありますか?」


「公爵夫人歴35年ですけど」


「……ええと、では子育ての経験はありますか? 得意なことは?」


「子育てはありません。得意……、そうね、刺繍とか、バラの手入れとか」


「刺繍、なるほど。では針仕事は出来そうですね。ドレスを一着縫ったことはありますか」


「いいえ、ありませんわ」


「そうですかあ。35年間何もやってこなかったんですかあ」


 職員は深いため息を吐いた。

 何もやってこなかったとはなんて失礼な言い草なのだろうか。


「では、ええと、音楽はどうですか。ピアノとかバイオリンとか」


「楽器は不得意ですが歌曲は好きですわ。一曲歌ってみますね」


 サラが立ち上がるのを職員が押しとどめた。


「けっこうです、けっこうです。では外国語はどうですか。翻訳は需要があります。人に教えられるくらい堪能でしたら教師の口もありますよ」


「……私に出来そうな職業は他にないんですの?」


 発声を遮られたサラは不満げに鼻を鳴らした。

 職業斡旋所の壁という壁には求人案内が重なるように貼られている。あれだけの求人があれば自分に相応しい職業は選り取り見取りのはずだ、とサラは考えている。

 だがよく目を凝らして見れば、条件の欄に『35歳以下』と書かれているものが多い。見間違いかもしれないが。というのも、最近は字を読むときにぼやけて読みにくいことがあるからだ。


「本当に失礼な話なんですが、年齢的に難しいこともありまして……」


 職員は数枚の紙片をサラの手元に滑らせた。

 年齢不問。サラは目頭を指でよく揉んだ。しっかりと確認しなくてはならない。

 業務内容を見る。『清掃』『調理補助』『洗濯婦』『建物管理人』


「私としては……物足りない……おおいに物足りない仕事ですわね」


 不平が喉を滑り落ちないように必死で飲み下した。声が掠れている。自分が思っているよりもショックが大きい。嗚咽が洩れそうになるのを必死で耐えた。

 公爵夫人として生きた35年が何の意味もなかったと告げられたのだ。目の前が真っ暗になった。

 だが考えてみれば、たしかに、どんな35年間だったのかと訊ねられたら、何を答えたらいいのかがわからない。ふと気が付いたら、いつのまにか35年が経っていたのだ。

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