第7話 君の背中
――君は生きてくれるはずだろう。そのためにあの時、僕を引き留めたのだから。
……実際の時間は、どれだけのものだったのだろうか。
一瞬にも永劫にも感じられた意識の混濁を経て、エドははっきりと目を見開いた。
「――――」
その身は既に満身創痍。いつ意識が途切れてもおかしくはない。
だがそれでも魔術はほぼ完成していた。魔導書の自動筆記により、もはや最後の一節を継ぎ足すだけで、それは完成する。
「――――――」
……もはや限界を超えた身体の中で、エドがその魔術を完成させることができのは、ある種意地のようなものだったかもしれなかった。
もはや言葉は要らない。
声も要らない。
──いいよ、我慢しなくても。全部力を出してしまえばいい。
視界を遮る邪魔な眼鏡を取った。
とたん、エドの瞳に黄金の輝きが灯る。
「……! これは、この魔力量。こんなの見たことがありませんわ!」
スカーレットが驚きの声を上げるのが聞こえた。
それは、エドに封じられたとある秘密の発露であった。
彼が学院で距離を置かれていた理由であり、いなくなってしまった彼が残していった置き土産。
超高密度の魔力の奔流が輝きとなって世界を埋め尽くしていく……。
「fabfabva!」
「bdasbgabgbsbsb!」
その輝きが妖精たちを捉え──討ち滅ぼしていった。
あとに残ったのは……虹の輝きが消えた、灰色の世界。
そこに倒れる血塗れの少年と、彼に駆け寄る少女だった。
◇
ざ、ざ、ざ、と遠くで足音がしていた。
それはひどく遠い場所から聴こえる足音。
音を聞くだけでもわかるふらついた足取りに、エドは少し不安になった。
「貴方は、本当に……本当に……バカなんですか」
耳元で、誰かの声がしていた。
「私は逃げろと言ったのです。私を置いて逃げて……逃げてよかったのです」
暖かいな……とぼんやりとしたことを思う。
エドはその時、誰かの身体の熱を感じていた。動かなくなってしまったこの身体を、親切な誰かがおぶってくれているようだった。
「だって私は、AX階級……曲がりなりにも人の上に立つ者ですのよ。
一方あなたはBX099。ラストナンバーです。この場でもっとも立場の低い者です。
だから、あの場は逃げてよかったのです。私のことなど見捨てて、自分のことだけを考えて、それでよかったのです」
時折、その声の主は息を荒く吐いていた。
かなり無理をしているのが伝わった。だけど、それでもエドの身体を捨てようとはしなかった。
彼女自身、相当なぼろぼろの身であるのにも関わらず、力強く、手を握ってくれていた。
「私、スカーレット・ウォーカーは福音機関の娘です。
ロクシェメリスに名を持つ機関の者として、現代にあるべき貴族の姿を示すものとして、この戦場に志願したのです。
お兄様たちは止めました。上に立つ立場の人間はわざわざ戦場に行かなくていいと、裏で手を回そうとしていました。
ですが、そんなのおかしいでしょいう?
むしろ上に立つ者こそ、こうした局面では矢面に立たなくてはならない。貴方のような者たちの代わりに戦い、死ななくてはならない」
声は続いている。
きっと返答を求めているわけではないだろう。
自分を貫く一つの軸、信念と呼ばれるものを言葉にすることで、必死に力を得ようとしているに違いない。
「……でも、怖かった。本当のことを言うと、震えていた。
だって、いざ戦場に来ると、自分はまだ子供で、何かを知った気になっているだけのものだってことがわかってしまったんですから。
理論ばっかりで浮足立って、何より自信が持てなくて……だから、ごめんなさい。貴方や椿姫さんに、当たってしまって……」
だが、次第にその声は弱々しくなっていく。
安全な場所までたどり着けないかもしれない。そんな不安に、彼女は苛まれているようだった。
「にも拘わらず、貴方に逆に守られる始末。本当、本当、バカですわ……私は、私は」
そのか細い声にエドは少しだけ、申し訳ない気分になっていた。
「…………」
だから、エドは握りしめられた掌に、少しだけ力を入れた。
もはや腕に感覚はなかったが、それでもなんとかして、意図を伝えたかった。
「――――」
すると、誰かが息を呑むのがわかった。
「……生きなさい」
そして少しだけ強い語気に戻って、
「絶対生きるのですよ、私がこの身に替えても、絶対に生かしてさしあげますからね!」
おせっかいな人だなぁ。
そうぼんやりと思いながら、エドは再び目を閉じた。
だいぶ眠くなっていた。それに疲れも限界だった。
誰かの背中の暖かさに身を任せて、今はただ、寝てしまおう――
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