第3話 妖精狩り

「は?」

「だから逃げよう。何かが来るんだろう? それも恐らく、とても危険な物だ」


椿姫は真面目な顔して荷物をまとめ始めた。

その所作に迷いは感じられなかった。廃墟の中に用意された簡易ベースの中から食料や魔導書などを鞄に詰め始めている。


「敵前逃亡は呪殺だ、許されない」

「どのみちここにいても死ぬ。お前の感覚を私は信じる」

「おい、僕は君の進退まで責任持てないぞ。ただ危ない感覚がするからそれを上に報告しようと――」

「そうか、じゃあお前は来なくていい。だが私は生き延びたいんだ。

 本音を言うと私はお前と共に生きたいのだが、そういうことなら仕方ない。惜しみながらも去ろう。さらば友よ、私はお前のことが嫌いではなかった」


彼女の言葉に迷いは感じられなかった。

おいおい本気で逃げる気かと口を開けるエドだったが、


「ALAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA」


その時、異様な音――およそ人間の可聴範囲ギリギリの甲高くヒステリックな声と、それに交じって響き渡る鋭い翅音。


エドは顔を上げる。マナの流れが急速に早まっていた。

その急激な勢いにエドは思わず右眼を抑える。魔法士としての研ぎ澄まされた感覚が、その急激な変化に対してある種の“酔い”を与えていた。


それが意味することは妖精の襲来であった。


「……っ」


エドはその“酔い”を振り払い顔を上げた。

ここで動きを止めてはいけない。ここでの静止は――そのまま死へとつながる。

ふと見上げた先。魔導加工の施されたレンズの向こう側には、奇妙な虹がかかっていた。

それはマナの軌跡であった。赤青白緑黒とぐちゃぐちゃの色彩が頭上でアーチを描いている。


「oo,avvdfvtrbb,abVrbrtrshBDat!」

「vbsdhtg! wdbfa! sbwpbmopr! barbt!」

「brotrmw,grbd? .brht? brthrnhywrjukz??」


聞き取れない甲高い鳴き声。妖精符丁フェアリイノート

それは“春”の国にて舞い踊るとされる武装妖精たちだった。


見れば遠くで虹を滑るように無数の妖精たちが、その色鮮やかな翅を広げてこちらへと迫ってきていた。


遠目で見るそれはまるでイナゴの大群である。不快な翅音を立てながら妖精たちは空を埋め尽くしている。


「――まずいぞ、これは。マジですごく、かなり、ダメな感じだ」


上手く言葉にならず、とりとめない感覚がそのまま口から出ていた。

エドの理性は状況をあまりにも危険な状態だということを告げていた。


「敵に見つかった。完全に想定外の方向から見つかって、襲撃を受けている」


エドはこぼれでる感覚を整理し、必死に状況を言語化した。

まとめてみるとあまりにも単純な状況だった。

エドが直近で感じていたマナの流れのおかしさはこれだったのだ。違和感に対して、あまりにもシンプル過ぎる解が付きつけられてしまった。


――作戦中止。即座に撤退を……! どこからか情報が洩れ――


胸元に入れた宝石が震え、“X学級”の指揮官にあたるハリエット・AX003・ブルーノートの声が聞こえたが、すぐさま悲鳴にかき消された。


「きゃああああああああああああ!」

空から降りそそぐ妖精たちの軍勢に、街中から学生たちが上げた悲鳴だった。


これが正規の軍ならば指揮系統に従い、目の前の状況に対してなんらかの対処をしようとしただろう。

だがそんなことまで気を回せる余裕は学生で構成された“X学級”にはありはしない。


「椿姫! とりあえずスカーレット隊長たちと合流して撤退を――」


エドは振り返って言った。

とにかく何とかして逃げる方法を考えるべきだと考えたのだが――


「いない」


椿姫の姿はそこにはなかった。


「もう逃げたのか。すごいな、頭の回転が速い」


エドは思わず感心してしまった。あまりにも早い。その機転の速さは見習わなくてはならない。

というか恐らくエドの感覚――何か危ない気がする――という言葉を本気でとらえ、奴は一足先に逃げることを決めていたようだ。

その結果として、おそらくこの妖精襲撃を一手早く逃れることに成功している。

おそらくすでに隊から離れ、冷静に街からの脱出を狙っている頃合いだろう。


――といっても、逃げられるか怪しいが。


エドは椿姫のことを考えることを一旦打ち切った。

とてもではないが彼女のことを心配している余裕はない。生きていてくれ、とただエドには祈ることしかできない。


エドはひとまず拠点としていた場所から距離を取るべく走り出す。

ああしたマナの残留物がある場所は真っ先に見つけられる。

放置された石造りの道を蹴り、辺りの建物にいったん身を隠す。

隊長やほかの知り合いがいないか確認したが道中見つけることはできなかった。


建物から顔を出し、外の様子を窺うと、ほどなくして妖精たちが降りてきたのが見えた。

武装妖精と呼ばれる類の妖精は、小鬼の流れをくむ形で生まれたとされる。

それゆえ一般的な妖精よりも幾分か大きく、人間の半分ほどの背丈があった。


そのどれも一見して美しい外見をしている。少年とも少女ともつかない華奢な身体つきをしており、それが鮮やかな色彩の翅をもって飛ぶのだ。

だがよくよく見るとその関節部は、鋭利な装甲に覆われており、その指は異様なほど長く鋭い。強靭な針をもって人を刺し、マナとして吸い取ってしまうのである。


「AAVaofmvodsLGDGSGAA? avrfdab? abfababtaegth?」


聞き取れない妖精符丁フェアリイノートが町中に響き渡る。

ひどく不快な響きであった。

それに対して、学生たちの悲鳴がそこら中で重なり、異様な雰囲気が街を包み込んでいた。


学生たちはロクに組織だった行動もできずに次々と針を突き立てられているのがみえた。

けたけたと笑う妖精たちは学生を突き挿し、捉え、空へとそのまま運んでいく。


「……舐めていたってことだよな、僕も、みんなも」


その光景を前にエドは呟いた。

“妖精の国”と“機械の国”は今まさに戦争をしている。

妖精たちに攻撃をしかけんとエドたち“X学級”は慣れない軍人の真似事をしていたのだ。


もちろん学生の部隊など大して当てにされていない。

それを学生たちも知っていたから、緊張しつつもどこか弛緩した様子だった訳だが。


「……敵には関係ないよな、そりゃあ。全力で殺しに来る」


色の違う制服を見る。

軍服として与えられたそれは、魔導学院の制服を改造したお粗末な品だ。

だが確かに“機械の女王”をあしらった紋章が刻まれており、自身の陣営を明らかにするものだ。

こんなものを着ているのだ――言い訳は、できない。


狩る筈だった妖精たちに、今自分たちは狩られようとしているのだ。

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