間話 消えた同人誌の謎?


 おい、ふたりともちょっとそこに座れ。

 僕は部屋を訪ねてきた西園寺と、昨日我が家で深酒してソファでへばっている北条に声をかけた。


「どうしたんだい?」


「ちょっと待って……。それ、今じゃなきゃ駄目なやつ……?」


 西園寺は荷物を置いて普通にミニテーブルの前に座ったが、二日酔いが酷いらしい北条は寝転んだソファから動くこともできないようで、電灯の光を避けるように腕で目隠しをしながらうめくように声を出している。

 しかたがない、北条はそのままでいいから話を聞け。すぐに済むから。


「ふぁい……」


 一応聞く姿勢を見せるためか北条は仰向けにしていた身体をテーブルの方に向ける。身体の動きよりも遅れるようにぶるりとソファに落ちる乳から目を逸らしつつ、僕は傍らに置いていた本をミニテーブルに載せた。

 今掃除してたらこれを見つけたのだが、持ち込んだやつは素直に白状しろ。

 通常の書籍に比べ大きめでページ数の少ないその本の表紙はカラフルなイラストになっている。イラストの中心にはメイドのような制服を着ている美少女。背景がどこかの喫茶店の様に見えるので、そこで働いている給仕なのかもしれない。

 問題は、その人物の制服がやたら乱されていて肌の露出が多いことと、表情がとろけている上、背後の男性に腰を掴まれており、直接は見えていないがどう考えても入っている体勢であることだ。

 ……無駄に長々と説明してしまったが所謂えっちな同人誌である。そもそも言葉にするのもはばかられるタイトルの横に成人向けと書いてあるのだが。

 とにかく、他人様の家にこんなブツを持ち込んだやつには説教の一つもせねばなるまいと容疑者を集めて問い詰めた次第である。

 こういうブツを所持していそうなのは、オタクな北条であるのだが、西園寺も臆面なくこういうブツを持ち込む性格をしているので可能性は否定できない。

 さて、どちらだとふたりを睨めつけていると、するっと手が上がった。……それもふたつ。

「ああ、それはボクのだね」


「あれ?それ、あたしが持ってきたやつだ」


 西園寺は悪びれもせず。北条はしんどそうな顔で答えてから、ふたりは驚いたようにして顔を見合わせた。

 ……おい。

 思わず呆れた声を出す僕に、困惑した様子のふたり。西園寺がおそるおそると言った様子で口を開く。


「いやあ……。家に届いたやつを持ってきたのは間違いないから、たぶんボクのだと思うんだけど……」


「あたしも昨日ここに来る前に店に行ってそれを受けとってきてるんだけど……。あれえ?」


 お互いに所有権を主張しつつも、どこか遠慮がちなのは相手が嘘をついているとは考えていないからだろう。僕も同様の考えだ。というか、こんなすぐにバレそうな嘘を真面目に吐くようなやつなど早々おるまい。

 つまり、ふたりとも同人誌を買ったのは真実ということだ。商業作品ならともかく、同人誌を揃って買う偶然もそれをうちに持ち込もうとする思考回路も理解しがたいが。

 そうすると、この同人誌はどちらが持ってきたブツで、もうひとりの同人誌はどこにあるのかという謎が生まれる。


「ううん。一応確認したけど、やっぱり手元にはないね」


「……あたしのリュックの中にも無さそうねえ」


 西園寺も北条もそれを理解してか、自分の荷物の中に混ざっていないか確認しているがやはり見つからないようだ。

 部屋の中は先ほど割としっかり掃除をしたのでそれなりのサイズの本を見落とすことはないだろう。一応ベッドの下等の死角になりそうな箇所を確認したがそれらしいブツは見つからなかった。


「これは困ったな。ボクは確かにこの部屋に持ち込んだと思うんだが……」


「あたしも店で予約したやつを受け取ってからここに来て、ずっと居座ってるから部屋の中には絶対あると思うのよねえ」


 つまり、手元の一冊は所有者が不明であり、もう一冊は行方不明ということだ。


「なるほど、部屋の中で忽然と消えた同人誌の謎か……。ミステリー小説のネタにできそうな内容じゃないか」


 文芸サークル部員である西園寺は状況を楽しむように目を輝かせている。

 だが、そんなしょうもないミステリー小説なんてあってたまるか。どうせうっかり見落としたとか、どっかの隙間に落ちてるとか、そもそも部屋に無いとかそういう話だろう。


「夢が無いなあ。こういう日常の何気ないことが作品のアイディアにつながるものだろう?」


 確かに創作においてそういった部分があることは否定しない。僕だって他人事として聞く分には同じように思うだろう。

 だが、そのなんちゃってミステリーの舞台が僕の部屋であるなら話は違う。部屋に有るとか無いとか、誰のモノだなんて面倒な話の当事者にされるのは勘弁願いたいのである。


「まあ、無いとは思うけど君が犯人である可能性は無きにしもあらずだからねえ。本人にそのつもりが無くとも他の物と一緒に片付けた、なんてこともありえるわけだし」


 そういうことだ。


「どちらにしろ、今見つかってる同人誌がどっちの物か判別しなくちゃだし、どこかにいったもう一冊の行方も捜さないといけないね。とりあえず、そもそもこの同人誌はどこで見つけたんだい?」


 これは何故か枕の下に敷いてあった。枕カバー外そうとして手に取ったらこんなのが出てきてマジで驚いたわ。


「枕の下?なんでそんな所に?」


 会話をして気が紛れてきたのか、多少顔色のよくなった北条は、不思議そうな表情を浮かべつつ呟く。西園寺も同じ様な表情をしているので、心当たりは無いのだろう。

 正直な話、こんなよくわからない展開になってしまってもったいぶったようになってしまったが、この情報を開示するだけで所有者だけは簡単に判別がつくと思っていた。まさかどちらからも声が上がらないとは。


「こうなると、本格的な捜査が必要だね。ボクも率先して捜査したいところだけれど、被害者かつ容疑者のひとりだからフェアじゃないし、一番犯人である可能性の低い君に捜査権を進呈しよう」


 容疑者である西園寺から仰々しい権利を押しつけられる。

 何で僕がそんな面倒なことしなくちゃいけないんだ。


「まあ、被害を受けていない第三者は君しかいないからね。公平な立場として進行をしてくれたまえよ」


 事をわざわざ大袈裟にしたがるやつめ。じゃあ、探すのはめんどくさいからこの件は迷宮入りとしてこの一冊を二人でシェアするように。

 僕の迅速な判決に、ふたりから抗議の声が上がる。


「それじゃつまらないじゃないか。せっかくなんだからそれっぽく話を進めてもらわないと」


「あたしとしても人気作家が書いた人気原作の本だし、できればちゃんと手元に置いておきたいんだけど……」


 むう。……仕方ない。まあ確かになくした物をそのままにしておくのも座りが悪いし、ちょっと探すぐらいはした方がいいか。

 しかし、これって人気作なんだな。確かにどっかで見たような気がするキャラクターだ。


「なに?あんた『じょひます』知らないの?原作ラノベは売れてるしマンガにもアニメにもなったのに」


 僕、あんまり人気だからとかで作品読まないから……。マンガはともかくアニメは自分のペースで視聴できないからあんまり見ないし。


「あんたねえ……。そうやって流行り物に乗っからないで独自路線を貫こうとするから友達ができないんじゃないの?共通の話題ぐらい持っとかないと人とおしゃべりなんてできないでしょ?」


 なんで作品ひとつ読んでないだけで心を抉られなきゃならないんだ……。友達いない勢の西園寺もとばっちりを受けて気まずそうに明後日の方に目を逸らしている。

 そ、そんなことどうでもいいんだよ。とりあえず昨日の行動を話せ。何か手がかりになるかもしれない。


「それもそうだね。それじゃあボクから話そうか」


 僕の軌道修正に自分も気まずい西園寺が乗っかってくる。


「と言っても、たいしたことは話せないんだけどね。ボクは予約していたこの同人誌を家で受け取って、それを持ったまま大学に向かったんだ」


 ええ……。エロ同人誌を持ったまま大学に来たのかよ。お前は……。


「家に置いておこうかとも考えたけど、たぶん何度も読み返すと思ってね。この部屋に保管しといてもらおうかと……。とにかく、普通に大学で講義を受けて、終わったら直接この部屋に来た。それからの事はふたりも分かってると思うけど、一緒に飲んで騒いで、家の方で用事があるから終電前に一度帰って今日用事を済ませたから戻ってきたんだ」


 この部屋に置いておこうとするのは家主として抗議したいところだが、それは後にしよう。ここに来たときに同人誌は置いていったのか?


「そうだね。部屋に来てすぐカバンから取り出してテーブルに置いておいたんだけど、酒を飲んだらつい忘れてしまったんだ。いやはや、これも酒の失敗に入るのかな」

 

 ストロングチューハイなんて一気するからそんな事になるんだよ……。少しは肝臓さんのことを労ってやれ。


「ボクの肝臓は頑丈だからね。今まで異常を訴えてきたことは一度も無い、優秀なやつなのさ」


 それは肝臓さんが寡黙すぎるだけなんだよなあ……。


「飲んでるときはもうテーブルの上にそれっぽいものはなかったと思うけど……。どうだったかしら」


 テーブルの上の物なら酒やつまみを広げるときにまとめて片付けた覚えがある。


「そうすると、その中に混ざっていたんじゃないかい?それを探せば……」


 いや、さっき掃除したときに整理したけどそれらしい物は無かった。こんなサイズの本が混ざってたら本の存在を知らない僕でも気がつくはずだ。


「まあ、そう上手くはいかないわよねえ……」


「いやあ、どうしたものかね。ボクとしてもできれば諦めたくないんだけどなあ。かと言って、買い直そうにも次の入荷がいつになるかわからないし」


 北条のぼやきに同意しつつ、眉を寄せて悩ましげな様子を見せる西園寺。

 どうでもいいけれど、普段は小説ばかり読んでいる西園寺がマンガの同人誌なんて珍しい。推しと言うぐらいだから過去に出された物も購入しているのだろうが、そんなにお気に入りなのか。


「ボクだってマンガを読まないわけじゃないよ。マンガだけじゃなくて、アニメとかドラマみたいな映像作品が小説の創作をする上で参考になるのは間違いないからね」


 まあ、それはそうだな。小説以外の作品に感銘を受けて創作意欲がかき立てられるなんてことはよくある話だ。つまり、西園寺にとってその同人作家の同人誌は創作の参考になる作品だと……。

 ……エロ同人が小説の参考になることなんてあるのか?


「大いに参考になるから推してるんじゃないか。この作家さんの作品を見つけたのは偶然だったけど、ストーリー構成だとか言い回しなんかが独特ですごく勉強になるよ」


 西園寺がここまで力説するのも珍しい。まあ、作品に対する感受性なんて人それぞれである。エロ同人からでも何かを吸収できる西園寺の感性が優れているということにしておこう。


「特に今回の題材は男女で同じぐらいうけてる『じょひます』だからね。この作家さんが題材にしてくれるとは思わなかった。ネットでもちょっとした話題になったんだよ」


 ふうん。最近のラノベとかって男性向けと女性向けで大分方向性が違う気がするけど、万人受けする作品ってのは珍しいな。ちょっと僕も興味が出てきた。

 まあ、その辺は面倒事を片付けてからにしよう。西園寺の話は分かった。それじゃあ北条の昨日の行動を教えてくれ。


「ああ~。……その、ね」


 僕が水を向けると、北条は困った様に口をもごもごさせ逡巡していたが、やがて申し訳なさそうに切り出した。


「ごめん、ぶっちゃけ飲み過ぎて記憶がないのよね……。飲み始めたぐらいまでの記憶はあるんだけど後はさっぱり」


 ああ……。そういえば北条はそんな酒に強くないくせに、昨日は浴びるほど飲んでいたな。そういう飲み方をするときはほぼ間違いなくパチンコに負けたときなんだけど。

 そもそも安いストロングチューハイを買い込んで来たのが北条である。嫌なことを忘れるためにこれほどお手軽な手段もないだろうが、酔っ払いの世話をさせられたこちらの身にもなって欲しい。酔ってウザ絡みしてくるのを引き剥がすのも大変だったし、トイレを吐瀉物まみれにされないように介助するのもめんどくさいことこの上なかった。挙動が不審過ぎて寝入るときも不安で仕方なかったし。

 その上肝心の部分を覚えていないとは。


「とりあえず覚えてるのは、駅前のアニメイトで同人誌を受け取って、そのままパチンコを打ちに行って、ボロ負けして……。なんとか残してたなけなしのお金でスーパー行ってお酒買って、ここに来て飲み始めたところまでね。同人誌を受け取った時の高揚感がどっかに吹き飛んじゃったわ」


 敗因は本を買ったときに家に帰って読もう! とならずにそのままパチンコを打ちに行ってしまったことだな。ていうか楽しみにしてた物を手に入れた時ぐらい打ちにいくのを我慢しろよ。


「テンション上がってるときって、今日は勝てる感がすごい出てくるのよねえ。大抵そういう時に打つと負けるんだけど」


 わかってるならなおさら打つなよ……。


「それで我慢できたら店に通い詰めないっての。ちなみに、すごい嫌なことがあった時とかにやけになってお金を捨てるぐらいの気持ちで打つと意外と勝てるわ」


「それはもうオカルトの域じゃないかな……」


 今の時代、賭け事にオカルトを持ち出すのは負けフラグでしかないんだよなあ。


「はあ……。パチンコは負けるし同人誌はよくわからないことになってるし……。高校時代の友達と読んだら感想を語り合おうって約束してたんだけどなあ。お互い守備範囲が違うからこういう一緒に語れる作品って中々ないのよね」


 北条のオタク趣味は男性向けの作品ばかりに偏っているので、その友人は普通に女性向けの作品が好きなのだろう。原作ならともかく、エロ同人を男女両方の視点から語れるのは作家の書き方が上手いのか、作品の懐が深いのか……。


「しかし、思ったよりも情報が集まらなかったなあ。ミステリー小説の探偵役みたいに華麗に事件を解決するには材料が足りなすぎるね」


「あたしに昨日の記憶がちゃんとあればなんかわかるかもしれないんだけどなあ。ていうか、私が酔ってる間になんかやっちゃったのかも……」


「いや、別にナツのことを悪く言うつもりはないんだよ。小説みたいに証拠や情報が都合よく集まるなんてことないだろうしね」


 おや、いつも酒を飲む度に物語フィクションのお約束を語ってる西園寺らしくないじゃないか。


「それとこれとは別の話だろう。情報が足りないんじゃ推理のしようもないじゃないか」


 それは物語の名探偵みたいに百点の回答を導き出そうとするからそうなるんだ。今回みたいなの状況はどちらかというと刑事物の分野だろう。


「刑事物って言うと、足で探せってことかい?」


 いや、どちらかというとしらみつぶしに探せってところだろう。

 ふたりが本当に同人誌を我が家に持ち込んでいて、かつここから持ち出していないと言うのなら、部屋の中のどこかに必ずもう一冊も見つかるはずだ。幸いノーヒントというわけではなく、飲み始める前の状況は揃っているのだから。


「いやまあ、そりゃあ部屋をひっくり返せば出てくるかもしれないけど、さっきの話で同人誌のありかを絞ることなんてできるの?」


 そうだな。とりあえずふたりの話でわかるのは、西園寺は同人誌を荷物から出していることと、北条は酔っぱらっている時の行動はわからないが、少なくとも飲み始める前には同人誌を取り出してないことだ。本人にそういった記憶があれば別だが。


「……そう言われると確かに記憶にないかも。けど、酔っ払ったあたしがなんかやってたらどうしようもなくない?」


 どうしようもないというか、西園寺にも僕にも何かした記憶がないなら、西園寺の同人誌を動かしたのは北条で間違いあるまい。僕は昨日の記憶はしっかりしてるし、西園寺も自分の足で帰れる程度にしか飲んでないから大丈夫だろう。


「確かにね。ボクの記憶が正しければ、一緒に飲んでる時、ナツは荷物を触ったりとかそれらしい行動はしてなかったとは思うよ。何かしているならボクが帰った後かな?」


 西園寺が帰った後はトイレで吐いてるかソファでぐったりしてるだけだったと思うが、しっかり見てたわけでもない。人がシャワー浴びている間にベッドを占領していやがったので、その時点で同人誌を見つけて枕の下に突っ込んだのだろう。なんでそんな事をしたのかは理解しがたいが。


「枕の下に本を忍ばせると夢に出てくるなんて話もあるからね。それを狙ったんじゃないかな」


「確かにいつも『じょひます』の世界で喫茶店の壁になってヒロイン達を見守りて~って考えるかも」


「やっぱりナツは学園側じゃなくて喫茶店側なんだね」


「そりゃあね。友達の方は学園で教室の黒板になりたいって言うけど」


 学園とか喫茶店とかの設定はよく分からないが、壁になって登場人物を見守りたいというのはオタクな女性がよく口にする文句だ。

 北条もそういう女性らしい願望を持っていたのか。


「そりゃあね。心の中のイマジナリーリトルボーイじゃヒロインを貫けないし。実物がある男とはちょっと作品の見方も違うって」


 分かりづらい婉曲表現を使うんじゃない……。というか、その短絡的過ぎる発想はよせ。

 ……とにかく、想定される状況はふたつ。この同人誌は北条の物で、酔った北条が自分のリュックから取り出して枕の下に敷いた。西園寺の同人誌は何らかの理由で部屋のどこかにある。


「そういう話になると、部屋の中を一からひっくり返さないといけなくなるね」


 それはめんどくさいからできればやりたくない。それでもうひとつは、この同人誌は西園寺の物で、酔った北条が部屋でこれを見つけて枕の下に敷いたパターンだ。


「……それって、結局あたしが自分の同人誌をどっかにやっちゃったって話じゃない?」


 その可能性もおおいにありえる。が、このパターンだとちょっとだけ別の可能性が出てくる。


「別の可能性って?」


 北条が自分のリュックの中の同人誌をさわっていない可能性だ。つまり、北条のリュックの中に北条の同人誌がまだ入っているということが現実的なレベルで想定できる。


「そういうことか。同人誌をわざわざどこか分かりづらい所に置いたなんてあやふやな想定よりも、リュックの中に入れっぱなしでしたの方がありえそうだね」


 西園寺は得心したようにうなずくが、北条は微妙な表情だ。


「いやまあ確かにそうかもしれないけど、あたしだってさっきちゃんとリュックの中を調べたのよ?」


 とりあえずもう一回念のためってことで中身を全部取り出して確認すればいい。それで見つからないなら面倒だが諦めて家捜しするしかないのだ。


「そういうことならいいけど……」


 不服そうに口をとがらせつつも、北条はリュックを開き中身を取り出し始める。講義の教科書やプリントの束が入ったファイルやら女の子らしい小物入れやら、いろいろな物が出てくるがそれらしいものはみつからない。


「……はい、これで最後かな。やっぱりそれらしい物は無いわねこりゃ」


 すべての物を取り出し終えた北条がリュックを放り出してつぶやく。その時、床に落ちたリュックに違和感を抱いた。

 ……北条、リュックの中を見てもいいか。


「ええ?まあ別にいいけど」


 怪訝そうな北条から許可をもらってリュックを手に取る。開いた口から中を覗くが当然それらしいものは見当たらない。しかし、僕が注目したのは別の部分だ。


「ううん、プリントの束の中にも混ざってなさそうだね。やっぱり家捜しかなこれは」


「しゃーないかなあ。むしろ家捜しして出てきてくれるといいんだけど……」


 ……いや、それは必要なくなった。


「……え?」


「ん?」


 こちらを振り向いたふたりに見えるように、北条のリュックからブツを取り出してみせる。表紙が見えないように包装されているが、件の同人誌とサイズが酷似したそれの中身を取り出すと、肌色多めなイラストが描かれた表紙の本が出てきた。


「うそっ!どうして!?」


 北条は信じられないと言わんばかりに叫んだ。自らも確認したはずのリュックからブツが出てきたのだから当然だろう。


「おお、見つかったか。しかし、ナツが確認したはずなのにどうしてリュックから?」


 別にもったいぶる事でもないのでさっさと種明かしをすると、これはリュックの内ポケットから出てきたのだ。


「内ポケット……?」


 このリュックしっかりした作りじゃないから中身が空ならへたりそうに見えるのに、北条が落としたときの様子に違和感があったから確認してみたのだ。背中側がやけにかたいと思ってポケットの中をよく見たら出てきたのである。

 北条の様子を見るに、普段は内ポケットなんて使わないのだろう。


「ええ、全然使わないから有ることさえ忘れてたけど……。そんなところに……?」


「なるほどなあ。おそらく同人誌を受け取ったときに教科書とかの出し入れで折れたりしないようにって一番背中側に突っ込んだんだね。それで普通に入れたつもりが内ポケットに入ってしまったと」


 この内ポケットは同人誌もすっぽり入るし入り口に留め具があるわけでもない。この薄さの本なら引っかかりもなくするっと入っていくだろう。


「いやあ、とにかくこれで事件は解決だね。無事に二冊ともの所在と所有者の判別がついてよかったよ。小説みたいに明確な証拠もあっと言わせるようなトリックもなかったけれど」


 それは西園寺が求めすぎなだけである。こんなやりとり挟まなくとも、ちゃんと探せばそう時間もかからず見つけることができたのだ。


「夢がないことを言うなあ。そう言いつつもちゃんと付き合ってくれてるあたり、面白そうだと思わなくもなかったんだろう?」


 そんなことはない。ただただ余計な労力が発生して面倒くさかった。


「はいはい」


「結局あたしが全部やらかしてたのね……。ふたりとも本当にごめん……」


 僕と西園寺がそんな会話をしている横で、悪気がなかったとはいえ主犯格である北条は目に見えてへこんでいた。

 西園寺が慌てて不器用なフォローを始める。

 

「いやいやいや、全然かまわないよ!無事に同人誌も戻ってきたわけだし、怒ってもいないし気にもしてないから!そもそもナツがやったって話もなんちゃって推理で出た推測でしかないんだし、ボクとか彼が忘れてるだけで何かした可能性もないとは言い切れないんだし!」


 その通りだ。そもそも北条が記憶を飛ばすほど飲んだのは西園寺のスケベ心のせいだし、無駄に話を大きくしたのも西園寺だから、半分ぐらいは西園寺のせいである。


「別に無理して飲ませたりはしてないよ!……酔ったナツを支えてあげたりして、うっかりおっぱい揉めないかなとはちょっと思ってたけど」


 もう八割ぐらいは西園寺のせいだな、これは。


「ぐっ……。状況的に怒るに怒れない……!」


「……ありがとう、ふたりとも。せめてハルちゃんとあたしの同人誌は交換させてよ。枕越しとはいえ頭の下に敷いて寝ちゃったし、ちょっと折れてるだろうから」


 僕のことを憎々しげに睨めつけていた西園寺は、北条の申し出にさっと表情を笑顔に変える。


「そんなこと気にしなくても大丈夫だよ。元々創作の資料にするためにここに持ち込んだんだ。何度も見返したりするだろうし、きれいな物と交換しても勿体ないだけだよ。そんなことより、せっかく手に入れた同人誌なんだし、ふたりで読もうよ」


「ハルちゃん……。うん、わかった」


 北条も気持ちを持ち直したところで、ふたりは並んでテーブルの前に座り、西園寺の物と断定された同人誌を読み始める。

 とりあえずこれで一件落着か。しょうもないことに時間を使ってしまったな。

 やはり、現実には誰もが首をかしげるような事件も、万人が驚くようなどんでん返しもありえないか。口にするのは癪だからしないけれど、やっぱりちょっと残念に思う自分もいる。

 

「君もせっかくだから一緒に読まないかい?色々と参考になると思うよ」


 西園寺からのお誘いにゆるゆると首を振る。

 ふたりの話の端々に興味を惹かれたのは否定できないが、原作も知らずに二次創作である同人誌を読み始めるのもいかがな物かと思う。女子と仲良くエロ同人を読むシチュエーションも意味分からないし。


「まあまあ、原作は今度貸したげるから。ちょっと作品の内容を知るためと思って見ればいいじゃない」


「そうそう。この本もそこまで原作の雰囲気を壊さないし、難しく考えることはないさ」


 僕はしばらく渋っていたのだが、ふたりが強く勧めてくることもあり好奇心に負けて了承した。ふたりの後ろのソファーに座って覗き込むような体勢で読み始める。

 舞台はやはり喫茶店であるらしい。マスターから店の留守番を押しつけられた主人公と思しき男と表紙で痴態を晒していた女の子は一日の業務を終えて店じまいをしている。

 ふたりきりの店内で、どうやら小悪魔系な性格をしているらしい女の子が主人公をからかい倒す。制服のスカートをたくしあげ、きわどい部分を見せつけたりしていると、主人公が女の子を押し倒した。

 主人公の手が女の子の身体をまさぐり、制服をはだけさせていくが、どうやら女の子の方もまんざらではないらしい。

 そして主人公がスカートをめくり、事に及ぼうとして――って。

 ……ちょ、ちょっと待て。


「……ん?どうしたんだい?」


「なによ。ここからがいいところなのに」


 振り返るふたりを余所に、僕は混乱する頭をなんとか回転させて状況というか作品理解に努める。だが、原作を知らない僕にはこの本のシチュエーションが正しいのか正しくないのかわからなかった。

 小説やマンガの物語への読解力にはそれなりに自身があった僕であるが、観念してふたりに解説をお願いすることにする。

 ……なあ、ちょっと教えて欲しいんだが。


「いいわよ。何を?」


 ――このヒロインの娘、



 いや、どういうことだよ!?

 さも当たり前といった風に返された僕は思わず突っ込んだ。え、これはどう解釈すればいいんだ?このヒロインは同人誌のシチュエーションとして不要なブツをつけられているということだろうか……?


「ああ、考えてみると原作を知らなかったらそうなるか。安心してほしい。この娘についてるのは原作準拠だよ」


 ええ……。これ、原作通りなのかよ……?

 顔を引きつらせながらうろたえる僕に、北条が解説をしてくれる。


「そっか、その辺の予備知識は必要だったかもね。この作品、『じょひます』の正式タイトルは『女装男子はヒロインに入りますか?』なのよ」


 あまりにも分かりやすく内容を提示してくれるタイトルである。長いタイトルを略して呼ぶのは最近の流行りみたいなものだが、これは略さずにいて欲しかった……。


「正確に言えばこのヒロインは女装男子ってわけじゃないんだけどね。主人公の通う学園の同級生の身体に宿るもうひとつの人格――要は二重人格なんだけど、そのかたわれで女の子の人格なのよ」


 なんでそんな分かりづらい設定してるんだ……。普通に女装好きな男じゃいけないのだろうか。


「その辺は物語の本筋に関わってくる部分でね。原作のネタバレになるから詳しくは言えないけど、けっこうシリアスな設定してるんだよこれが」


「サブヒロイン格はちゃんとした女装男子だから安心していいわよ。二巻以降は堅物の学級委員長とか札付きの不良とか、問題やら悩みやらを抱えたキャラクター達をこのヒロインちゃんの手で女装墜ちさせることで解決するっていうのがお決まりのパターンだから」


 女装墜ちなんて単語聞いたことねえよ……。

 そんな作品が本として出版されるだけでも罪深いのに、コミカライズされたりアニメ化したりする上、人気になんてなってたまるか!


「なってるんだよなあ。男性からは性癖をこじ開けられるって評判だし、女性は女性で別の楽しみ方をしてるしね」


 別の楽しみ方?


「ちょうどこの同人誌もそういうところを活かした作りになってるんだ。前情報通りなら、この後の流れを見てもらえば分かると思うんだけど」


 そう言ってページをめくり始める西園寺。

 閉店後の喫茶店で小悪魔ヒロインを主人公。翌日学園に赴くと、クラスメイトの男子から屋上に呼び出される。

 主人公よりも頭ひとつ以上背の低いその男子は、何故か尻を手で押さえながら涙目で主人公に抗議している。……どうやら主人公と交わった二重人格ヒロインのもうひとつの人格であるらしい。

 主人公はなよなよしい男子生徒の様子に嗜虐心を抱いたようで、そのまま彼を押し倒し――って、おい。


「ご理解いただけたようだね」


 何故かどや顔の西園寺の言葉を北条が引き継ぐ。


「つまり、喫茶店では男の娘といちゃつく感じの話を展開しつつ、学園では普通の装いに戻った男同士の友情とかあれやこれやが描かれるという、一粒で二度美味しい作品なのよ。この『じょひます』は」


 そういう、ことか……。確かに男性向けのジャンルでは男の娘という存在が認知されているし、女性向けの作品でも女装する男が恥ずかしがるシチュエーションをどこかで見たことがある。

 だからと言って、これは……。


「『じょひます』の同人誌はそれなりに出てるけど、男性向けと女性向けは露骨に分別されてるんだよね。それがこの作品はどうだ。女装してようがそうでなかろうがかまわず美味しくいただいてしまうことで、どちらの需要も満たしている。それに、登場人物の心理描写が上手いから話のつなぎがしっかりしてるのも素晴らしい。変化球な内容ではあるけど、非常に勉強になるだろう?」


 西園寺の語りに、僕はもう何も言い返せなかった。消えた同人誌の謎なんかより、こんな作品が大衆に受け入れられている方が、余程ミステリーじゃないか……。


「世の中何が流行りになるかなんてわからないからね。こういったラノベとかを読む大人しい層とは対極であるはずのギャルがヒロインとして流行るぐらいなんだし」


「大丈夫。あんたもすぐに慣れるわ。とりあえず今日はこの同人誌を読み込んで、原作は今度持ってくるからそっちの履修は後から始めましょ。あ、ネット配信でアニメは見れるからそっちは今日でも見れるか」


 楽しげなふたりに、思考がオーバーヒートしていた僕は流されるがままに『じょひます』沼へ放り込まれた。

 なお、原作は西園寺の言う通り思いの外シリアスな作風で普通に面白かった。

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