パチンカスと時々諭吉
「やあ、君もこの講義を取ってたのか」
朝一の講義が始まるのを本を読みながら待っていると、講義室に入ってきた西園寺に声をかけられた。
そのまま自然な流れで横に座ってきたのだが、つい嫌な顔をしたのを西園寺に見咎められる。
「そんな顔をしなくてもいいじゃないか。一緒に一晩過ごした仲だろう?」
人聞きの悪いことを言うんじゃない。いやまあ、一緒にいたのは事実だけれど、言い方に悪意を感じる。
西園寺は酒クズな中身はともかく見た目はよろしい人間なので、一緒にいると目立つのだ。
大講義室の中とはいえ、僕が座ってるのは講義室の最後尾、入り口に一番近い席である。必然、人目に触れることが多くなり、サークルの人にも目撃されることになる。
先日の飲み会の翌日、二人で大学へ来て佐川君たちに詰められた後なのだ。これ以上の厄介は勘弁して欲しい。
そういうことなのでさっさと友達のところなりなんなりどこかに行ってほしい。
「つれないなあ。友達の所に来た結果ここに座ってるのさ」
それならこっちじゃなくて向こうで固まってるサークルの女性陣のところに行けばいい。わざわざ男ひとりにくっつくこともあるまい。
「いや、サークルの女の子たちとはあまり仲が良くなくてね。まあ学部にも仲が良い相手がいるわけじゃないんだけど」
なんだ、つまりぼっちか。この見た目で愛想も悪くないのに意外なものだが、まあ僕には関係ない。いや、この目立つ置物を排除する理由がなくなって困ってはいるが。
「まあまあ、友達のいないもの同士、仲良くつるもうじゃないか。……大学最寄りに宿も確保できるし」
おい、打算がだだ漏れじゃねえか。笑って誤魔化すんじゃない。
これ以上絡んでいるとただでさえ無いに等しいサークルでの地位が消滅する可能性もある。なんとか西園寺をこの席から退かせられないかと考えていると──。
「おい〜っす。あれ、今日は一人じゃないんだ。珍しい」
かけられた声にそちらをちらりと見ると、野球帽を目深に被った女の姿。
ひらひらと手を振る彼女に僕が手を上げて返すと、西園寺がちょっと驚いたような声をあげる。
「北条さんか。なんだ、君たち仲よかったのかい?」
いや、知らない。名前は今知った。
「顔は知ってるし、毎週ここで会うけど名前は知らないわ」
「……いや、君たちちょっと親しげに挨拶したじゃないか。毎週顔合わせてるって話なのに、逆になんでそんな相手に興味ないんだよ」
別に大した話ではない。彼女は毎週この講義の前に僕に出席カードを渡して帰る人だ。
「毎週ここにいてくれるから代返頼みやすいのよねえ」
「ええ……。いや、ある意味大学生らしい関係かもしれないけど……」
「まあまあ、お互い気にしてないんだからいいのいいの」
困惑する西園寺とけらけら笑う北条さん。
素直に受け入れている僕が言うのもなんだけど、北条さんはもうちょい神妙にしてもいいのよ?
「それよりあたしは西園寺さんが男と二人でいることに驚きなんだけど。……もしかして、できてるの?」
僕の言葉をさっくりスルーして北条さんは西園寺に話しかける。なんなら僕を押し込んで同じ机に座り込んできた。
確かにこの机は三人掛けだけど、三人並んで座るとめちゃくちゃ狭いからやめて欲しい。
「いや、ボクと彼は文芸サークルの部員でね。そして酒飲み仲間なんだよ」
「へえ、そうなの」
酒飲みじゃない。なんだ、二人とも知り合いだったのか。西園寺も友達いないとか言いながら交友あるんじゃないか。
すると、西園寺は呆れたような顔をする。
「君ね……。ボクたちと彼女は同じ基礎ゼミだよ。もう何回も顔を合わせてるはずだし、なんならゼミの飲み会にもいたじゃないか」
マジで?西園寺がゼミにいたのはかろうじて記憶の隅に引っかかっていたけど、北条さんがいたのは気がつかなかった。ちなみに飲み会には出ていない。
「いや、いた記憶が無いなとは思ったけど本当にいなかったのかよ……。君は本当に他人に興味ないね……。うちのゼミの女子はけっこうレベルが高いのに勿体ない。男ならせめて北条さんの事ぐらいチェックしておきたまえよ。これだけエロい身体した女はそうそういないぞ」
「西園寺さん、それ最近は女同士でもセクハラになるからね……」
僕は、そう言われて北条さんのことを初めてしっかりと見た。
野球帽を脱いだ北条さんは金に染められた髪をショートカットにしていて、ボーイッシュに見える顔立ちが活動的な印象を持たせる。ホットパンツを履き、薄いカーディガンを羽織っているが中はタンクトップでその印象を裏付けるような動きやすそうというか、露出の多いファッションをしていた。
そして、なんというか、こう。非常に肉感的な体型をしているのだ。
服装が薄い分、体型がハッキリと出ていて目のやり場に困るぐらいだった。一部位に布を取られすぎてタンクトップの裾が足りず、全景に対して細く見えるおなかが見え隠れしている。
……うん、なるほど。西園寺の言わんとすることは、まあ理解した。
確かにこれは人の目を集める見た目をしている。
「あんた、今さら過ぎない?ここで何回も顔合わせてたじゃない」
呆れた様子の北条さんに僕は返す言葉もなかった。
それでも言い訳させてもらえば、僕は普段誰とも話さないし、待ち時間は本を読んでるから人の顔はろくに見ないのだ。
北条さんに話しかけられた時も視界の端でしか捉えていなかった。服がパンパンそうな感じはしてたからぶっちゃけふとっ──。
「あたしは、太ってる訳じゃ、ない。オーケー?」
イエス、マム。
今は理解してるから肩に置いた手を退けてほしい。マジで肩が外れそうなのでお願いします。
「今のは君が悪いね」
言われなくても分かってる。
僕が謝罪の言葉を口にすると、北条さんは素直に手を離してくれた。
「まあ、そう見られるのは昔からだから今更なんだけどねえ。太ってるとかデブとか言われなれたわ。こんな荷物抱えてたらしょうがないって諦めてるけど」
両手で自分の胸を寄せあげてみせる北条さん。愚痴るのも納得の重量感がよく分かるが、男の前でそのような行動は辞めた方がいいと思う。
「その体型ならやっかみを受けるのはしょうがないかもね。ボクはいいと思うけどなあ。その大きさでその腰回りの細さは反則だよ」
西園寺はまじめな語り口でのたまっているが、北条さんを上から下までなめ回すような視線がすべてを台無しにしていた。
「ええ、あ、ありがとう?……同性からそこまで露骨に見られるのは初めてだわ」
北条さんも西園寺の視線に顔を引きつらせつつ応答する。不快に思ったら遠慮なく訴えてくれていい。
……しかし、そうか。胸の大きな女性は服の着こなしが難しくて太って見られやすいと聞く。北条さんは身体の線が出やすい服装をすることでそう見られないようにしているんだな。
「いや、この服装は趣味だけど」
趣味かよ。
「好きなゲームのキャラがこんな感じの服着てるのよねえ」
けらけらと笑う北条さん。まあ、似合ってるのは否定しない。露出が多くて別の問題が出てきそうな気もするが。
それよりも、そろそろ講義が始まる。代返ならするからさっさと出席カードを渡して欲しい。
そろそろ周囲の視線が辛くなってきた僕は北条さんにさっさとお帰りいただくため、彼女の方に手を差し出す。
「ああ、今日はいいのよ。元々講義は受けるつもりで来てるから」
……な、なぜ今日に限って?
「いやあ、今日は懐が暖かいから、あんたにいつも代返してもらってるお礼をしようかなって。講義終わったらご飯行こうよ、奢ったげるから。せっかくだから西園寺さんもどう?」
「いいのかい?じゃあ、ご相伴に預かろうかな」
「おっけ~。九号館の方で鉄板焼き定食食べましょ」
「いいねえ、九号館の学食は地味に高いからなかなか足が向かないんだよね」
僕が返答を返す間もなく話はトントン拍子に進んでしまっている。……正直、わざわざ実質初対面の相手と食事なんてめんどくさいが、タダ飯というのは一人暮らしの学生には魅力的で抗いがたい。
まあ、僕が黙っていても女子二人で勝手におしゃべりしてくれるだろう。
そういうわけで。一限、そして偶然一緒の講義を取っていた二限の講義を受けた僕たちは、途中の移動ですれ違った佐川君他数名のサークル部員に睨まれた僕の精神に傷をつけつつ九号館の食堂へ入った。
宣言通り僕と西園寺の分の食券も購入してくれた北条さんと僕が注文の列に並び、西園寺に席を取ってもらう。
比較的新しい校舎である九号館に入っているため、もうひとつに比べてきれいなこの食堂はいつも人が多い。本日も好況なようで、急いで入ったにもかかわらずもう満席なようだ。西園寺はなんとかテーブルを押さえられたようでこちらに手を振っているのが見えた。
食券を食堂のおばちゃんに渡してしばらく待つと、じゅうじゅうと焼けた鉄板の上にのったが肉野菜炒めが出てくる。
僕はお盆に自分の分と西園寺の分を受け取り、自分の分を受け取った北条さんと共に西園寺の待つテーブルに向かい定食を並べた。
「おお、これが大学外の人もわざわざ大学まで登って食べに来ると噂の鉄板焼き……!」
うちの大学がちょっとした山の上にあることから、大学に来ることを学生は登ると表現するのだが、学生食堂の定食を食べるためにこの大学まで出向く人がいるとは驚きだ。だが、確かに見た目のインパクトも、鉄板から立ちこめる食欲をそそる匂いもすばらしい。六百円は学生からするとちょっとお高いが、社会人からするとお手頃な値段なのかもしれない。
さっそくいただくと、なるほど、確かに旨い。肉にかかったタレはとてもご飯に合うし、盛られた肉野菜の上にのった卵黄を絡めると味がまろやかになって二度おいしい。
学生としてはこれでもうちょっと安かったら毎日でも食べたいのだが、まあこうやってたまに食べるぐらいがちょうどいいのだろう。
せっかくなので熱々のうちにと言わんばかりに、三人とも言葉少なく食べ続けた。
「ふう、ごちそうさま。お腹いっぱいだ。ありがとう北条さん」
「どういたしまして。一緒にご飯食べた仲なんだし、ナツでいいわよ。夏希だからナツ」
「ふふ、それならじゃあ。ボクは春香だけど、好きに呼んでくれていい」
「それじゃあハルちゃんね」
女子同士のやりとりを、食後のお茶を飲みながら眺めていると西園寺がちらりと視線を投げかけてくる。
「……君も好きに呼んでくれていいんだよ?」
別に今の呼び方で間に合ってる。
「つれないわねえ。かわいい女の子が無条件でこう言ってくれてるんだから泣いて喜ぶところでしょうに」
名前やあだ名で呼ぶことがプラスであるかのような言い方だが、あいにくと僕にとってはマイナスだ。ただでさえ佐川君や他の皆からの視線がきついのに、これ以上自分の立場を悪くする必要はないのである。
「ふうん。普通は友達付き合いよりもハルちゃんみたいな可愛い女の子と仲良く出来た方がいい気がするけど」
「佐川君たちは彼にとって友達ですらないけどね」
おい、言っていいことと悪いことがあるぞ。……友達は、確かに言い過ぎな感があるけど、サークルの仲間なのは間違いないじゃないか。
「そう思うならもっとサークルに溶け込みなよ」
いやあ、そうなんだけど……。めんどくさくてつい。
「それ、あんたがめんどくさいだけじゃない……」
北条さんの呆れた様子に返す言葉もない。友達は欲しいけどそのための努力をしたくない、という志向の矛盾が昔からの僕の欠点だ。
サークルに入ったり飲み会に参加してみたり、行動してみては投げ出してしまう。結局やることが中途半端で、自分の思ったような立ち位置をとれない。
地味にへこむ僕に気をつかってか、西園寺が話題を変えるように北条さんへ話を振る。
「しかし、人に奢るぐらい懐が暖かいなんてうらやましいね。割のいいバイトをしているなら紹介してくれるとうれしいのだけど」
「いいわよ。けど、紹介は出来るけどバイトじゃないの」
バイトじゃない……?まさか、今流行りのパパ活というやつか?
「なるほど。その身体なら稼ぎ放題だろうな……」
「違うっての!流石にそんなことに手え出すほどお金に困ってないわよ!……まだ」
僕らは思わず北条さんの肢体を凝視してしまうが、北条さんは自分の腕で身体を抱くようにして隠しながら否定する。
ちらりと西園寺の方を見ると目が合ったが、あれは僕と同じく身体が強調されて逆にエロいなと思っている目だ。
……ごほん。
バイトでもパパ活でもないならどうやって稼いでいるのか。
北条さんに問うと、彼女はふふん、と胸を反らした。西園寺は自然な動作でスマホを操作し、撮影を始めた。
「これよこれ」
北条さんは西園寺の盗撮など気づかぬまま右手を前に出し、何かを握って捻るような動作をしている。
……ふむ。つまりパチンコ?
「そうそう!いやあ、昨日夕方から打ったんだけど、座ってすぐ爆連してさあ」
嬉しそうに語る北条さん。
「パチンコかあ。誰か先輩に教えてもらったのかい?」
「いんや、大学に入ってから偶然好きなアニメのタイアップ機が出てるの知って。なんか限定グッズが景品になってるっていうから独学で覚えたんだ」
……ん?つまり、僕に毎週代返を頼んでたのは、パチンコを打つためってこと?
「そゆこと。二限以降は出席も取らない講義ばっかりだし、一限だけ代返頼めば後は朝から打ち放題ってわけ」
ええ……。いや、遊ぶためだろうがなんだろうがなんだろうが関係ないけど、パチンコ打つためって言われるとなんか嫌な気がしてくるな……。
「ま、まあまあいいじゃない!こうしてお礼もしてるわけだし!……あぶく銭でだけど」
……。
「そ、そうだ!ふたりとも、よければこの後一緒に打ちに行ってみない?最初はちょっと敬遠するかもしれないけどやってみると楽しいわよ」
ジト目で北条を見ていると、彼女は誤魔化すように声を上げた。まあ追求はよしておこう。
しかし、パチンコねえ。正直、いいイメージはない。借金をして身持ちを崩すとか、酷いと友人家族との貸し借りでトラブルになるとか、そういう話をよく耳にする。
だいたい、ギャンブルというものは基本的に胴元が勝つようにできているのだ。一時の勝ち負けがあるにしても、最終的には負けるようにできているのである。
「ふむ。怖いもの見たさでちょっと遊んでみるのは悪くないかもしれないな。しかし、ボクはあまり持ち合わせがないけど大丈夫かな?」
懐疑的な僕に対して、意外にも西園寺はポジティブな反応を示した。驚いて西園寺を見ると、彼女は肩をすくめる。
「何事も経験だよ。君だってこういう楽しみを見つけるためにボクと酒を飲んだんじゃないか」
いやまあ、確かにそうではあるのだが。しかし、西園寺自身が言ったように軍資金が必要な大金のかかる遊びのはずだ。今の北条みたいに増えてうはうはということもあるかもしれないが、負ければ何も残らない。
僕も派手に散在できるお金はないし、たいして遊べないのではなかろうか。
「大丈夫大丈夫。普通の台を選んだら数万とか必要かもだけど、諭吉一枚もあればそれなりに遊べる台もあるから。まあ、それでも負けるときはさっくり溶けることもあるけど、ある程度遊んだ感はだせるわよ」
弾むような声で請け負う北条におされるように、僕たちはパチンコを打つため街に繰り出した。
午後も講義はあったのだが、一回ぐらい休んだところでなんとかなるだろう。さいわい出席にうるさい講義でもないし。
銀行に寄って軍資金を準備し、北条が通っているという駅前のパチンコ店に入る。
北条曰く、ここいらで一番客が多く、出玉が期待できるらしい。
自動ドアが開いた瞬間、とんでもない爆音が叩きつけられる。その時点でもう帰りたくなったが、北条が僕と西園寺の背中を押すので仕方なく入店する。
規則正しくずらっと並んだパチンコ台に、それなりの人数が座っている。ざっと見た感じ年齢層は高く男性のが多そうだが、若者もそれなりにいるし若い女性もちらほらといるようだ。もしかしたら、僕たちと同じ大学の学生なのかもしれない。
「こっちよ」
北条が耳元で大きな声を出して僕たちを促す。彼女はすいすいと台と台の間の狭い通路を進んでいくが、僕と西園寺は人の座った椅子にぶつかり頭をぺこぺこ下げながら追いかける。
「この島にある台を打ちましょ」
北条の示す島(通路で区切られた台の設置区画を島と呼んでいるらしい)は、おじいちゃんおばあちゃんの比率が高い場所だった。
「この島は海物語っていうシリーズの台が置いてある島よ。ゲーム性がシンプルでわかりやすいから初心者にはいいと思うわ」
「なるほど。お年寄りが多いのはそれが理由か」
「そういうこと!二人の台は当たりやすくて遊びやすい台にしてあげるから」
そうして島の中を進んでいった北条は、席の空いている並びの三台を示す。
北条が真ん中で、僕と西園寺は彼女の左右の台に座る。
北条の台を例に玉の購入法や打ち出し方の説明を受けると、後は彼女に横からレクチャーされながら遊戯を開始した。
最初のうちは水着の女の子を背景にタコやらサメやらが横に流れていくのをただ眺めているだけで、玉がなくなれば入金スイッチを押して玉を出すだけの作業だった。
スイッチ一回押すだけで学食ランチ一回分の金額が消費されていくので気が気でなかったが、それぞれが三千円ぐらい入金したとき、西園寺の台に変化があった。
「あら、魚群じゃないじゃない!それ一番熱いやつよ!」
「熱いっていうのは当たるってことかい?」
「出たらだいたい四、五十パーぐらいじゃないかしら」
「……それは熱いといえるのだろうか」
「演出なんてそんなもんよ」
西園寺は画面の方を見ず完全に北条の方を向いて喋っていたのだが、突然台が派手に光って今まで以上の大音量を発したのでビクッと肩を震わせた。
「な、なんだ!?」
「今ので当たり確定よ。おめでとう、ハルちゃん!」
「そ、そうなのか……。当たったのは嬉しいけど耳に悪そうな音だな……」
「それがそのうち音を聞くだけで気持ち良くなるのよ」
そんな彼女たちのやり取りを見ていたら、急に僕の台から賑やかな音楽が流れ出す。台を見るといつのまにか当たっていた。
「ああ、それはそういう演出なの。普通は色々騒がしくなってから当たるんだけど、時々しれっと当たることがあるのよね。とにかくおめでとう」
ええ……。西園寺の台みたいに爆音まき散らしながら当たって欲しいわけじゃないが、せめて何かしら盛り上がった上で当たって欲しかった。
「まあ、ふたりの台は当たりの数は多くなるはずだから打ってればいろんな演出が見れるわよ。しばらく打ってれば何が熱いとか法則とか覚えると思うわ」
それからは声を張り上げるのが疲れるので、ライングループを作って基本的にそこで会話をしながら打っていた。隣にいるのに無言になってスマホで会話というのも変な話だが、仕方あるまい。
僕と西園寺の台は適度に当たり、玉が大きく増えることはないが減ることもない状況を続けていた。新しい演出が出る度に北条が解説してくれるのでけっこう楽しめている。
そして北条の台は、中々当たりを引かなかった。
北条の台は大当たり確率が僕と西園寺の三倍ぐらいらしいので、最初のうちは確率的にこんなもんとにこにこしていた北条も時間と諭吉を消費していくにつれてどんどん顔色が悪くなっていった。
「ナ、ナツ?今日のところはそろそろ切り上げてもいいんじゃないかな……?」
北条が五枚目の諭吉を財布から取り出したのを見て、西園寺が恐る恐る声をかける。
「だ、大丈夫……。今のハマりが大当たり確率の三倍ぐらい。三倍ハマるなんて計算上五パーセントぐらいしかないのよ……?そろそろ当たるに決まってるわ……」
い、いや。五パーセントってことは二十回に一回はハマる確率なんだからけっこう現実的に起こりうる確率だと思うのだが……。このお店の中に何台のパチンコ台が置いてあるか知らないが、この中でも何台かは普通に発生する数字である。
「大丈夫大丈夫、昨日と今日を合わせて計算すればまだ勝ってるから……。これで当てれば余裕でプラス域よ……」
「その理論を適用するなら今までのトータルで計算をするべきじゃないかな……、い、いやなんでもない」
西園寺が至極真っ当な指摘をするが、西園寺の方へ振り向いた北条の顔を見て前言を翻した。……反対側にいて良かった。今の北条の顔はまともに見れない気がする。
その後も北条は粘り続け、一度たりとも当たりを引けないままもう何枚か諭吉が消えた時点で根をあげた。
最終的な結果として、僕と西園寺は増やしたり減らしたりを繰り返し、それぞれ野口数枚のプラス。北条は諭吉一枚のマイナスだった。無論、北条については昨日今日をトータルした結果である。
店を出ると、とっぷり日も暮れて夜も遅い時間になっていた。
大音量から解放され臨時収入を得た僕と西園寺であるが、試合中何ラウンドもぶん殴られ続けたボクサーのようにふらふらした足取りで前を歩く北条の手前、浮かれた表情を見せることはできなかった。
僕と西園寺は無言で顔を見合わせ、今し方手に入れたばかりの野口の枚数を数え始める。ふたりの野口を足し合わせても諭吉に進化してくれることはなさそうだが、仕方あるまい。
「ああ……、ナツ?今日はお昼もごちそうになったし、色々教えてもらったから、是非お礼をしたいんだけど、これから飲みに行かないか?」
「……、……いく」
声をかけられゆっくりと振り返った北条は淀みきった顔のまま承諾する。
「そうかそうか。お店に入るには心許ないから、彼の家に行こう。そこのスーパーで買い込めばそれなりに豪遊できるよ」
そこまでしていいとは思っていなかったが、仕方がない。宅飲みの方が安上がりであるのは事実だし、この状況で拒否できるほど僕のメンタルは強くない。
足取りのおぼつかない北条を西園寺が引っ張っていく後をついて行く。北条がどれだけ酒に強いかは未知数だが、明日の講義に支障が出ないうちに終わって欲しい。
*
後日。
僕は朝一の講義に向かうため大学に向かっていた。
大学へ向かうには駅前を通る必要があるため、例のパチンコ屋の前も通ったのだが、店の開店時間前なのか、何人もの人々が自動ドアの前に列を作っていた。
パチンコを経験する前は気にもとめなかったが、意識してみると他じゃ中々お目にかかれない光景である。
僕はなんとなしに列に並ぶ人々を横目に見ながら店の前を通っていたのだが、見覚えのありすぎる、露出の目立つ女──北条の姿を見て思わず足を止めた。
北条はスマホに目を落としていたのだが、めざとく僕の存在に気がつき手を上げた。
「ああ、おはよ。これから講義?」
確かにその通りだが。北条、パチンコは引退するとか言ってなかったか?
パチンコで北条が大惨敗を喫したあの日、北条は愚痴を吐きながら浴びるように酒を飲んだ。それだけならいいのだが、西園寺だけでなく僕に対しても物理的に絡んでくるのがいろいろな意味で辛かった。
結局、北条は日付が変わるまで飲み続けた後、スイッチが切れたように眠ってしまったため、ベッドに放り込んだ。今回の終電を逃した西園寺もベッドに入り、僕は冬用の毛布に包まって床で寝るはめになったのである。
あまり考慮したくはないが、予備の布団を買う必要があるかもしれない。
……とにかく、北条は酒に酔ってぐでんぐでんになりながら、もうパチンコやめるとしきりに呟いていたはずなのであるが、
「え?あたしそんなこと言ってた?」
本人はとんと覚えちゃいなかった。
「まあ、パチンカスにとっちゃ引退なんてあってないようなものよ。ヘビースモーカーの禁煙と一緒一緒」
無茶苦茶である。しかし、あれだけ派手に負けてよくもう一回打つ気になるものだ。僕があれだけ負けたらもうパチンコ台のことなんて見たくもないと思うが。
「そりゃああんたがのめり込んでないから言えるのよ。前回は負けたけど、勝ったときの快感を覚えたら忘れられないんだから。あんただって、当たってる時は楽しかったでしょ?」
それはまあ、確かに。熱い演出が起こった時は派手で見ていて楽しかったし、大当たりを引き当ててじゃらじゃらと銀玉が吐き出された時はただの玉がお金に見えていた。となりで悪い例をみせつけられていなかったら、もしかしたらハマりこんでいたかもしてない。
「つまり、あんたが悪い道に引きずり込まれなかったのはあたしのおかげって事ね」
そもそも北条に誘われなきゃその悪い道に入り込むこともなかったんだよなあ。
「それよりも今日はあの台にはお礼参りよ。預けてた諭吉を返してもらわなくちゃ。返ってきたらまた飲みましょ」
露骨に話題を避けたような気がするが、まあいい。奢ってくれるなら行くけど、今度はお店で飲めるぐらい勝って欲しいところだ。もう宅飲みはこりごりである。
「まあ、それは状況次第よ。……けど、閉店まで打って終電なくなってもあんたの家に泊まればいいと考えると戦いやすいわね」
おい、勝手に人の家を宿扱いするんじゃない。
「それよりもいいの?早く大学行かないと講義始まるけど」
慌てて時計を見るとぎりぎりの時間だった。もう少し北条に追求をかけたくなっていたが、遅刻しそうになって坂道をダッシュで登りたくない。
「いってらっしゃ~い。またグループラインに連絡するわ」
ひらひらと手を振る北条に仕方なく別れを告げて大学の方へ足を向ける。
あの様子では、打っている間も一喜一憂する様をグループラインに連絡してくるだろう。
まあ、講義の間の暇つぶしにはなる。今度は負けすぎてお通夜みたいなことにならないで欲しいものだ。
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