第28話 天才二塁手の孤独な闘い④:もぎ取る1点、消える大量得点

『併殺の秘訣は、二遊間に来た打球を素早く処理っス。デッドラインは4秒で一塁に送球が到達することっス』


 馬杉の理屈は非常に単純で簡単だった。

 捕球姿勢、ポジショニング、持てる全てを駆使して、"4秒"に間に合わせること。


『打ってから4秒で一塁に間に合う選手はほぼいないっス。そんなのできる奴がいるとすれば天才の羽谷姉ぐらいっス』


 逆に言えば、あらゆる内野ゴロを素早く処理して一塁に4秒以内に投げれば――。

 一塁はほぼ鉄壁の鉄格子になる。


『晄白水学園と違って、うちはライト側に集めるっス。外角低めをずっと狙い続けてセカンドゴロを量産するのが、ウチの守備の基本軸になるっス』


 晄白水学園は、レフト側に集める作戦を取った。

 それは、開きの遅いフォームから際どい内角シュートを繰り出せる津島投手がいたからである。

 結果、左翼手・中堅手・三塁手・遊撃手に守備の上手い選手が集まった。

 利点として、レフト側に中途半端に打球が集まり、かつレフト側の守備が上手いので、二塁~三塁への進塁が難しくなる。


 鹿鳴館杜山は、逆にライト側に集める作戦を取った。

 それは、右打者の外角低めにきっちり制球できる投手がいるからである。

 結果、右翼手・中堅手・一塁手・二塁手に守備の上手い選手が集まった。

 利点として、ライト側に内野ゴロ性の打球が集まり、かつライト側の守備が上手いので、一塁に走者がいるときの併殺率が非常に高まる。

 また一塁手が上手であるということは、やや悪送球気味でも思いっきり一塁に投げ込んでキャッチしてもらえるので、そもそもの一塁アウト率が高まる。


『……ゲッツーに仕留めきれなくてもいいっス。一塁手が守備上手ということは、4秒以内に送球を成功させれば、一塁アウトは保証されたも同然ってことっス』


 ときめき学園は、拾って投げるのを早くする、というシンプルな守備をしている。

 それを真似すればいい。

 拾って投げるのを早くして、4秒以内に一塁に届ける。

 それさえすれば、華麗な守備が出来なくても一塁をアウトにできる。


 ――あとは際どい球を、馬杉が全般的にカバーすればいい。


 4秒以内の返球の徹底。

 極めてシンプルで、それでいて効果的な併殺狙いの戦術。二塁手の馬杉の守る内野右側を突破するのは、容易いことではない。


 逆シングルの捕球も、グラブトスも、ジャンピングスローも、ありとあらゆる手を使って短い時間での返球を達成する。馬杉を中心とした守備陣のメンバーは、ただそれだけを愚直に追い求めた。

 今の鹿鳴館杜山の躍進を支えているのは、ヒット性の打球さえも1塁アウトに仕留めてしまう、その守備力にあった。






 ◇◇◇






 3回表。鹿鳴館杜山の攻撃は、見せ所があまりないままあっさりと終わった。


(……どこかで崩れると思ったっスけど、思ったより粘るっスねこの子)


 相手捕手の甲野のリードに翻弄されたというよりは、投手の岩崎のナックルボールが想定以上に良かった。

 今日はナックルが大きく変化する日らしい。おかげで甲野も捕球ミスを少し犯していたが、後逸が一度もないのは流石の腕前である。

 この分では、捕逸狙いで待球策気味に構えるのも通用しなさそうである。






 3回裏、ときめき学園はチャンスをつぶした。

 8番打者がヒットを放つも、9番打者がセカンドゴロを放ってダブルプレー。


(順調っスね。このゲッツーはまさしく注文通りっス。欲しい場所で理想的なアウトが取れたっスね)


 続く1番羽谷がライト前ヒットを放ち、2番星上がセンター返しを放って2死1塁3塁の形を作るも、3番森近が放った鋭いセカンドライナーに馬杉が咄嗟に飛びついて、アウトとなった。

 森近が狙った場所が悪かったというよりは、普通なら抜ける打球を恐ろしい反射神経で捕球されてしまった、という方が適切である。抜けていれば二点もあり得たヒット性の当たりを帳消しにするファインプレー。


 大量得点のチャンスが消滅し、ときめき学園は苦しい展開であろう。裏を返せば、鹿鳴館杜山にとってこの場面を無失点で切り抜けられたのは非常に大きい。


(9番打者のところ、ときめき学園は送りバントでも十分だったと思うっス。ゲッツーの怖いこの場面、ヒッティングは上位打線に任せて、下位打線はバント・バスターで揺さぶったほうが良かったと思うっスよ? 星上くん)


 馬杉は、星上の悪い癖を知っていた。

 彼は、打率の十分ある打者にバントをさせるのを極端に嫌う傾向があった。確かにときめき学園は、9番打者さえも打率2割6分を記録する強打のチームである。

 そして星上は、データを重視しすぎる傾向があった。すなわちバントが非効率的であると判断した場合は、それを行わないのである。


(打率2割6分は、アウト率7割超えって事っスよ。そしてバントに備えなくて済むなら、その分の集中力はダブルプレーに回せるっス)


 ノーアウト1塁を1アウト2塁にする采配、これをしてこない・・・・・のも相手を楽にさせる緩手である。

 ダブルプレーを怖がらない果敢な姿勢は、馬杉にとっては却って楽であった。






 4回表。

 鹿鳴館杜山はここで、大きなチャンスを迎えた。

 先頭打席、3番打者でヒットが出た。続く馬杉はここで大きな一本を放っておきたいところ。


(さて、どうするっスかね……。盗塁してくれるんなら、一発デカいのを放って、犠牲フライを狙いに行くんスけど)


 かといって足を期待できるほどでもない。盗塁できないわけではないが、確実性もない。

 ならば一捻り、小技を仕掛ける必要がある。


(ポイントは、ノーアウト1塁のゆさぶり方っスね)


 馬杉は相手投手である岩崎に注目した。

 汗の量が尋常でない。きっと緊張しているのだろう。


 確かあの1年ピッチャーは、フィールディングは良くなかった。ナックルボールを投げるという大きな強みがあるが、ナックルボールしか投げられないという一芸特化の印象が強い。

 となると、一塁手・三塁手を揺さぶる手がある――。


(……。バントの構えをちょっと見せとくっスか。甲野がどう判断するか見ておきたいっス)


 ベンチから盗塁の指示は出ていない。それに送りバントの指示もない。しかしあえてバントの素振りを見せておく。


 注文は、バントエンドランや盗塁を警戒してのウエストボール。ボールカウントを一つ増やすことで、ただでさえ制球が難しいナックルボールの配球をさらに難しくするのが狙いである。

 逆に、ストライクゾーンに速球を放り込んでくるようであれば――。


 サイン交換が終わったが、投手の岩崎は明らかに顔が強張っている。

 投げられる1球。

 それは――。


(失投!?)


 意外だったが、こんなに甘い球ならバスターで叩ける。咄嗟にバットを引いて叩く。

 三塁手の脇を抜ける跳ねる球、しかし勢いがなくゲッツーもありうる。際どい展開。馬杉は思い切り走った。

 結果はセーフ。ノーアウト1塁2塁のチャンスとなった。






(……。危なかったっス。これ冷静に考えたら誘いだったかもしれないっスね。今の駆け引きは逆手に取られた感じがするっス)


 走り終えて馬杉は額の汗を拭った。

 4番打者である自分には、最悪敬遠もあり得た。盗塁はさほど怖くない、何故なら馬杉の前に3番打者が居て蓋をしている。


 この状況で馬杉はバントの構えをしてしまった。バントエンドランも盗塁もあるしバスターもあるが――長打だけがほぼない。

 つまり普通にストライクを狙うのにうってつけであり、あわよくばゲッツーも狙い目の一つ。

 バントをされても、馬杉を刺せるなら送りバントを成功させていい。


 遊撃手の羽谷と二塁手の緒方、この二人に絶対の信頼を置いているからこそ、『最悪バスターなら打たれてもいい』という攻めの配球ができる。


 ナックルボールでも何でもない、ただの真っ直ぐ。

 ややインコース低め。

 甲野のリードは、『ただ敬遠するよりは妙味があり、あわよくばゲッツーまで狙える』という強いものだった。

 敵ながら上手いものである。


(バットコントロールで飛ばす場所を狙ったは狙ったっスけど……『ナックルを投げない』という緩急っスか、確かに意表を突かれたっス。いやあ、セーフになったのは運が良かったっスね……)


 あのときめき学園の二遊間を相手にバスターを狙うのは、やや虫が良かったかもしれない。

 結果オーライではあったが、先ほどの打席は馬杉の方が"読み負け"である。投手の岩崎の顔が強張っていたのを、もう少し考えるべきだったか――。

 馬杉は気を引き締め直した。


 ともあれ、ノーアウト1塁2塁。

 得点機であるが、ゲッツーリスクも高いこの配置。1塁3塁の形が欲しいので盗塁を狙いたくなるこの場面。沈む変化球を持っている投手ならそれを多投してくる場面だが――。


(フルタイムナックルボーラーだと、沈む変化球もないっスよね。ナックルの弱点は、場面ごとに変化球を使い分けできないところっスよ)






 結局この4回表も、1点をもぎ取って終了。

 ピッチャーゴロを打たされて3番打者がアウトになるも、馬杉が盗塁を決めて、犠牲フライ一発で帰塁。セオリー通りの攻め方になった。


 得点は2-1。

 大量リードが欲しい場面だったが、辛くも1点リードに抑えられている。


(勝ち越してるっスけど、苦しい場面っスね……。今の場面の正解は、この馬杉が本塁打を打つことだったのに……)


 馬杉は大きくため息を吐き出した。

 ここまでの疲労は尋常ではない。打球を素早く捌くのは、見た目以上の消耗がある。鉄壁の守備を誇っている馬杉ではあったが、果たして9回までこの守備を持たせることができるかどうか――見通しは明るくない。


 それでも馬杉は、か細い勝利の可能性を追い求めていた。



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