第23話 閑話:ホッシの弱点(※下ネタあり)

 時は六月にさかのぼる。


 ――あの完璧超人に見える星上にも、実は弱点がある。


 無垢な新入生たちから、憧れの存在として尊敬され、自由気ままなミステリアスな人として恐れられている星上。

 だが実は、彼の化けの皮は六月の早々に剥がれてしまっていた。


 それはときめき学園の練習中の紅白戦で起きた出来事だった。






 投手は星上。迎える打者は緒方。

 エースの一角を担う星上と、世代最強格と名高いスラッガーの緒方の勝負。グラウンドに独特の緊張が走った。


 ――強烈なスイング。しかしボールの芯を外される。

 縦スライダー独特の強烈な落差。

 分かっていても打てない魔球のようなもの。


 勝負あり――と思った刹那。

 バット下面でチップした強烈な打球が、甲野に襲い掛かった。


「……あっ」


 不幸なことに、それは甲野の足の付け根――もっと詳しく言うと股に直撃してしまった。痛覚神経が集まっている場所であり、硬球をぶつけていい場所ではない。あちこちで息を呑む音が聞こえる。

 野球にはこういうアクシデントがつきものである。星上含めた上級生たちはすぐに駆け付けた。


 キャッチャーマスクを外した甲野は、うずくまっていた。

 いつも涼しげで端麗な顔は、今は痛みに歪んでいる。

 頬は紅潮し、額はじっとりと汗ばんで、ひたっと前髪が貼りついている。目は潤んで大粒の涙を浮かべている。弾む息は、何とか痛みをごまかそうと喘いでいた。どう見ても余裕がない。

 これは笑い事ではない。硬球の衝突は骨折もありうる一大事なのだ。


「アッ」


 その瞬間、傍に駆け付けていた星上も急にしゃがみこんだ。

 近くにいた全員は、何が起きたのかさっぱり分からなかった。

 ……ただ、正面で地面にうずくまっていた甲野だけ、「ぅぅ……くっ……?」と苦しみながら何か・・を発見してしまった。

 そして赤面した。


「……あ、あの、甲野……大丈夫か……?」


 恐る恐る星上が声をかけるも、甲野は涙目のまま赤面していた。「なんで・・・……?」と甲野が問いかけると、星上はただ「……ごめん」と意味深に返していた。


 ――やがて、星上からバッテリーの交代の申告があった。交代は捕手も投手・・も。甲野だけでなく星上も練習から一時的に離脱することになった。

 一体何が起こっているのか。その詳細は、ようとして知れない。






 ◇◇◇






「ええええっ!? ほ、星上さん、貴方、甲野さんを見てぼっ、ぼ……!」


 その日の夜の特待生寮は、大反省会になっていた。

 甲野はまだ顔を赤くしていた。本当に申し訳ないことをしてしまった。


 クール系の女子高生が涙目で股間抑えてうずくまっているのを見てたら、そりゃそうなる。これはもう仕方ないと思う。


「……あ、あのさ、星上ー。その、ボクたちさ、全然そういうの、分からないんだけどさー? ……た、溜まってる?」


 羽谷妹からすごい角度の質問が来た。森近が「お馬鹿」と窘めている。


 この場の空気は、もはや全般的によく分からない方向に転がっていた。緒方も羽谷も甲野も森近も、当然俺も、誰もどうしたらいいか分からないことになっていた。船頭多くして船山に上るとはよく言うが、この場合は舵取り役が誰もいないというほうが正しい。


「え、でも星上は悪くないよ! ボクら想像しかできないけどさ、ボクらだって発情期の時はキツいじゃないか! 普人族ってずっと発情期なんでしょ?」

「え、えっと……どうだろ」


 同意していいのか分からないし、どう答えていいのか分からない。

 正直明るく流したい話題である。「ごめんごめん! 勃っちゃった!」だけでさらっと終わらせた方がいいに決まっている。

 というかそうした。さらっと言ってみた。

 結果これである。


(……迂闊だったな。冷静に考えたらここは、貞操観念ががらっと逆転している世界だぞ)


 正直、軽く考えていた。

 例えば元の世界準拠で考えてみると、別に元の世界でもエロ歓迎な女性はそれなりにいた。出会い系アプリでワンナイトラブに励んだり、バイト先で色々やらかしたり、まあその手の話はどこにでもある。

 例えば、ノーブラの女性をけしからんと非難する人もいれば、深くかかわり合いにならない人もいる。胸の先が立っていても寒かっただけかもしれない、で終わり。

 そんな価値観を男女逆転させただけだろうと思っていた。

 最悪、勃っても何とかなるだろうと。


 だがこの世界は完全なミラーではないらしい。例えば、この世界には発情期とやらがあるのだ。


「……が、我慢、できねーよな、うん、分かるぜ」


 緒方がなるべく丁寧に、傷つけないように言葉を選んでいた。

 恐る恐るといった様子であった。


「あの、ほら、保健の授業で、その、男性の権利で学んだやつ。身体の反応はすなわち必ずしも性的同意ではねえぞってやつだ……」

「そ、そうですわよね……その、殿方のそういう話って全然聞かなくて……いけませんわ」

「あー、うん、ネットとかの発情期エピソードとか、話盛ってるもんね……」

「……そう、そんな都合のいい男性、いるはずない」


 何の会話だろう。というかどんな会話だそれ。

 ……と色々と突っ込んでやりたかったが、話が拗れてはよくないので、俺もあれこれ詳しくは言わないことにした。墓穴を掘るのも良くない。


 概括すると『エロくてイケメンの男なんて、ぶっちゃけ都市伝説』みたいな存在らしい。


 確かに、元の世界に例えてみれば、一体どれぐらい強烈なことなのだろう。

 出生率が均等でなく、女性総数が男性の五倍もある男女比率の崩れたこの世界。しかも発情期とやらの概念が存在するわけで。


 俺も何度か、SNSの漫画広告で『発情期になってしまったオスが、突然反応してしまい……!?』というやつを見た。それぐらいの鉄板ネタらしい。

 現実にはそうそうない、だがエロ漫画のシチュエーションとしてはもう何度でもいける王道の設定。そんなの夢見すぎじゃん、みたいに突っ込まれてしまうやつ。


 今の俺だった。


 元の世界で例えるなら、『終電なくなっちゃった』とか『飲みすぎちゃったからちょっと休憩したい』とか言って誘ってくる女性だろう。そんなのは現実で滅多に見かけない、もはや架空の概念に近いわけだが、実際にそう誘われたら男はアホなのでホイホイついていってしまうものである。


 それの百倍ド直球なやつが、『発情期オス下半身反応シチュ』とかいうやつらしい。

 そんな鉄板シチュエーションがあるってこと自体、初耳だった。そもそも"発情期"がパワーワード過ぎる。そんな胡乱なものが平然とあるはずねーだろ、と元の世界準拠で考えてしまう俺がいる。


「あー、えっと、甲野、変なもの見せてすまんな」

「!? あ、え、変なものじゃ、ない……。むしろ、見て、ごめん……」


 甲野の顔の赤らみがまた深くなった。

 なるほど、この世界の価値観なら見てごめん・・・・・になるのか、と再発見があった。

 これが価値観の相違ってやつかもしれない。


「というか俺、皆と風呂入ってる時とかぶっちゃけ、ぶかぶかの水着で前かがみになって誤魔化してるしな――」


 からん、と。

 背後で、森近が手元のスマホを落とす音がした。

 それっきり時間が止まった。

 緒方は固まり、羽谷は咽せこみ、甲野は瞬きを忘れてしまっていた。


「……今から、風呂入るんだぞ、お前……?」

「あ、うん」


 口が滑ってしまった。

 確かに風呂に入る直前にするような話ではない。


 かくして。

 俺に対して、そんなはしたない発言をぽろっと零さないことをこんこんと説明する教育の時間が始まり。


 俺みたいな宇宙人にはお金の話しか通用しないと判断した甲野が「貴方の貞操には価値がある。とある富豪がマンションを譲渡してもいい、と言っている噂話があるぐらい、大切なもの」と説き伏せることで場は一旦収まった。


 ……釈然としないが、そういうものらしい。

 まさかそんなに、俺の下半身事情で盛り上がってしまうなんて思いもよらなかったが――四人ともめっきり口数が少なくなってしまったのは、どうしたものだろうか。






 ◇◇◇






 後日譚。

 翌日のときめき学園の野球部の練習は、ひどい有様だったという。

 主要メンバーである緒方、羽谷、甲野、森近の四名が、全員深刻な睡眠不足で、全般的に集中力に欠けていたとのこと。

 ――事の真相は、やはりようとして知れない。




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