第21話 再戦・晄白水学園、そして監督⑨:狙いを砕くウイニングショット
9回裏の2点差で、ワンアウト1塁。
こうなれば向こうは、何でもやってくる。
足を使った戦術は当然のこと、一発狙いもあれば連打狙いもある。
場の緊張感が急激に高まる。向こうのベンチは降ってわいた逆転の目に活力を取り戻し、こちらのベンチは固唾を吞んで見守っている。
咄嗟に蜜石が駆け寄ってきて「緒方先輩……どうっすか」と様子を確認してきた。緒方は苦笑してしまった。
(だよなあ、ここはタイムの取りどころだよな。お前が正解だ、蜜石。……ったく、相変わらずうちのベンチワークは上手くねーな)
こう見えても緒方は大舞台慣れしている。どこか他人事のように、自分の高校の引率教員の不甲斐なさを嘆きつつ、頭の片隅で状況を整理する。
「……この状況、どう見る?」
「あーし的には走らせてもOKっす。2点差ということは、1点までは渡してもいいって思います」
「ふうん、蜜石はそれで緊張しねーか? オレは合わせるぞ」
「えへへ……キャッチャーの方が気ぃ遣われちゃったら、困っちゃいますねぇ」
何度か公式試合に使ってきたおかげか、度胸もついてきたように見える。心なしか頼もしくなった蜜石に、緒方は少しだけ満足を覚えた。
「こういう場面でオレみたいな速球派だと、"球威に任せて押し切る、ダメでもゴロでゲッツー狙える場所にいく"……ってのが普通のセオリーだよな」
「はい。しかもこの打者も、構えが同じです。継続してインローあたりが狙い目です。でも」
「……誘われてるよな」
ゲッツーが欲しいなら、この場面投げるのは、インローで詰まらせてショートに取らせて643のゲッツーあたりが注文である。
通常の配球でいいなら、盗塁警戒もかねて外角低めにボール1個分外した球。
ホームベース寄りに立っているという情報を加味して考えると、内角低めにシュートやカーブを投げたくなる。
「引き続き長打警戒でいきましょう、あーしは速球から行きます。狙うは……」
「……わかった」
そろそろ時間である。意志交換を終えて定位置につく。
腹を括れば狙いは定まる。読み合いはどこかでギャンブルになるのだ――。
(――ここだ!)
1投目。
渾身の投球。同時に動く影。
しかし、なりふり構わず力を込める。
古くからある配球は、効果が高いからこそ未だに通用するのである。
胸元をえぐるようなインハイ。分かっていても打てないような厳しい場所。緒方ほどの球速があれば、並大抵の打者では振り遅れる。
ホームベースに近寄っている相手は仰け反らせるべし。基本中の基本である。
ましてやこれほどにホームベース寄りに立っていれば、コンタクトするのは非常に難しい――。
(バント!?)
バントの構え。
しかし空振り、そしてストライクコール。
一瞬混乱する緒方だが、蜜石のほうが冷静で、すぐさま二塁に球を放っていた。
スライディングの音。
際どいタイミング。
一瞬の攻防。そして塁審の声が上がる。
「セーフ!」
◇◇◇
晄白水学園の鷹茉監督は、最後の勝負に出た。
最後の最後、正真正銘の悪あがき。
終盤に戦うのは緒方、そこまでは読めていた。
だからこそ、ピッチングマシンを使って速球対策を仕上げてきた。
「2点差で1アウト1塁、こんな場面で普通送りバントがあるはずがない」
「バントのフェイクは、一塁手と三塁手を前に釣り出すのと同時に、盗塁への意識を一瞬打者側に向けることで、視線誘導が目的」
「仮にもし低めを狙ってくるようであれば、あわよくばセーフティバントを狙ってもいい、と伝えていたが……向こうはインハイ勝負に来たか、面白い」
「今度こそヒッティング切り替えだな。仰け反らせたいということは、もし私が投げるなら……」
◇◇◇
1アウト2塁。カウントは1ストライク。
長打回避で低め狙い、右翼方向への安打が即失点につながるので、右に飛びにくい内角狙い。しかも内角低めはゲッツーも狙えるコース。
機械的に考えれば、結論はそれしかない。
相手の立ち位置は、引き続き内角を狙いにくくするバッターボックス寄り。だがその立ち方も、膝元に変化球を投げられると安打しにくいと言われている
つまり狙い目は引き続きインロー。
(……迷えば思う壺だ。ここはこの一球で仕留めるんだ)
問題は、いつこの内角低めを狙いに行くべきかというところ。
これがもし制球に長ける
だが緒方は違う。甘めに入れば一発でひっくり返るこの場面で、そんなことを平然とする無謀なピッチャーではない。そんな奴は宇宙人だけである。
相手打者の打ち気をひしひしと感じる。明らかに内角低めは誘われている――。
(オレのピッチングは、こうだ――!)
2球目。
思い切り踏み込んで投げる。
これ以上ない会心の球。それは――。
◇◇◇
晄白水学園の心は一つであった。
これに全てを賭けると。
「勝負は二球目、
「思い切り空振りしてもいい、それならスリーストライク目はインロー決め打ちでいいし、だめでも次の打者で勝負できる」
「私ならインハイにもう一球ストレートを投げたくなる。二球目にここを通すことができれば、三球目インローに変化球でも、アウトローに
「配球パターンとしても、インハイ速球→インハイ速球→インロー変化球も、インハイ速球→インハイ速球→アウトロー速球も、インハイ速球→インハイ速球→アウトロー変化球も、どれも良くあるコンビネーションだからな」
「しかも、打者が三人連続でホームベース寄りに立たれて、そろそろ不気味に感じているはずだ。先程、"インハイを投げてのけ反らせる"というセオリーに打って出たのが、何よりの証拠」
「こうも露骨にコースに山を張られると、読みを外すため、目一杯ストライクゾーンを使いたくなるはず。まして決め球を低めに持ってくるなら、高めをそろそろ使う」
「速球派であり、ストレートに自信がある緒方ならなおのこと――」
◇◇◇
配球論に明確な答えはない。
人によっては、『配球は結果論』とまで言い切る人間がいる。
実際、構えたコース通りに制球することは並大抵の技術ではなく、構えた場所からボール1球分以内のズレに抑え込めたら相当制球がいいと言われる。
星上は『だから俺もフィジカルが欲しいんだよなあ、制球だけじゃどこかで限界が来るからさあ』と毎回のようにぼやいていたが――緒方からすると全く逆で、星上の方が羨ましい。
あんなに堂々と。
セオリーを無視した配球で勝負して。
『あっちゃあ、これで打たれちゃったか。これさー、セオリー外しちゃったから、ネットとかで滅茶苦茶叩かれるやつだよね?』
なんてへらっと笑って。
俺は確率的に正しいことをした、この結果はあくまで確率論だ――と割り切れる、その心の強さが。
(その心の強さが、エースに一番必要なものなんじゃねえのかよ――!)
インハイを鋭く狙う一投。
思い切ったスイング。響く打撃音。
完全に読まれていた。
二球目にインローを使ってしまうと、三球目の決め球のコースに有効な場所がなくなる。
だから二球目にはインハイかアウトローにくると、絞られていた。
その上で、速球を活かすインハイがくる――と読まれていた。
(――
だから相手は振った。
迷いなく的確に。
完璧なスイングだった。
インハイ目掛けて飛び込んできたその球が、
変化球は低めに投げろ、と誰か偉い人が言った。
曰く、高い場所の変化は見極められやすい、と。
(――狙われている場所に
緒方は、ついに理解した。
禁じ手と言ってもいい、セオリー外の配球を、堂々と最後に持ってきた。
自分の新しい決め球。
新たに磨き上げたウイニングショット。
パワーカーブ。
――球速が速く、鋭く大きく曲がる強烈な変化球。
歓声が爆発した。
マウンドが揺れたような気がした。
芯を外した打球は、いかにも鈍く弾けた。
遊撃手羽谷と二塁手星上、二人が鮮やかにつないで決めたゲッツーが、試合にとどめを刺していた。
完璧な併殺。文句のない投球。
(
今更になって手が震える。
一度たりとも得点の逆転を許さなかったものの、晄白水学園は、間違いなく手強い相手だった。
あと一つ、間違っていたら。
もし仮に、セオリーを気にして、インハイにストレートを決めようと思ってしまったら。
――勝負の趨勢はまるで分からなかった。
マウンドに立つ緒方は、ゆっくりと空を仰いで、そしてあらん限りの声で叫んだ。
少なくとも緒方にとって、この勝利にはそれだけの価値があった。
――――――
(2023/08/30)コメントにてご指摘ありました通り、「鈍く跳ねた」だとゴロになってしまうので修正しました……。もう一回手を入れ直すかもしれません。
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