第19話 再戦・晄白水学園、そして監督⑦:切るべき手札はクローザー

 ■8回表:ときめき学園の攻撃。


 この回の緒方は、またもや安打を記録してしまった。本塁打こそないが、シングル一回、ツーベース2回、スリーベース1回と、サイクルヒットまであと一つである。

 4打席4安打、脅威的な成績である。

 一方の甲野はまたもや敬遠。少々しょんぼりしているように見えた。


 これでノーアウト1塁2塁。

 次の打者には、今度こそこの好機を活かしてほしいところである。


(でも、ここで送りバントという選択肢は俺の中ではない。進塁打を打ってくれたら十分――)


 点差は二点だが、追加点をもぎ取らないとまずい。俺がそろそろ打ちこまれそうなのだ。


 いわゆる勝負の潮目。こういうときに相手に試合の主導権を渡さないことが肝要なのだ。ここで突き放すことが出来れば、精神的に優位に立つことができる。

 俺は、万が一のための『1点稼ぐ保険』の手札を切ることにした。

 6番打者のところに代打を送ったのである。


 そう、未だに公式戦で使ったことがない鬼札ジョーカー。本来ならもう少し隠して、決勝戦で披露したかったゴールデンルーキー。


「おーほっほっほ! やっと公式戦に登場ですわーっ! このアタクシが! 華麗なるバット捌きで! ときめき学園を勝利に導いてくれますわよーっ!」


 キンキンと甲高い、やかましい声。

 

「真祖の血族にして昼の光を半分ぐらい克服した類まれなる吸血鬼族のこのアタクシ! 投手もできて打者もできる投打両立の英才! 代打も代走もワンポイントリリーフもできる、スタミナ以外は何の課題もない完璧な美少女! その名も――」


 今年入ってきた1年生で、強豪シニア出身の特待生の一人。

 打ってよし、投げてよし、守ってよし、走ってよしのユーティリティプレイヤー。

 スタミナがない、というただ一点のみを除いて非常に完成度の高い特殊な人材。


 その名も――。


「こらこら! 試合中のグラウンド上での私語談笑は禁止だよ! それにスポーツマンらしくない言動をとった場合はゲームから退場もありうるからね!」

「ぎゃあああ! ご勘弁なさいまし! ご勘弁なさいまし!」


 ――ウィルヘルミナ・月音つくね十六夜いざよい


 つくねちゃんと色んな子からいじられまくっている、超残念なポンコツ娘であった。






 ◇◇◇






(左打ちかにゃ? ちょっと嫌な予感がするにゃあ……)


 8回表、3-1、ノーアウト1塁2塁のピンチで迎える6番打者。

 今回送られてきた代打の少女が、左打者用のバッターボックスに入るのを見て、津島は不穏な気配を察した。


 マウンド上で入念にロジンバッグを触りながら、一旦心を落ち着かせる。


 肝心な打者が左打ちに交代してしまった。ただでさえ油断ならないときめき学園のスタメン打者陣に、代打を送ってきたということ。

 これが意味することは――この代打の少女は非常に手強い打者だということ。


(うーむ、右投手 対 左打者だったら、左打者の方が有利だからにゃあ……)


 津島の強みは、しなやかな身体を活かした、上体の開きの遅さ。

 リリースが分かりにくいこの特徴を活かして、インコースをズバズバと攻めていくのが彼女の持ち味のピッチングである。

 だがしかし、これが右対左となると少々分が悪い。


 理由は単純明快で、投げるときのリリースポイントが見えやすいからである。

 俗にいう右左の相性。右打者であれば、右投手のリリースの瞬間の腕の場所は見づらく、逆に左打者は右投手のリリースの瞬間の腕の場所は見やすいのだ。プロの世界ではこの差を気にして、左右の投手を揃えることもあるぐらい、重要な要素になってくる。


(打球が飛ぶ引っ張り方向も、レフト方向じゃなくてライト方向になっちゃうし、ちょっとまずいにゃあ)


 インコースを同じ感覚で攻めていける相手ではない。

 打球もライト方向に飛ばしたくないので、今度はなるべくアウトロー中心に配球せざるを得ない。


 だが津島には、左打者相手に強みとなる球がほとんどない。

 ツーシーム・ファストボールこそが津島の持ち味。後はカーブとストレートのコンビネーションで、オーソドックスに立ち向かうしかない――。


(……腹を決めるしかないにゃ、インローとアウトローを狙って、内野ゴロを打たせてゲッツー狙いにゃ)


 放たれる渾身の投球。

 初球は見てくると考えて、アウトローにぴったり合わせて――。






 ◇◇◇






 相手三遊間を割ってレフト線側へ転がる面白い打球。極端なスライス回転がかかっている。

 初球からアウトローに合わせ打ったのは素晴らしい打撃センスである。相手投手の津島は苦い顔をしていた。まさか初球を叩かれるとは思っていなかっただろう。開きが遅くタイミングを取りづらい投球フォームのせいで、初球打ちされることに慣れていなかったと見える。


 緒方はこれで悠々のホームイン、甲野が間に合うかどうか。打者の十六夜も「手ぇいってぇ、ですわー!」とか言いながら二塁へと向かっていた。

 相手左翼手の渾身の返球。ショートがカットに入って非常に際どいタイミングである。


(そうか、十六夜は敢えて囮で走ったのか)


 ギリギリ間に合わないタイミングだが、代打の十六夜は二塁を目指した。相手守備の意識をそちらに向けるための一手である。

 だが本命は甲野のホームイン。相手ショートの判断は――。


 ホームインと返球、際どいクロスプレー。

 球審の判定に全てが託される。


「アウト!」


 俺は思わず呻いてしまった。欲張らずに1塁3塁の形にしたほうがよかった。

 だがこれでも上出来な方である。これで得点は4-1。状況も1アウト2塁でまだ攻めが継続できる。


 どちらかと言うとあれは、3塁コーチャーの指示が悪かった。

 得点を焦る気持ちはわかるが、甲野に無理をさせすぎている。あれは咄嗟に2塁を狙う判断をした十六夜のファインプレーを褒めるべきだろう。




 ――続く7番打者は、まさかのショートライナーを捕球されてしまいゲッツーになってしまったものの。


 この回は、何とかときめき学園に1点の追加点が入ったのだった。






 ■8回裏:ときめき学園の守備。


 3点差に戻ったから安心できる、と思ったのも束の間のこと。

 別に俺が大崩れした訳ではないのに、ツーランホームランが炸裂してしまった。というより、立て続けの強振戦法で、流石にそろそろ大きな一発が出てもおかしくない頃合いであった。


(……く、遂に捕まったか)


 ことごとく今日は巡り合せが悪い。

 というより俺の得意な野球に持ち込めないというべきだろうか。


 バントや進塁打なんかで確実にアウトを献上してくれるような、そういったコツコツした攻めをひらりと躱すのが得意。

 逆に、まぐれ当たりの強振をされるのが苦手。

 それが俺の投球スタイルである。


 何故なら前者は、『状況ごとのセオリー』『打者の得意・苦手なプレー』『球種別打率とコース別打率』『バッターボックスの立ち位置や力の入れ具合』から、狙いがある程度推理できるため。

 ステータスオープンで色んな詳細情報を参照できる俺ならではの、駆け引きの強さを活かせる。


 だがまぐれ当たり狙いをされると、却って手も足も出ない。

 力んだ相手に凡打を打たせれば良い、と言えばその通りなのだが、例えばゴロを打たせまくるような配球をしても狙い通りの凡打にならないのが世の常である。


 強豪校と弱小校の如実な差がここで出てくる。

 下手な打者の力んだスイングならあっさり凡打に仕留められるが、上手な打者の力んだスイングは恐ろしい。

 何せこちらは軟投派。凡打に仕留めるには、球威ではなく駆け引きが必要になる。

 つまり上手くシュートを打たせる、など、引っ掛けさせる球種が限定される。


 その上、きちんとした強豪校はバッティングピッチャーを使ってそれなりに変化球打ちも練習しているというもの。

 もちろん、バッティングマシンだけに頼ってて速球にしか強くないという学校も結構あるが――晄白水学園はそういった手合いではないらしい。


(そこいらの連中とは、まぐれ当たり狙いの強振のが違う……)


 5回裏から8回裏まで。

 相手の作戦はとても単純で、狙い球を絞って豪快なスイングを続けるというもの。そしてそれが故に、俺は相手の予想を外し続けるしかなかった。


 滑稽な喩えだが、あっち向いてホイを永遠に外そうとするようなものだ。そんなの、いつか当たってしまうものである。

 仮に俺に、並外れた観察眼があったとしても――。


(長打を避けようと低めの配球が多くなっていたのが読まれてしまった。それだけだ。こういうとき、焦りでピッチングが崩れたら駄目だ……)




 ようやく3アウト目をもぎ取り、攻守交代と相成る。

 8回裏終了時点で4対3。

 相変わらずリードは続いているものの、全然楽ができない展開である。


 これはもう、俺は引っ張れない――。

 そう直感した。別に続投してもいいが、その場合は長打リスクが伴う。確実性が落ちるのだ。


「……緒方」

「おう、任せろよ」


 俺の呼びかけに即座に返事がきた。

 8回裏途中で交代できなかったのは、肩を作ってもらう必要があったから。速球派の緒方は肩を作らないと制球が安定しにくい。


(たとえ、この采配を読まれているとしてもだ)


 切るべき手札は緒方。この場面は、クローザーにこそ相応しい。






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