第17話 再戦・晄白水学園、そして監督⑤:手強さとは相手の粘り強さにあり
■5回裏:ときめき学園の守備。
勝てそう、という緩みがなかったわけではない。
実際、この場面で3-0の3点リードは大きかった。例えチャンスを作られてスクイズプレーに持ち込まれても2点分までは献上できる、という計算が立てられる。
それに、森近もここからは速球中心で組み立ててくると言ってる。
森近が相手にするのは6番打者。つまりここからは下位打線。
下位打線は球威と球速で抑え込んで、そして投手タイプががらっと変わる軟投派の俺にバトンパス……ということなので、継投リレーとしても悪くない。
(まあ、この場面で森近なら大崩れはないだろうさ)
だから俺も安心してこの場面を眺めていた。
インハイとアウトローを丁寧に使った、インハイの速球を活かす目一杯のリード。
……そこで、まさかのソロホームランが飛び出るまでは。
◇◇◇
「さっきのスリーランはやられたな……すまない、津島。星上くんにはインローを投げるよう指示するべきだった」
突然の監督の謝罪を受けて、2年投手の津島は慌てた。タオルで汗を拭く手を止めて、咄嗟に否定する。流石にこれは監督の責任ではない。
「とと、とんでもないですにゃあ、監督! あれは私の力不足ですにゃ。球威で押してレフトフライに出来ないのが、私の今の限界ですにゃ!」
――そろそろ、打たれてもおかしくないと思っていた。
実際ときめき学園の打撃陣は、安打こそわずかしか出していないものの、バットにはよく当てていた。もし誤算があるとすれば、インハイでまだ押せると甘い見立てを持ってしまったのが悪い。
ゆえに津島は、あれを自分の責任だと甘んじて受け止めていた。
あれを本塁打にした星上は見事であるし、あれをレフトフライに抑え込めなかった自分はまだ未熟なのだ。
だが鷹茉監督は、相変わらず苦い表情のままであった。
「……もしそうでなければ、ウチが先制点を取ってお前を援護できていたんだがなぁ」
「逆ですにゃ! 監督の読みがあったからこそ、ウチはまだまだあのときめき学園に喰らいつけているんですにゃ」
ベンチの面々も、然り然りと同意した。鷹茉監督のおかげで今いい試合を出来ているのだ、と全員口をそろえて感謝を述べた。これも彼女の人望のなせる業である。
何せ、彼女は采配を的中させたのだから。
曰く。
『見る限り今日の森近は不調だ。制球がやや甘く、変化球を低めに集めることが出来ていない。恐らく完投はない。危なくなれば、次は星上につないでくる可能性が高い』
『星上に継投するなら、その直前の森近はどういった配球で投げてくるか? おそらく、速球で押してカーブを混ぜる単純なコンビネーション中心に変わるはずだ。星上で空振りを取るために、少しでもストレートの残像が印象に残るよう球速差を強調する緩急を活かしたコンビネーションにしてくるはず』
『カウント球か決め球かは分からないが、高い確率でくるインハイの速球を叩け。思い切り強振でいい。狙いを絞ってスタンドに放り込むんだ』
そして実際に、森近はインハイにストレートを投げてきた。
この助言が当たった。初っ端からソロ本塁打が発生した。
結果、相手投手の森近と1年捕手の蜜石は調子を崩してしまった。表面上は取り繕っているが、リードがセオリーの繰り返しになってしまっている。
つまり、『変化球2球で2ストライクで追い込んだら、高めに速球を投げる』みたいな教科書のような投げ方を平気でしてくるようになった。
もちろん教科書になるだけあって、威力は抜群なのだが、セオリー通りであれば平然とインハイにストレートを放ってくる。動揺していないのか、それともセオリーにしか頼れないからもう破れかぶれになっているのか――おそらくは後者である。
結果、基本に忠実な配球で一人凡退にしたものの、続いてのツーベースヒットが炸裂したとき、ようやくときめき学園側のタイムが入った。
5回裏。
得点は3-1で、ときめき学園2点リード。
状況は1アウト2塁。
――同点打のチャンス到来である。
(……これは、いけるにゃ)
津島は、思わず口元が緩むのを抑えられなかった。
これもまた、鷹茉監督の読み通りの展開である。
一発狙いの強振であれば、1回目は「これはまぐれ当たり、出会い頭の偶然の交通事故かもしれない」と向こうが判断して、まだ森近を引っ張ってもう一発分のチャンスを作れるかもしれない、という賭けである。
そして実際にその読みが当たった。
向こうはツーベース1本分、甘い判断をしてしまったことになる。
(もしかするとこれは、負けそうだった試合を、なんとか泥試合まで持ち込むことができたかもしれないにゃ……!)
根拠のない直感だが、もしも試合に
今のときめき学園は、必ずしも優勢とは言い切れない立場にあった。
◇◇◇
「……これぐらい、自力で何とかしますわ!」
「いや代わろう、悪いけど森近はライトに入ってくれ。また俺か緒方でピンチになった時に森近を呼べるようにしたい」
ひと悶着あったものの、最終的に森近は折れた。緒方も羽谷も甲野も、この場面は俺に交代するべきと窘めてくれたからである。
1アウトは取ってくれたので十分。これで交代が望ましい。
4回までは2安打で抑える好投だったが、このイニングで2安打、うち1本が本塁打を計上している。
疲れのせいか、相手の慣れのせいか、答えは分からないにせよこの辺が潮時であろう。
(速球を強調したコンビネーションが打たれ始めた……? というより、向こうは速球を狙って叩いたって感じがするな)
そもそも森近の持ち味は多彩な変化球で狙いを絞らせないところにある。つまり制球が生命線。どこか調子を悪くして制球がやや甘くなっている今の森近に、これ以上のパフォーマンスを期待するのは酷である。
5回裏、点数は3-1、1アウト2塁。
次に迎えるは9番バッターの津島。
打撃をどの程度期待できるのか分からない以上、おそらく向こうは、積極的に盗塁を狙ってくるだろう。
(うーん、なるほどなあ……向こうは下位打線だし、右打ち狙ってくるよなあ。最低でも2アウト3塁。長打も警戒する場面だよなあ)
ここから1点差に詰め寄られていいなら、たとえ3塁を落されても中間守備を継続する――という手がある。
失点を無理して抑えるより、1アウト優先。
「あの、ほ、ホッシ先輩……ええと、失点よりアウト優先なら……この場面は最悪バントはよしとして」
「落ち着け蜜石。バントもOKで長打回避なら低め狙いだ。初球打ちはほぼないし、決め球はたくさんあるから2ストライクまでサクッと追い込んで自滅させる。向こうの注文は右打ちだからインコース低め、かつあわよくば長打を狙っているから飛びやすい球種は基本外す。俺が指示するまではナシだ」
「は、はい!」
やや動揺している蜜石に言って聞かせる。
1アウト2塁でこの場面。外したいのは飛びやすい球種、つまりストレートと横回転系(スライド回転とシュート回転、特に相手から逃げる方向の回転)である。縦への沈み成分が出るカーブやシンカーはOK。
三振狙いに賭けるなら横回転系のスライダーでもいいのだが、初球カウントを稼ぐ意味も込めてカーブの方を取りたい。また同じ横回転でも相手のインコースに入ってくる回転のほうが失点リスクは低くなる[1][2]。
相手の読みを外すという意味で
引用[1]:https://baseballgate.jp/p/72578/
引用[2]:https://note.com/baseball_namiki/n/ne51b22d1ba1e
ゆえに――。
初球。
まさかまさかのアンダースローからの鮮烈な高目スライダー。
こういう予想外のストライクを取るのが最高に気持ちがいい。
(はっはー! やったぜ! スライダーはダメだけど、落ちないスライダーのスイーパーは違うんだよなーッ!)
俺には球速がないので、大谷翔平投手のようなスイーパーは投げられない。アンダースローの落ちない軌道を活かしたなんちゃってスイーパーになる。
だが変化量がクソでかいので空振り狙いは十分。芯を外させる効果も大きい。
スライダーの分類の中でも失点抑止力が比較的高いスイーパーは、決め球にするのに優秀な球である。[3][4]
引用[3]:https://note.com/baseball_namiki/n/n9fdb8fab3aa2
引用[4]:https://thedigestweb.com/baseball/detail/id=70111
じゃあいきなりカウント球にするなよ、という話ではあるが、俺に1ストライク取らせたらもう詰んだも同然である。
2球目に内角低めにシュートを持ってきて見逃しストライク。あっさり2ストライク。
最後に投げるのは――スプリット。いわゆるフォーク。
狙い目の直球と勘違いした相手打者は、あっさり三振でバッターアウトに。
(普通、落ちる決め球持ってる投手に2ストライクまで追い込まれたら、ほとんど負けだもんな。しかもこの打席で俺ストレート見せてないし、さっきのがストレートに見えても仕方ないよね)
変化球、変化球で追い込んだら次はストレート、というよくあるセオリーを逆に利用した変則的な配球。
俺みたいに大量の球種を持っている奴だからできる贅沢な投げ方である。
(とはいえ、最後の強振が気になるところだな。あんまりうかうかしてると、俺も一発大きいのを打たれるかも……ん?)
わっ、と背後がうるさくなった。「サード!」と羽谷が叫ぶ。落ちるフォークの処理でテンパった蜜石が何とか三塁に送球するも、判定はセーフに。
(……。あ、ディレイドスチールか)
俺の球速が遅いので、狙われても無理はない。ただディレイドは少々意外であった。変化球を潤沢に使いすぎて、相手にギャンブルされてしまったわけである。
あの盗塁は大きな賭けだと思うが――まんまと決められてしまって、2アウト3塁。
(……。いや、仮にこの盗塁失敗して3アウトになっても、次の回は1番打者か。ノーアウトで上位打線に入る。その上、球速の遅い投手である俺と、ちょっとテンパり気味で動揺を隠せていない1年捕手の蜜石のバッテリーに、盗塁もあるぞとプレッシャーをかける搦め手でもある……)
冷静に考えると、盗塁に失敗しても相手にプレッシャーを与えられる悪くない一手だった。
その意味だと、今あっさり盗塁を成功されてしまって3塁に入られているのはちょっと嫌な感じである。一難去ってまた一難。同点打もあるこの場面。
(……しばらく強振狙いが続きそうだな。どこまで無失点で持つか、先が読めないな)
はっきり言って、今年の晄白水学園は、非常に手強い。
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