第8話 トーナメント序盤、まずは後輩に場数を踏ませることから始める①

 ――邦洲高校野球選手権近江県大会 第三回戦(※シード校が最初に出場する試合)。

 近興越高校 対 ときめき学園。


「よろしくお願いします!」

「よろしくお願いします!」


 両校ともに声高らかに挨拶を行い、そして守備側となったときめき学園が定位置につく。


 次いで選手紹介のアナウンスが流れる。

 高校野球の公式戦では当番校が決まっており、当番校のマネージャーや放送部員がアナウンスを担当する。駐車場案内や、スコアボード係、ファールボール拾い係、グラウンド整備も当番校の部員が担当する。


 アナウンスは分かりやすく簡潔に、そして綺麗な声で。

 俗にいうウグイス嬢ならぬ、ウグイス少年・・

 スターティングメンバー、選手交代、打席に入る選手の名前を読み上げる彼らは、試合の司会進行役でもあるのだ。


『お待たせいたしました。邦洲高校野球選手権近江県大会 第三回戦。本日の第1試合、近興越高校 対 ときめき学園。両チームのスターティングラインナップ、並びにアンパイヤの紹介をいたします――』


「わわワイ将……開幕の先発投手に大抜擢……(アカン)」


 良く通るアナウンスの声。

 マウンド上に立つ小さな少女は、身体の震えを抑えようと必死であった。


『ただいま守備につきました私立ときめき学園の守備の紹介をいたします。ピッチャー、フィル・幸奈・岩崎さん――』


「アッー、やめてー、これは悪い夢です、これは悪い夢以外の何物でもなーい……」


 先発投手、新入生、フィル・幸奈・岩崎は、助けを乞うような目で周囲を見た。

 だが、周囲の先輩たちは「リラックス、リラックスー!」「どんどん打たせていこー!」「後ろは任せろー!」と声掛けをするだけで、マウンドから降ろす気配は微塵もなかった。






 ◇◇◇






【頑張れ】近江県高校野球スレ117【湖国球児】


 138:やきうのお姉さん@名無し

 近興越高校 対 ときめき学園

(3回裏終了時点)3対11

 はえーすっごい()


 139:やきうのお姉さん@名無し

 見てる分にはおもろい


 140:やきうのお姉さん@名無し

 ピッチャーなんて誰でもよかったんや


 141:やきうのお姉さん@名無し

 岩崎:投球回数3、奪三振0、与四球1、失点3

 これは勝ち運ですね


 142:やきうのお姉さん@名無し

 ま、まだQSの範疇やから……(小声)


 143:やきうのお姉さん@名無し

 ときめき学園の打撃陣が別格すぎる

 打率4割超えの羽谷&ホッシ、打点王の森近、勝負したら三回に一回HR打つ緒方と甲野

 意味わからん


 144:やきうのお姉さん@名無し

 近興越高校の守備ぼろぼろでワロタ


 145:やきうのお姉さん@名無し

 要所要所はそんなに悪くないんだけどな

 ときめき学園で1番打者~5番打者でほぼ自動的に打線がつながっちゃうのと、上位打線でも普通にアウトになるのと、比較したらそうなっちゃうよ


 146:やきうのお姉さん@名無し

 これはひどいワンサイドゲーム


 147:やきうのお姉さん@名無し

 3回の時点で球数100超えるとかあるんやな


 148:やきうのお姉さん@名無し

 >>144

 近興越高校の守備そんなに悪くないぞ

 羽谷のライナーを一回アウトにしてるし、森近のサード強襲も、ホッシのセンターへのいい当たりもアウトにしてる

 単純にピッチャーが平凡で、ときめき打線に投げる球がないだけ


 149:やきうのお姉さん@名無し

 これは教育やろなあ


 150:やきうのお姉さん@名無し

 フィルってイーファス使いか?

 さっきからおちょくってるようなゆるい球しか投げてないんやが

 速い球でもホッシ並みの速度やし


 151:やきうのお姉さん@名無し

 ぱっと見た感じ、ストレートとスローカーブ使いかな?

 森近より速度でないし、制球はさほどやし、今のところはイーファス使えるっていうだけやね


 152:やきうのお姉さん@名無し

 緩い球でこれだけ凡打だらけなの面白いな

 よく考えたらわざわざ遅い球を打つ練習なんてしないし


 153:やきうのお姉さん@名無し

 遅い球をホームランにするのは、逆に難しいからな


 154:やきうのお姉さん@名無し

 フィルの球、微妙に揺れてない?


 155:やきうのお姉さん@名無し

 >(3回裏終了時点)3対11

 去年のときめき学園も言うてこんなもんだったんとちがうか?

 森近も星上も打たせて取る感じだったし、緒方は制球難だったし


 156:やきうのお姉さん@名無し

 それはそう

 1年に過度に期待しすぎや

 ここから大きく育つんやで


 157:やきうのお姉さん@名無し

 >>155

 去年はときめき学園の守備にエラーが目立ったけど、今年は守備もそんなに悪くなくて、普通に投手の力不足で失点してる感


 158:やきうのお姉さん@名無し

 >>155

 せやね、まだ1年投手なんやからここから成長できるで

 逆に公式戦に抜擢されるってことは期待されてるって証拠やと思うし

 森近やホッシに次ぐスローカーブ使いとして伸び伸びやってほしいわ


 159:やきうのお姉さん@名無し

 いやスローカーブって言ってるけど本当にスローカーブか?

 岩崎の球、揺れてるぞ


 160:やきうのお姉さん@名無し

 近興越高校もがんばれ

 ランナーきちんと出してるし、あのときめき学園から3点ももぎ取ってるし、もっと攻めれるぞ


 162:やきうのお姉さん@名無し

 そりゃあ、十年近くバットを触ってきました、球筋の見極め方も球を打つ感覚もだいぶわかってます、みたいな連中が五人も居るからな……

 しかも細くて小柄だった羽谷妹も森近もそれなりに背が伸びてるし、みんなフィジカルがちゃんと成長してる

 プロ目指せる逸材揃いやな


 163:やきうのお姉さん@名無し

 経験積ませながら勝てる強豪校の特権って感じの試合やな

 あれだけネタ扱いされてたときめき学園も、すっかり強豪の仲間入りやな






 ◇◇◇






『私立ときめき学園、選手の交代をお知らせいたします――』


(悲報、ときめき学園の先発のワイ、無事大爆死の模様)


 交代を告げるアナウンスを聞きながら、フィルは落ち込んだ気持ちを何とか表に出すまい、と気丈にふるまった。

 3回投げて3失点。

 つまり9回投げれば9失点となる計算である。奪三振0も痛い。要するに自力ではアウトを取りきれないピッチャー。こんな調子では頼りになるはずがない。


(島国のベースボールなんて楽ちんちん、そんなふうに考えていた時期がワイにもありました)


 揺れる魔球、ナックルボール。

 フィルが最初にその存在を創作物で知ったとき、その存在にワクワクしたものである。何せ不規則に揺れるのだ。どのように動くのか予想のしようがない球。そんなものを投げ続ければ、絶対に打者は太刀打ちできない――。

 自分の親が名うてのナックルボーラーであったということも、それを後押しした。フィルが親に強い憧れを抱いたのもその時である。


 ――その時は、ナックルボールの現実を知らなかった。


 リリース時の指の使い方が独特で、下手に力を伝えようとすると回転が生まれてしまうので、球速はどうしても遅くなる。腕の旋回運動であるスローイングではシュート系の回転が生じやすいので、パンチングのように押し出す必要がある。結果力を上手く球に伝えられず球速が遅くなる。


 パンチングで投げるとなると、フォームやリリースですぐに分かるので、他の球種との併用ができない。

 また、カウント作るためにどうしてもコースが甘くなる。

 風が必要になるので、野外球場には適するが、ドーム球場では無用の長物になる。


(はーあ、ワイ、かっこ悪いなあ……)


 1年生にしては上出来、と先輩たちは口々に言う。だがフィルが求めていた結果はこんなものではなかった。


 ――自分はメジャー二世なのだから、島国のベースボールごっこなんて、余裕で圧倒しなくてはならない。


 そんな侮りが、どこかに存在したのだ。


「フィルっち? おつかれー。あとで先輩からコメントもらいーな?」


 首筋に冷たい感覚。どきりとして顔を上げると、そこには第二捕手の蜜石がいた。にこにこと朗らかな表情だったが、あからさまに気を使っているような声音であった。

 首筋にはよく冷えたスポーツドリンクが当てられていた。今のフィルがちょうど欲しかったものである。


「ほーら見て見て、むつみん凄くなーい? アンダースローでどんどん凡打に取ってるじゃん」

「……」


 隣に座った蜜石が、いかにもギャルっぽい明るい口調でそう言ってのけた。

 落ち込んでいる自分を励まそうとしているのだろう、とフィルはすぐに気づいた。気付いたうえで、フィルは、自分の不甲斐なさでますます気持ちを暗くした。


「……甲野先輩のリード、どうだった?」

「……え」


 急に問いかけられる。見れば、真剣な顔つき。


「あのさ、球種が一つでもリードは一つじゃないじゃん。例えばスイングのタイミングが合っている打者とそうじゃない打者。立っている場所が前のめりの打者と後ろ寄りの打者。状況で使い分けるじゃんね?」

「……」

「あーしがフィルっちとバッテリーを組むなら、絶対、緩急とコースでリードを決めてるはずなんよ。そしてそれは甲野先輩も同じはずなんよ」

「え、と」


 喉の渇きが急に強くなった。スポーツドリンクを飲み下しながら、フィルは混乱する頭を何とかまとめようと、何とか言語化しようとした。

 しかしできなかった。何を言っても、この蜂人族のギャルの子を納得させられる自信がなかった。


「上位打線で考えて。相手の下位打線は最初から、一打席程度じゃイーファスピッチの球筋を見切れない、ぐらいに思っていいじゃんね。で、あーしなら、一打席目からヒットを当ててきた2番打者と4番打者を注意する」

「……う」

「あーし見てたけど、フィルっちの球は全部落ちる球だから、向こうは心なしかアッパースイング気味に来てるんよね。で、4番は実際長打放ったじゃんね。だからそれを考慮するなら、大体カウント球は高めストレートに構えるじゃん? で、プレート踏む場所もなるべく外角ギリギリ踏んで甘いコースに入らないようにしたんじゃない?」

「……そう、だけど」


 辛うじて答えると、「いえーい」と蜜石が再び朗らかになった。

 先ほどの真剣な様子から急な様変わり。どちらが地なのか分からなくなるような変貌であった。


「やっぱそうなー! わかるー。あのさ、フィルっち大丈夫だよ。先輩めっちゃフィルっちのためにリードしてくれてるよ。打たれたのも先輩のせい、ぐらいに考えてだいじょぶ」

「……それは」

「あーしならね、フィルっちには、ストレートの制球を良くしてもらって、決め球のナックルは低めに持ってきてもらいたいの。フィルっちの反省それだけだよ」

「でも……っ!」


 何かを言おうとしたが「でもも何もないって」とあっさり流される。すごくさっぱりしたような表情であった。


「だってナックルって自分で変化を制御できないでしょ? できるのは球速と大雑把なコースぐらい。じゃあ反省点はそこじゃん。打たれちゃったのは結果論、泣くこたぁないよ」

「……」


 あーしも試合出たかったなー、とあっけらかんと言う蜜石は、試合中における投手と捕手の挙動をつぶさに観察している様子であった。試合に出られなかったからと言ってうじうじせず、何か一つでも学び取ろう、盗み取ろうとするような貪欲で前向きな目。


(……初っ端から格好つけようとして、目に見える数字の結果だけ気にしてた……けど)


 どれだけ三振を取ったとか、どれだけ防御率を維持できたかとか、そんなことをごちゃごちゃ考える前に、まずはシンプルに、リードに答える投手にならなきゃいけないのではないのか――。

 そんな当たり前の言葉が脳裏をよぎって、フィルの胸に刺さった。


 4回終了時点。

 現在の得点は、4対14。


 夏の甲子園、ときめき学園の第一試合は、いかにも格好悪いスタートで始まった。






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