第25話 夏の公式戦(甲子園の地方予選)でも持ち前の打力を爆発させる(後編)
■7回表:ときめき学園の守備。
鹿鳴館杜山高校のセカンド兼4番、馬杉は、ときめき学園相手に不屈の闘志を滾らせていた。
強豪校は、ただでは負けない。
得点の狙える好機があれば、それを逃さず叩きに行く。
例えば守備。
ときめき学園の守備が甘いことはすでに周知の事実となっている。
もちろん、羽谷と緒方(か星上か森近)の二遊間はフィールディングも上手でベースカバーも大きなミスがなく送球もそつなくこなす、非常に質の高い守りを見せつけている。
センター(これも緒方か森近か星上が担当する)まで含めて考えると、センターラインの守備力は盤石と言ってもいい。
だが、それ以外が甘い。
三遊間を抜いたら長打、一塁線に転がったらセーフ。
そういった感じで、狙えば安打になるようなコースが存在する。穴と言い換えてもいい。
そこを狙い打って進塁。
そうやって、少しずつ得点機会を広げていく。
他にも、例えばバントを意識して前に出すぎてしまったファーストの目を盗んでリードを長めに取り、盗塁に踏み切ったり(これは甲野の強肩で刺されて盗塁失敗になったが)。
サードに取らせるプッシュバントをそつなくこなしてセーフティバントを成功させたり。
少しでも勝てる可能性を増やす。
今できるベストを尽くす。
それが強豪の正しい姿勢である。
(U-12代表が弱小高校に四人も集まるなんて、まるでドラマみたいっスね。でもこの馬杉、ただでは負けねえっス)
バッターボックスに向かいながら、馬杉は精神を集中させた。
現在の得点は6対14。差は8点。
そして迎えた1アウトランナー1塁2塁。好機と言える。
この場面を抑えられてしまったら7回コールドで終了となってしまう。
大きなプレッシャーを感じながら、馬杉は長い息を吐きだした。
(相手はゲッツー狙いっスかね。注文は内野ゴロ。カウント稼ぎはカーブかスライダーあたりっスか)
6点取られているときめき学園側。
マウンドに立っているのは、甲子園に唯一男性選手として出場しようとしている一年エース、星上雅久。
正直に言うと――クソかっこいい。
程よく鍛えられている、すらっとした体躯。
日ごろから食べ物に気を付けて日焼け止めなど肌のケアをしないと保てないような美肌。
すっとした顎の形も、幼い頃から歯の矯正を行ってきた賜物なのかもしれないし、あるいは持ち前の美貌なのかもしれない。
顔には生き方が出る――と馬杉は思っている。
ぽやんとした顔で生きてきた人はぽやんとしたままだと思うが、星上の顔立ちは、きりっとしていて刺すように鋭い。とんでもなく格好いい。多分大陸の女性でこれが嫌いなやつはいないってぐらい格好いい。
目元もくっきりしている。幼い頃からぱっちり目をあけて生きてきたのかどうか知らないが、くりっとした丸い目である。これで眼光鋭い顔立ちなのだから、凄く知的に見える。
汗をぬぐっている。絵になる。
古代彫刻の横顔と遜色ない美しさ。
随所に
だが身体の線が
(集中っス、集中。球の出所が分かりにくいフォームと、極端に遅い球速のせいでスイングすべきタイミングをつかみあぐねるだけっス。裏を返せばまぐれ当たりでもOKっス。球威はないんスから)
どうせ初球は外角カーブ――。
狙い球を決めにかかる。
星上がどこに何を投げるかなんて予想できるはずもない。右も左も自在に投げ分けられる上、オーバースローからアンダースローまで多彩に使いこなせて、そのうえであんなにたくさんの変化球を持っている人間などそうそういるはずもない。
だから普通、打者としては来た球を打つしかできない。
だが、馬杉は違う。
感性が抜群に優れているのだ。
(基本的に星上投手は、変化球しか投げてこないっス。速球はあくまで遅い球に目が慣れたころに使うダメ押しでしかないし、塁上に誰かを背負っているときにはなぜか投げてこないっス。となると、変化球をイメージして待っておけばOKで、万が一速球が来ても詰まりながらファールにすればOKっス。球威はないんスから)
普通、塁上に誰かを背負っている場合は、盗塁を阻止するため速めの球を投げる確率が上がる。
だが星上はそんなことはしない。平気で遅いカーブを投げてきたりする。これは推察するに、盗塁されることよりも長打を恐れている証拠と言える。打者勝負優先ということだ。
(インハイはあんまりなさそうっスね。木製バットじゃなくて金属バットの場合、芯をずらされたインハイでも長打は出るっスからね。めっちゃ手は痛いっスけど、金属バットは折れないんだし強引に飛ばせるっス――)
初球。
思いっきり振る。
空振りのストライク。
捉えたと思った外角のカーブが、外に泳いで逃げた。
(珍しく初球ボール球っスね)
制球に自信のある星上投手のことなので、これは意図的に外したのだろう。
ギリギリゾーンに入ったと思ったが、もしかしたら凡打で仕留めようとしたのかもしれない。
下手に当てていたら危なかった――と馬杉は気を引き締めなおす。
(スイングのタイミングは
見えていないか確かめるなら、外角低めに今度は球一つ分外れたストレートを1球要求してくるだろう。それが定石。
だがバッテリーを組んでいる相手は星上。遊び球を極端に嫌う。
(読めねえっスね。タイミングが合っていたカーブを嫌って、違う球種を外に要求するっスかね。もしくは内角)
外角ならスライダー。
内角なら――。
二球目。
可能性としては低いと思っていたインハイに真っ直ぐくる球。
手をコンパクトに畳み、横にカットする。
ファール。だが変な球を打ったような痺れがある。
(! ……こりゃあシュートっスね。内角シュート、まともに手を出してたら内野ゴロっスか)
これで2ストライク。追い込まれたカウント。
ここで馬杉は考える。相手の決め球は何だろうか、と。
(サイドスローに切り替えてもう一回シュート、あるいはアンダースローに切り替えてくるか。そうじゃないならフォーク、っスか)
もう読めない。決め球が多い星上は、追い込んだときの仕留め方さえ豊富に持ち合わせている。
打ち気の強いやつにはボテボテのゴロを打たせるような変化球を、あるいは三振を取るような変化球を投げてくる。
外内と来たので、次は外にくる可能性が高いか。外が見えていない可能性も考慮して外を攻めるはず。
そう判断したところで――嫌な予感を感じ取る。
(……直感的には内っス。ほぼ確実に変化球。追い込んだカウントになった以上、ちょっとでも打てそうなコースなら振ってくる――と読むはずっス。見逃し三振はほぼなし。空振り三振に取れる球か、凡打になりそうな球を投げたくなるはずっス。今のシュートの残像を利用してくるっスかね?)
そう考えた瞬間、三球目がやってくる。
サイドスロー。極端なインステップ。そして投球。
極端な内角への球。
(――当たる!?)
ばちぃ、とはじいた打球はファールゾーンへ。
手がしびれる。
今の球は分からない。
だが――もし考えが合っているなら、今のはスライダー系の球。
内角のボールゾーンからストライクに曲がっていく球。
右打者対右投手の時、こんなスライダーをサイドスローから投げられたら全然見えない、というぐらいの反則級の曲がり方をするスライダーである。
相手の星上投手が目を丸くして驚いていた。
きっとこれで仕留めたと思ったのだろう。
気持ちは分かる。プロでも通用するぐらいの鮮やかな決め球だった。
だが、辛うじてファールに逃げることができた。
(……次こそ外っス。オーバースローならフォーク、それ以外なら外に逃げるスライダー、あるいはカーブ)
――当たりそうになった。
そんな恐怖心が、一瞬だけ腰の引けた姿勢にさせる。
だが馬杉は、もう腰砕けにならないぞ、と腹を括り、姿勢を正した。
相手投手の制球力を信じ切って、ここは腹を括るべき場面である。
四球目。
アンダースローの投球。
投げられた球は――内角か。
浮き上がる軌道で高さが分かりづらい。
(! これは――!)
振らなきゃストライク、と直感して――瞬間的に
球は内角に
ストライクからボールに変化する球。見逃して正解であった。
(い、今のも、シュート……っスかあ)
とんでもないシュートだ、と馬杉は内心で冷や汗をかく。変化量はさしたるものではないが、変化するポイントが打者の手元近くなのが嫌らしい。こんなの見極められるはずがない。
三球続けて内角を攻めてくる胆力も素晴らしい。だが、打たなきゃいけないぞと腹を括っている四番打者相手にこのコースは中々投げられない。
2ストライク1ボール。
こんなにしんどい打席なのに、まだ相手は一個しかボールカウントを取っていない。
あと2球も遊び球を投げる余裕がある。
(一球一球が凡打に討ち取れるような変化球で、それで普通に三振狙いに行ってるって……このバッテリー正気っスか……)
もはや次は読めない。
決め球がありすぎる。
強いて言えば内角への意識を強く持たせすぎたから、そろそろ外角低め――最初に空振りを取った場所を攻めてくるのが定石。
あるいは内角球が続けて飛んで腰が引けているだろうと予想して、外角高めに浮き上がるようなストレートを投げてくる頃合いか(腰が引けている状態で手を出せば三振かポップフライになるような球)。
いい加減、低めのフォークが怖い。
(……大丈夫っス、この馬杉、今ので分かったっスよ。敵の球に速度はないっス。ということは最悪、球が当たっても痛くないっス。ボックスギリギリに踏み込んでOK、むしろ警戒すべきは外角っス)
嘘だ。怖い。100km/h近くある球は普通に痛い。
だが馬杉はここで心理戦に出た。
果たして、U-12経験のある切れ者キャッチャー、甲野はここでどう考えるだろうか。
そして星上はこの状況から何を投げてくるだろうか。
(思い出すっス。これは案外チャンスっスね。
初球、外角カーブ、空振り、タイミング〇。
二球目、内角高めシュート、ファール、タイミング〇。
三球目、内角腰元スライダー、ファール、タイミング?。
四球目、内角腰元シュート、ボール。
これ相手からみたら滅茶苦茶怖いっスね。スイングのタイミング大体合ってるし、決め球っぽい内角スライダーも内角シュートも見極められたように感じるはずっス)
シュートとスライダー、決め球を二個も潰した感覚がある。
外角低めカーブとて、スイングタイミングがばっちり合っている以上、微調整で当てられる。
相手は決め球に悩んでいる――。
(四球続けて内角はなさそうっス。でも、私はボックスのギリギリまであえて踏み込んだ。外角が狙われている――と思ってくれるなら、向こうは内角四球目を投げざるを得ないっス)
五球目。
アンダースローの投球。
投げられた球は――内角。
先ほどのシュートの残像が重なる。
だがしかし――。
(
バットを振り抜く。手に伝わる衝撃。
明らかに芯からずれた打撃。それでも――相手の球を捉え切った。
全力疾走で塁を駆ける仲間。
これはヒットだ、という会心の手ごたえ。馬杉は読み勝った。
外角か内角か迫るゆさぶりをかければ――外角狙いの打者も内角狙いの打者も打ち損ないそうになる球が来るはず。しかも直前の内角三連投の残像を活かしたい場面。
よって、内角と見せかけて外角に大逃げするスライダーが来ると読んだのだ。
(――――あ)
しかし――そこにはショートがいた。
天才的な遊撃手、羽谷が、鮮やかな捕球を見せて、二塁をアウトにしていた。
華麗なる守備だった。
一瞬の出来事だった。
そのまま一塁送球となりゲッツーへ。文句のつけようのない併殺。
この瞬間、馬杉は、自分と先輩たちの夏が終わったことを遅れて理解した。
(
――あのお化けスライダーを打った感触が、まだ手に残っている。
その痺れを噛み締めながら、馬杉は(……ここまでやっても負けてしまうこともあるんスね)、と、世界の広さを痛感した。
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