第182話 『 ここに在る幸せ 』

 ――夜。

 夕食も食べ終わり、今はいつものようにソファーでくつろいでいるのだが、


「どしたのアマガミさん。なんだか妙にそわそわしちゃって?」

「…………」


 学校から帰る時から既に様子がおかしかったアマガミさん。まるで僕に何か聞きたいことがあるように見えて、けれど聞くのは躊躇いがある。そんな状態がずっと続いているようだった。

 丁度いいタイミングだと思い訊ねてみれば、アマガミさんは指をもじもじさせながら、


「その、ボッチ。お前、生徒会入んのか?」

「あ。知ってたんだ」

「あぁ。お前が美人の先輩と一緒に生徒会室に入っていく所を見てたヤツが教室で噂しててな。聞けばその美人の先輩は次期生徒会長で、今生徒会のメンバーを募集してるらしいじゃんか」

「おぉ。すごい。そこまで知ってたんだ」

「茶化すな」

「べつに何も茶化してないけどね。僕も彌雲先輩が生徒会のメンバーを集めてるっていう話は本人から直接聞いたし知ったのは今日だったから」

「ほぉ。その美人先輩は彌雲先輩っていうのか」


 やけに美人の部分を強調してくるなぁ、と苦笑い。


「僕はアマガミさんが世界一可愛いと思ってるから安心してよ」

「そ、そうか……って! 今はそんなこと聞いてねえよ!」

「そうなの? 僕はてっきり、アマガミさんが彌雲先輩に嫉妬してるんじゃないかと思ってたんだけど」

「嫉妬なんかしねぇよ。カノジョカレシになって早々に浮気なんかしたら容赦なくぶん殴るからな」

「僕は浮気なんてしません。アマガミさん一筋です」

「ならいい」


 僕がそう言い切ると、アマガミさんは満足げに鼻を鳴らした。それから彼女はソファーの上で胡坐を組んだまま片目だけ開いた赤眼で僕を睨むと、


「で、結局どうなんだよ。生徒会に入んのか?」


 少しだけ不安が垣間見える、揺らぐ赤眼。

 その瞳に僕はにこっと笑みを浮かべると、


「うん」

「そっか。やっぱり入んのか」

「その話なら断ったよ」

「…………。――うえ⁉」


 一瞬静寂が訪れたあと、素っ頓狂な声がリビングに響いた。

 アマガミさんは聞き間違いかと目をぱちぱちと瞬かせながら、


「断ったって、え、マジで?」

「うん。断りました」


 こくりと頷く僕に、アマガミさんはまだ困惑した様子。


「そんなに驚くことかな?」

「や、だって。お前、頼まれたら何でも引き受けるタイプじゃん」

「いやいや。僕はそこまでお人好しじゃないよ。できないことはきっぱりと断ります」

「でもあたしのお願いは何でも聞くよな」

「それは勿論。大好きな人のお願いですから」


 アマガミさんが「そうか」と少し照れる。けれどすぐにコホンッ! と大きな咳払いをすると、


「その、なんで断ったか聞いてもいいか?」

「特に深い理由はないんだけどね。いいよ」


 恭しく聞いてくるアマガミさんに苦笑しながら、僕は彌雲先輩の勧誘を断った理由を愛するカノジョさんに告げた。


「そうだな。端的にいえば、これ以上仕事は増やせないから、かな」

「お前忙しいもんな」


 アマガミさんが僕に同情か憐れみを込めた視線を送ってきた。


「うん。流石にこれ以上仕事を増やすと僕の私生活にも支障をきたしそうだったので。僕だって休みは欲しいからね」

「休め! ボッチは休んでいい! 次の休みの買い出しはあたしに任せろ!」


 なんかものすごくアマガミさんに気を遣わせてしまってる。今にも僕に肩たたきをやりそうな気迫だ。

 そんなカノジョに微笑みを浮かべて、僕は彌雲先輩の勧誘を断った最たる理由を告げた。


「それともう一つは――アマガミさんと一緒に居たいから」

「――ぁ」


 ソファに置かれたアマガミさんの手を握りながら胸裏を吐露すれば、小さな呻き声が零れた。


「あ、あたしなんかの為に生徒会に入んの辞めたのか?」

「あたしなんかじゃないよ。僕にとって、キミと過ごす時間の方が他の何より有意義なんだ」

「でも生徒会入れば、内申点とか就職とか進学とか、そういう将来に役立つだろ」

「確かにそうだね。将来のことについて今から対策するのはとても大事だ。でも、だからといって今を蔑ろにするのもよくないと思わない?」

「それはそうだけど」


 まだ僕の考えに納得のいかない様子のアマガミさんが俯く。僕は彼女の手を握ったまま、空いた片方の手を伸ばすと、俯く頬にそっと触れた。

 慈しむように触れて、優しく俯く顔を上げた。揺れる赤瞳と慈愛を灯す黒瞳が交差する。


「今は、アマガミさんと過ごす時間を大切にしたい。少しでもキミの傍にいたいんだ」

「それは、将来よりも大事なことなのか?」

「当たり前でしょ。アマガミさんより大事なものなんてこの世にないよ」

「大袈裟だ。あたしに、そんな価値はな……いたいろボッチ」

「むぅ。弱音禁止っ!」


 アマガミさんの頬を抓みながら睨む。抓む、とはいっても軽く引っ張る程度だ。

 アマガミさんは自分を過小評価――いや、自分を大切に扱わない。平然と自分を否定するような言葉を吐く。いつもは強気なのに、こういう時は普通の女の子より弱く見える。

 僕は、それが嫌だった。


「僕は僕を大切にしてる。だからアマガミさんも自分のことをちゃんと大切に扱って欲しいな。じゃないと僕、すごく怒ります」

「………気をつける」

「分かればよろしい」


 小さく頷いたアマガミさんに微笑みけると、僕は抓っていた指を元に戻してまた少し火照った頬に触れた。


「恋人が恋人との時間を優先するのは、この世の常だと僕は思うんだ」

「はぁ。ボッチは相変わらずあたしに甘いな。おまけに過保護だ」

「ふふ。可愛い恋人を家で一人にさせるわけにはいかないでしょ」


 アマガミさんは心底呆れたように深いため息を落とす。それから、少し躊躇いをみせながら、


「……抱きしめていいか」

「うん。いいよ」


 添えた手が離れて、繋ぐ手が別れた。その後に、僕らは強く抱きしめ合った。

 互いの温もりに浸る。高鳴る鼓動に心地よさを覚えながら、アマガミさんは穏やかな声音で言った。


「あたしを優先しちまって、美人先輩の反感買ったらどうすんだ?」

「先輩は納得してくれたよ。それもまた一つの答えさ、って。まぁ、少しだけ名残り惜しそうには見えたけど。だから代わりに手伝えることがあったら何でも言ってくださいって言ったよ」

「はは。ボッチらしい答えだ。そういうとこ、ほんと好きだ」

「ふふ。ありがと」


 会話の中に、言葉では説明できないほどの温もりを感じる。


「なぁ、ボッチ」

「なに? アマガミさん」

「あたしのこと一番に考えてくれて、ありがとう。おかげで、もやもやが晴れた」

「アマガミさんのことを一番に考えるのは当然だよ。キミと過ごす時間が、僕にとって一番の幸せなんだから」

「へへ。あたしもだ。ボッチといる時間が、あたしにとって一番楽しくて、幸せだって感じる」


 キミの笑顔を見れば、この選択に間違いはなかったと断言できる。後悔なんて、微塵も感じない。


「大好きだ。ボッチ。今日はもっと、甘えさせてくれ」

「うん。好きなだけ僕に甘えてよ。一緒にもっと幸せになろう」

「はは。これ以上幸せになっちまったら死んじまうよ」

「じゃあ死んじゃうって思うくらい幸せにしてあげる」


 ――キミの体温が教えてくれる。

 ――お前の温もりが教えてくれる。


 ――あぁ、幸せは今、確かにここにあるのだと。





【あとがき】

なんだ神回か。

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