第90話 『 ボッチと水野琉莉 』
ある日。
「お待たせ、水野さん」
「ううん。それほど待ってないよ」
カフェにて僕を待っていたのは、クラスメイトの水野琉莉さんだった。
僕は彼女の対面席に座ったあと、店員さんにブラックコーヒーを注文してから水野さんに向き直った。
「どう? 夏休みの方は。満喫してる?」
「それなりかな。好きな本を好きなだけ読めるこの期間は存外悪くない。学生の特権だね」
「あはは。満喫してるようで何よりだよ」
まずは世間話のようにお互いの近況を話す僕ら。
「帆織くんはどうだい。夏休みは満喫してる?」
「ぼちぼちってところかな」
「へぇ。意外な返答だ。私はてっきり肯定されると思っていたよ」
「充実はしてるよ。水野さんと同じで好きな本やゲームに費やせる時間が増えたからね。でも少しだけ気掛かりなことがあって」
「ふーん。それが帆織くんの夏休みを満足足らせるに欠けている要因と」
「あはは。それほど重大なことでもないんだけどね」
しようと思えばいくらでもできること。ただ、それが出来ずに悶々としているだけ。
臆病なのか彼女を慮っているからなのか。自分では前者のようなな気がして、だから余計に思惟という感情に尾を引かせている。
苦笑いを浮かべる僕を、水野さんは神妙な顔で覗き込んでくる。
何か言いたそうで、けれど水野さんは何も言わず言葉を飲み込んだ。
「……ところで、僕を呼び出した用件ってなに?」
「あぁ、そうだったね。こんな無駄な時間を浪費するのはお互いによくない。さっさと用事を済ませてしまおう」
「いいよ気を遣わなくて。時間なんていくらでもあるんだから。あ、でも水野さんはこの後に予定があるかもしれないのか」
「お気遣いどうも。けれどそれは杞憂だよ。生憎、夏休みの私は暇人さ」
自嘲するように笑った彼女に、僕は「僕も同じだよ」と苦笑を浮かべる。
アルバイトがない日は基本自由だし、誰かと遊ぶ予定も特にない。なので、大抵は自宅でのんびりしている。
「それじゃあ、今日は帆織くんの時間を私が貰っていいのかな?」
「ふふ。いくらでもどうぞ。好きなだけ付き合うよ」
「そう言ってもらえると有難いね」
水野さんは最終確認でもするように問いかけたあと、バッグから何かを取り出した。
そしてそれを胸の前で抱くと、ふー、と深呼吸して、
「まずはお礼を。今日は私に付き合ってくれてありがとう」
「あ、はい。こちらこそ誘ってくれてありがとうございます」
「ふふっ。そこでお礼を返すのはやっぱり帆織くんらしいね」
おかしそうにくすくすと笑う水野さん。それから彼女は可憐な笑みを引っ込めると、いつになく真剣な表情と緊張を張りつかせながら僕を見つめてきた。
「前座はこれくらいにして本題に入ろうか。……今日帆織くんを呼んだ理由はね、キミにこれを読んでほしいものがあったんだ」
「僕に読んで欲しいもの?」
彼女の言葉を反芻しながら首を傾げれば、水野さんは神妙な顔でこくりと頷いた。
水野さんはごくりと生唾を飲み込むと、意を決したように胸の前に抱いていたそれを僕に突き出してきた。
「……これって」
「小説。私が書いたやつ」
「うえ⁉ え、えっ、水野さんが書いたの⁉」
「驚きすぎだよ」
「いや驚かない方が無理だよ!」
僕の目の前には原稿用紙およそ150枚分が入った封筒が。なんとそれは水野さんが執筆した小説だった。
それと水野さんを交互に見やりながら、僕は確認する。
「え、これ、読んでいいの?」
「うん。ネットに上げるのは気分が乗らなくて。でも誰かに読んでもらって感想は欲しかったんだ。それで、読んでもらうなら帆織くんがいいなって」
「そ、そんな大役を僕がもらっていいんですか⁉」
「大袈裟。学生が遊び気分で書いたものなんだから、気軽に読んでよ。というか本気で読まれるとむしろ私の方が恥ずかしくなる」
「いやいや。遊び気分でも小説書けるだけで凄いよ」
「過大評価だよ。帆織くんだってその気になれば書けるんじゃない?」
「そうかな。なら今年の夏休みにでも挑戦してみようかな」
「そこで躊躇わずチャレンジしようとする精神には素直に感服するよ。やっぱり帆織くんは面白いね」
いくらか緊張が解けたのか、くすくすと笑う水野さん。そんな彼女を横目に、僕は彼女から渡された封筒から原稿用紙を出すと、感動に震えながら見つめた。
「これ、ジャンルは?」
「青春群像劇だよ」
「僕の好きなジャンルだ」
「あ、ここではなく家に帰ってから読んで欲しいな。流石に直接読まれるのは羞恥心で死にたくなる」
「あはは。水野さんもそういうのあるんだね。分かりました。じゃあこれは家に帰ってから読ませてもらいます。すごく楽しみだ」
僕は封筒を大切にバッグの中に仕舞いつつ、
「読み終わったら絶対に感想送るからね。遅くても明日には」
「あはは。そんなに急がなくて平気だよ。ゆっくり読んでもらって構わない」
「無理だよ。だって水野さんが書いた小説なんだから。絶対に面白いに決まってる」
「期待されちゃってるなぁ、私」
今すぐ読みたくてうずうずする僕を見て、水野さんは苦笑。
「それにしても水野さんに執筆の趣味があったなんて。意外……でもないけど、もしかして将来は作家さんだったりする?」
「まさか。そんな厳しい世界に飛び込もうとするほど無謀者じゃないよ私は。本気で書いても趣味の域を出ないと思う」
「そっか。思うってことは、まだ作家になる可能性は捨てた訳じゃないんだ」
水野さんはうぐっ、と呻いた。やっぱり、作家になりたい願望はあるらしい。
「その微笑み、心の内を見透かされたみたいでややだな」
「ごめんごめん。でも友達が作家さんだったら凄いなって思って。そうだ、今のうちにサインもらっていい?」
「もうっ! 揶揄わないでよ!」
羞恥心が耐えきれなくって、水野さんがぷくぅ、と頬を膨らませる。
僕は怒った彼女に謝りながらも、胸中では友達の将来を全力で応援するのだった。
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