第20話 神獣と神鳥(4)
夏から秋に変わろうとかと言う季節になった。今日はまだ残暑が厳しく蒸し暑い。雨上がりの後で木漏れ日がキラキラと眩しくて、アイリスは思わず目を細めた。
今日もニキアスに乗せてもらって、セフィロスと奥地まで来ている。
ニキアスは馬ならおよそ通ることの出来ないであろう岩場や崖でも、難なく駆けることができるので毎回驚かされる。スレイプニルという生き物だからと言うのもあるが、恐らく風の神気を貰っているから、という事が大きいような気がする。
「疲れただろう。あそこに小川がある。少し休んでいこう」
セフィロスがニキアスの背から降ろしてくれる。ニキアスは重種馬なみに大きいので乗り降りするのも一苦労だ。
小川には湧き水がでていて、川底までくっきりと見えるほど透明で美しい。それをひと口、手ですくって飲むとヒンヤリとして美味しかった。
しばらく座って休んでいると、アイリスは急に妙な感覚がしてパッと立ち上がる。周りを見渡してみても何もいない。
――ドキドキとして落ち着かない。あちらに何かいる。
そう思った時には既に走り出していた。
「アイリス!」
セフィロスに声を掛けられているのは聞こえているけれど、行ってみたいという衝動を止められなかった。
そして――――
アイリスが走っていったその先には、見たこともないような美しい馬がいた。
いや、馬じゃない。額に1本角つのが生えていて、たてがみはアイリスの髪の色とよく似た7色に輝いている。
「ユニコーンか」
後を追いかけて来たセフィロスが呟いた。
アイリスの心はもう決まっていた。ユニコーンの方もピタリと止まってこちらを見つめてくる。セフィロスに言われていた通り、心の中で契約を持ちかけてみる。
――私と契りを交わしてくれないかしら?
互いに見つめ合ったまま、どの位の時がたったのだろう。何も起こらない。
やっぱり自分には、神獣を持つのも無理なのかもしれないとだんだん不安になってくる。
するとなぜだか無性に、悲しい気持ちになってきた。ぽたぽたと涙がこぼれ落ちて止まらない。何でだろう? 不安になっているだけで、泣きたいわけじゃない。
『私が』悲しいわけではないのに。
――そうか、これはユニコーンから流れ込んでくる感情か。
そうアイリスが理解すると、一気にユニコーンから負の感情が押し寄せてくる。
悲しい、苦しい、そして――恋しい。
アイリスは目をそらさないままゆっくりと、ユニコーンに近づいて行く。
それは最愛の者を亡くした感情だった。
ユニコーンの記憶が流れ込んできて見えたのは、番いだったメスのユニコーンが誰かに捕まる姿。そして、あばら骨がくっきりと見えるほどやせ細り死に絶えた姿だった。
ユニコーンのそば近くまでよると、アイリスはその体にそっと抱きつく。
『天使も神も信用出来ない』
ユニコーンが話しているように聞こえた。
「ええ、信用出来なくて構わないわ」
アイリスはユニコーンに話しかけてみる。
「私の神獣にならなくても構わない。だけどせめて、私の神気を受け取って欲しいの。あなたの心の傷が少しでも癒えるように」
身体の傷の治し方ならセフィロスに習った。でも、心の傷の癒し方は私には分からない。
私の神気は、無条件に幸せな気分にさせてくれる、と言っていた。だから、神気をめいいっぱいユニコーンに与えてみる。
意識を失いそうになるまで神気を使い果たすと、ユニコーンがふらりとアイリスの前に跪いてきた。
「いいのよ、契約を交わさなくても」
『いいえ、どうぞ契りをお交わしください。貴方になら喜んで従いましょう。私に名をお与え下さい』
「……エルピス。希望という名前を与えましょう」
『アイリス様、命を賭してあなたにお仕えすることを誓います』
ユニコーンの頬にそっと触れながら契りを交わす。
「よろしくね、エルピス」
アイリスがエルピスをギューッと抱きしめていると、後ろから声をかけられた。
「アイリス、おめでとう。まさかユニコーンを神獣にするとはな」
エルピスとふたりの世界に入ってしまっていたので、セフィロスの事をすっかり忘れてしまっていた。
「セフィロス様、ありがとうござっ……」
立ち上がろうとしたらフラフラとして倒れそうになってしまった。セフィロスが受け止めてくれた。
「力を使い果たしてしまったのだろう。少しここで休んでから帰ろう」
休むのにちょうど良い石があったので2人で座ると、セフィロスに先程エルピスから流れ込んできた記憶について話してみる。
「ユニコーンが捕えられる……。もしかして、あのユニコーンのことか...…?」
「なにか心当たりがあるのですか?」
「ユニコーンについてどのくらい知っている」
「ええと、不老長寿で1度番つがいになるとパートナーを変えることなく一生を添い遂げると本で読みました。それからその血はどんな死の淵にあっても、飲めば生き長らえることの出来る薬にもなると」
アイリスは昔に読んだ本の内容を思い出しながら答えると、セフィロスはそうだと頷く。
「今から10億年ほど前だったか、ユニコーンの血が闇取引されていたのを摘発された事がある。もともと闇取引される事はあったんだが、その時は取引量がかなり多かったのだ。それで調べてみると、闇取引をしていた主ぬしの家から1匹のユニコーンが見つかった」
闇取引……。ヒュドラの抜け殻もそうだが、取り扱いを1歩間違えると非常に危険なものは、そうやって裏でこっそりと取り引きされるのか。何に使うのか全く想像がつかないけれど、ろくでもなさそうな事だけはわかる。
「その捕らえられていたユニコーンは何百年もの間少しずつ、血を抜かれていたらしい。不老長寿だからな。発見された時にはやせ細って衰弱しきっていた。保護してみたが、残念ながらすぐに死んでしまった」
「…………」
あまりに残虐な行いに絶句してしまった。そのユニコーンがエルピスのパートナーなのだろうか。
「ユニコーンの血を何度も飲んだ事で身体が穢れきり、堕天使となった天使も多い。死の淵を逃れることは出来ても堕天してまでその血を飲むとは愚かだが、それが生き物が持つ『強欲』と言う感情なんだろう」
天使はその心や身体に穢れをきたすと、背中の羽根の色が徐々に濁ってくる。ごく軽いものなら聖水を飲み祓うことも出来るが、手遅れになればその羽根は真っ黒な色に変わる。そうなれば天界にいることは許されず、地界に落ちるより他ない。
「血を取引をしていた主と言うのは一体誰なのですか」
「フォスフォロスと言う光の神だった者だ」
「『だった』と言うと……」
「自ら堕天して、今は闇の神・サタンと名を変えている。その守護天使達もその後を追い堕天使になった。まさか取り引きの主が高位神だとは思わず、摘発するまでに随分と時間がかかってしまった」
アイリスがずっと疑問に思っていた謎が解けた。神の系譜を見ている時に、太陽の神・フレイと月の女神・ルナの子が空欄になっていた。にも関わらず、空欄の子と他の神との間には子がいるのを不思議に思っていたのだ。
誰かに聞いてみようかとは思ったが、あまり良くない事情がありそうな気がしたのでそのままだった。
多分そのフォスフォロスと言う神がフレイとルナの子供なのだろう。
サタンは地界を作った創世神7人を従え、地獄の王として君臨していると以前本で読んだ。もともと地獄で生まれた神ではなかったということなのか。
「エルピスはそれでは、随分と長い間独りだったのですね」
1度番を決めればパートナーを変えることは無い。にもかかわらず不老長寿と言う身だ。生の終わりが見えない。どれ程孤独だったのだろうかと思うと、胸が抉られるように苦しくなる。
「ユニコーンが神獣になるとは誰も思っていなかったから、随分と驚いた」
「そうなのですか?」
「神と契約を結ぶ最大の利点は不老長寿の身になれることと、神気を貰えることの2つ。だからもともと不老長寿のユニコーンは、余程魅力的な神気を持っていなければ神獣にはならないだろう。それにその血が闇取引されると言う事くらいユニコーンの方も分かっている。ユニコーンは天使や神を警戒して寄ってこないからな。私も久しぶりにその姿をこんなに近くで見た」
それなら自分は随分と幸運だったのだろう。姿を見る前に、足音や気配で逃げられてしまっていたかもしれない。
「其方は他者を傷つけることを極端に嫌い、肉を食べる事すら受け付けない身体だ。アイリスなら自分を絶対に傷つけない。そう思ったからこそ、神獣になる事を了承したのだろう。」
まさか自分のダメな部分を、そんな風に捉えてくれる者が現れるなんて思ってもみなかった。何だか凄くうれしい。
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