第五話 あなたのいない未来にて

呪われた花の時代の終わりを祝って

 ついに『花憑き』の治療法が見つかった。


 その報せが街中に広まった時、最初は皆、信じなかった。なにせ二百年以上経っても何もわからなかった『花憑き』だ。病であるのか、呪いであるのか、はたまた別の何かであるのかもわからない。とにかくそれは『発蕾』したら最後、花に憑かれてしまった少女は、開花と共に死に至る。短命を運命づける不幸の花だった。


 しかし『花憑き』が現れて三百年を迎える前、ついに『花憑き』の研究機関である『機械仕掛けの竜』が、治療法を見つけ、確立させた。


 ――何十年も前に蕾を切除した元『花憑き』が、いまでは普通に生活している。少女から大人の女になり、ある者は夢を叶え、ある者は結婚し、またある者は子供まで授かった。


 彼女達の話を聞き、資料を見て、疑い混じりだった人々の心に動きが生じる。希望の光がきらりと輝いて、まず何人かの『花憑き』が実際に治療を受けてみた――彼女達の頭から蕾が消え去る。そして本来、蕾を切り落としたのなら死ぬと言われる彼女達だが、普段通り、歩き、しゃべり、考え、喜怒哀楽を持ち、生きている。

 彼女達は普通の人間となったのだ。人類はついに、あの奇妙で不気味な花と縁を切る時ことができた。


 そうして『花憑き』達は、一時的なただの病人となった。ある日、身に覚えがないものの、どうしてか熱を出している。それならば病院で薬を貰おう……それと同じになった。十歳を迎える前、ある日、頭に小さな蕾が現れた。それならば『機械仕掛けの竜』で切除しよう――。


 何も恐れることはなくなった。花に蝕まれていた世界は、喜びに満ちた。

 ――しかしその喜びの裏で、自ら命を絶った『花憑き』がいたことを、一体何人が知っているのだろう。きっと彼らは、彼女達の名前も知らない。


 あたしは一人、名前を知っている。

 青い蕾を持ったあの子。名前をミオと言った。

 冷たい流れの中、きっと、眠るように死んだのだろう、あたしの、親友。




 * * *



 『花憑き』がただの病気になり、十年が経った。

 人類の勝利を記念する『花風祭り』が今年も行われる。

 人々は手にした花の花弁をちぎり、風に乗せていく。街は花弁でいっぱいになる。様々な小さな色が、香りが、この街ノーヴェを満たしている。


 白い花弁一枚が、歩くあたしの唇に触れて、離れなくなった。ふっと、少し行儀悪く私は吹いて払う。どうせ誰も見ていないからいいだろう。いまはみんな、祭りに夢中だ。至る所で歓声が聞こえる。


「……着替えてくればよかった」


 進む中、あたしは後悔をぼやく。ただでさえ人が多くて道は歩きにくいのに、丈の長いスカートが足に纏わりつく……奉公人のための服であるのに、どうしてこんなに動きにくい形なのだろうか。


『フルスさん、いい? お仕事の時間にはちゃんと戻って来てくださいね』


 メイド長に言われた言葉を思い出す。

 ……なんであたしだけがそんなことを言われなくてはいけないのか。確かに日頃から何かと粗相している。でも今日、先輩達は全員お休みを貰ってお祭りを楽しんでいるのだ。あたしだって本当は休みたかった。そう申し出た。却下された。不公平だ。


 なんとか貰えた自由時間も少なく、あたしは着替えずに街に出るはめになった。さすがにヘッドドレスは外したから、どこかのメイドだと一目ではわからないだろうが、下手な行動はできない。変なことをしてメイド長や雇い主の耳に入れば辞めさせられる。


 ぱぁあん、と音がして、上空を見れば多くの花、多くの花弁が弾けたように舞っていた。人々が「おお」と立ち止まる。すると人混みの流れが止まって、道は更に歩きにくくなる。


「――時間がないってのにさぁ……!」


 ああ、もう、全員邪魔だ邪魔だ。あたしは決して強く押さないようにして、先を急ぐ。小さな荷物を抱えて、肩でぐいぐい人の壁を割っていく。途中、誰かの足を踏んだものの、気にしない。動かないのでわざと踏んでやった。


 やっと人混みの薄い場所に抜けた時、べちゃりとしたカラフルな汚れがスカートについていた。アイスクリーム、だと思う。さっきの人混みの中には、アイスクリームを持った子供の姿もあった――ああくそ、メイド長になんて言われるか。すぐに落ちればいいけれど。


「やっぱり着替えてくるべきだった……くそ……っ!」


 懐中時計を取り出せば、自由時間の残りは多くなかった。予定ではもっと余裕があったはずなのに。花屋が混んでいたのがいけないのだ。みんな、散らすための花を買い求めていた――あたしの欲しい花が残っていたのは、幸いだった。


 あたしは再び歩き出す。花弁を流す風に、逆らうようにして。

 舞い散る花弁の中で、人々が笑っている。幼い子も笑っている。中には頭に包帯を巻いた子もいるが、ひどく元気そうにはしゃいでいる――あの包帯、おそらく『花憑き』治療を受けた証だろう。蕾を切断したら、しばらくはああして包帯を巻く。


 かつては切れなかった蕾。いまでは切れるものとなった。花は散るものとなった。

 街のどこを見回しても、頭に蕾をつけた人影はない。ノーヴェ女学院生達が、制服姿のまま屋台のお菓子を買っているが、彼女達の頭にも蕾はない。


 ふと、あたしは立ち止まってしまった。周囲の人々は祭りを楽しみ、青空に映える美しい花吹雪に見とれている。

 この中に、昔は『花憑き』だった人もいるだろう。でも、そんな時代も、大昔に思えた。たった十年前の話だが、人類はそう感じられるほどに大きな障害を乗り越えることができた。


 忌まわしい花に勝ったことを祝う祭りだが、あたしはどこか、形骸化しているように思え始めた。ただみんな楽しんでいる。『花憑き』は完全に過去のものとなり、道ばたに積もりゆく花吹雪の中に埋もれていくようだった。


『ねえフルス、私、フルスのこと――』


 記憶と一緒だ。埋もれて、あるいは、忌まわしいからこそ、あえて埋もれさせて、忘れてしまうのかもしれない。


 しかしその歴史は、確かに残る。


 時間がない。立ち止まっている暇はない。急いで目的地を目指す。ありがたいことに、その場所に近づくにつれ、人の姿は減っていった。最後には誰もいなくなる。


 当たり前か。

 あたしがたどり着いたのは、街の隅にある墓地だった。墓石だけが並ぶそこは、街の外にある『花墓所庭園』に比べ、ずっと寂しい。


 懐中時計を取り出す。針は「ここでゆっくりしている時間はない」と告げていた。日の光にきらりと輝く。


 ――フルス、ああ、大人になってくれて、本当によかった……!


 そういえばこれは、独り立ちの際に両親に貰ったものだったなと思い出す。


 ――あの蕾があなたの頭に生えた時、私達はどんなに絶望したか……でも、本当によかった、こんなに、大きく育ってくれて……。


 溜息をついて、時計をしまう。目指したのは、墓の一つ。


「……久しぶり、ミオ」


 墓石には、かつての親友の前が刻まれていた。あたしはまるで目を合わせるかのようにしゃがみ込んで、墓石を撫でる。スカートが地面についてしまうが、もうどうでもよかった。


「地面の中じゃ、風も感じられないし、退屈そうね……もしも開花してたのなら『花墓所庭園』で今頃、風に揺られていたんだろうけど」


 彼女は確かにここに眠っている。


「――それとも、蕾を切り落としていたのなら」


 あたしはにやりと笑ってしまった。品のない笑いだからと、普段は気をつけていたものの、今は違う。


 今ここには、あたしと、ミオしかいない。

 学生時代を思い出す。

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