お揃いにはなれない
* * *
ヴァネッサが頻繁に病室で勉強するようになって、どれくらいが経ったのかわからない。
思えば、窓こそ開いていて外の様子が見えるものの、あたしには、いま世界がどんな季節なのか、具体的にはわからなかった。風が暖かいか、冷たいか。人々の格好がどうであるのか。カレンダーこそ病室にあるものの、ただの数字に違いなかった。
ヴァネッサは黙々と勉強するだけではなく、病室を出入りする研究員達に話を聞くこともあった。ヴァネッサらしく、仕事の邪魔にならない程度に。研究員達は熱心な彼女が気に入ったらしく、そのうち、向こうから「この時間は休憩時間であいてるから」と声をかけて、積極的に話をしたり、勉強をみたりするようになった。
「研究員の人達って、本当に大変なんですね」
きっと睡眠時間も削って勉強しているのだろう、ヴァネッサはメガネをずらして目をこする。
「いまだにわからないことの多い『花憑き』……それでも戦う皆さんは、本当にすごいと思います。私も、そうならないと。『花憑き』について一つでも多くのことを解明して、治す方法を見つけないと」
――でも二百年経っても、治療法が見つかってないのよ?
普段のあたしなら、そう口にしていただろう。けれども言えなかった。
なんだか退屈だった。ヴァネッサが病室にいることが多くなったのは確かであるものの、彼女には研究員達とのやりとりもある。そのため、別の場所に彼女が行ってしまうことも多くなった。それが退屈なのかもしれない。同じ建物内なのに、近くにいないから。
よく、憧れの人を応援していたものの、その憧れの人がどんどん成果を出していく様子を「遠くに行ってしまった」なんて言うことがある。
あたしが感じているのは、それに似たものだったのかもしれない。
――そもそもヴァネッサは、最初から近くにいたわけではなかったかもしれない。むしろ彼女は、本当は遠い場所にいたのだ。
勉強する彼女の背中を見ながら、あたしは気付く。風が吹けばからからと音がした。今日新しくされた切り花が風に揺れて、花瓶の中で回っていた。
かわいそうだと思う。こんなにも咲き誇っているのに、枯れていくなんて。
――あたしの手元には、スケッチブックと鉛筆があった。描かれているのは、花瓶の花だった。
時間は経つ。どうやっても花は枯れる。花は枯れるためにある。
だから私は、研究員に頼んで、スケッチの道具を用意させた。
咲き誇る花は死神だ。
けれども考えてみれば「神」なのだ。
――あたしは、その神々しさに惹かれているのかもしれない。
だからこそ、もう一度、ヴァネッサの背を見る。必死に勉強する彼女は、何も言わない。
世界にはいろんな考えを持つ人がいる。それはあたし自身、十分にわかっている。
でも、好きなものを誰かに「嫌い」と言われると、否定された気分になるのは、きっと、誰もが同じだ。
あたしはよく、見た目が褒められた。
次の言葉はいつも「でも『花憑き』だ」だった。
ヴァネッサはそういった言葉こそ、口にしなかった。
けれども今の彼女も――。
あたしは手鏡をとれば、自分の蕾を見る。膨らんでいる。ゆっくりと。何色に色付くことなく。光の色を纏っているかのように。
開花したのなら、その時、完成する。
舞台の幕が下りる。その意味は「死」なんかじゃない。
幕が下りることの意味は、いつだって「完結」。つまり「完成」の意味だ。
「……ねえヴァネッサ」
あたしは、ついに口を開いた。
返事はなかった。
「ヴァネッサ?」
再び問いかけて彼女を見れば、机に突っ伏していた。静かに寝息を立てている。
連日勉強に励んでいるようで、時折眠そうな様子も見せていた。無理もないのかもしれないが、珍しいことであたしはぷっと笑ってしまった。声は必死に抑えた、起こしてはいけない。
そして我に返る。
言わなくてよかったと。もし言っていたのなら、彼女はどんな言葉を返してきただろうか。
……そもそも彼女はどうしてこうも、あたしと一緒にいてくれるのだろうか。
風が吹いて、花瓶の花が揺れて主張した。一瞬の疑問は、不意に湧き出た好奇心に消え失せる。
あたしは花瓶から花を抜き取った。白い大輪は繊細なレースを思わせる。
ヴァネッサは、きっと、花が嫌いだ。
でも、彼女にも蕾があったのなら。
出来心だった。ほんのちょっとした出来心だった。艶やかなヴァネッサの黒髪に、白い花を飾ってみる。花は『花憑き』のものよりずっと小さい。
「……似合ってるじゃん」
でもとてもかわいくて。そして、あたしとお揃いで。
「――ヴァネッサにも、蕾があったのなら、よかったのに」
そんなこと、言うべきではないとわかっていた。
けれども考えてしまう。もしそうだったのなら――あたしのことを、もっと知ってくれたかもしれない。あたしの今の気持ちを、伝えられたかもしれない。
ヴァネッサの黒髪は艶やかだったものの、少し乱れているように気付いた。だから少し整えようと、手を伸ばしたところで。
「――ん? ノイ……?」
ヴァネッサが起きてしまった。頭を起こせば、頬に少し跡がついていた。
「ああ、私……寝ちゃったんですね、情けない」
ずれたメガネを直しながら、彼女は何が起きていたのかを理解する。その髪に、花は飾られたまま。耳にかけるようにして飾ったものだから、簡単にとれない。
いつもはきりりとした顔のヴァネッサだからこそ、花飾りをつけた彼女は可愛らしく思えた。
「……なんですか、居眠りしてたのがそんなに珍しいんですか?」
あたしがにやにやしていたからだろう、ヴァネッサは目を据わらせる。あたしは違うと頭を横に振って――渡してしまった。
「見て、かわいいでしょ。あんたもちょっとはさぁ、おしゃれしたらどうなの?」
手鏡を。
――手鏡を受け取り、そこに映った自分の姿を見たヴァネッサは、目を大きく開いた。その顔は、すぐさま不快に歪んだ。
「ちょっと! 気持ち悪いことしないでくださいよ、もう!」
手鏡をあたしに押しつけると、ヴァネッサは髪の毛もちぎれても構わないといった様子で頭の花をむんずと掴み、床に投げ捨ててしまった。
ぽとりと落ちた花は、握られたときにだろう、花弁が折れて醜くなりはじめていた。
「気持ち悪いことって?」
あたしは、ヴァネッサの暴力的にも思えた行動に、あっけにとられながらも尋ねる。
ヴァネッサは、勢いこそ、床に落ちた花を踏みつけそうだった。けれどもそうしなかったのは、きっと彼女が理性的だったからだった。
「いいですか、ノイ……いま自分が何をしたのか、わかってますか?」
苛立ちを抑えようとするかのように、ヴァネッサは自分の髪をくしゃくしゃと乱す。
「いまのは……私に『死ね』といったようなものですよ」
そんなつもりはなかったし、どうしてそうなるのかも、あたしにはわからなかった。ただ首を傾げれば、ヴァネッサが溜息を吐く。
「『花憑き』は死ぬんですよ、ノイ。わかってますか? 花は……不吉なものなんです」
メガネの向こうの瞳は、床に落ちた花を睨みつけていた。
――あたしが睨まれているような気がした。
「それをかわいいなんて……」
「――あたしはかわいいと思ってる」
我慢できなくなって、あたしは声を上げた。静かな病室によく響いて、もしかすると廊下まで聞こえてしまったかもしれない。
それでも、ずっと思っていた。
花はあたしの一部だった。
容姿を褒められる時、けれども次には『花憑き』であることを残念がられる。
それでも花も、あたしの一部で。
だからこそ――だからこそ。
「ヴァネッサは……ヴァネッサも、花は不吉で、気持ちが悪いものだって思ってる?」
尋ねて、しかしあたしはヴァネッサが返事をする前に殴るように次の言葉を飛ばす。
――内側で、がらがらと崩壊していくような何かが、止められなかった。
「それじゃあ、あたしのことも気持ち悪いって思ってる?」
その質問に、ヴァネッサは言葉を呑んでしまった。目を見開いて、まるで頭の中が真っ白になってしまったかの様子で、やがて。
「そうは思っていません……でも、いま、そう思いました」
今度こそ、彼女の鋭い瞳が、あたしに向けられる。
そう、とあたしは両手を広げた。
「出てって」
「ええ、出て行きます、さようなら」
ヴァネッサは手際よく荷物をまとめると、さっと病室から出ていってしまった。ドアの近くでは、やはり騒ぎが聞こえていたのだろう、研究員の一人が覗きに来ていたが、ヴァネッサは挨拶もせず通り過ぎていった。
床には花が落ちたままだった。徐々に落ち着いてきたあたしは、そっと花を拾い上げた。
同じになりたかった。
それだけだった。
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