花屋は枯れる花を売る


 * * *



 例の女学院生は、それからよく店に来るようになった。


 『白昼光』。『花』の街ノーヴェの北にある花屋。頻度としては五日に一回程度だろうか、薄いピンクの蕾を持つ彼女は、いつも自分と同じ色の花を、一輪買っていく。

 今日も彼女は来た。私が老婆の相手をしている時だった。


「孫が『花憑き』になってしまってねぇ……」


 老婆はクリーム色の花が欲しいと頼んだ。それが孫の花と同じ色だから、と。


「こちらはどうです?」

「いいわね……これにするわ」


 選んだ花は、大きく咲いた、老婆の望み通りの色の花だった。これだけ咲ききっていれば、誰が見ても、間もなく枯れ始めるとわかる。


「あの子の花が枯れますように……あの子の花が、咲きませんように……」


 花を手にした老婆は、祈りを唱える。


 ――その様子を、例の女学院生が、口を尖らせながら見ていた。


 礼を言いながら老婆が去っていく。彼女はその後ろ姿も、どこか気に入らないといった様子で眺めていた。

 店内には私と彼女、二人だけになった。時を刻む針は、昼過ぎを示していた。


「で、いつもの花?」


 私は答えを待つ間もなく、彼女がいつも買い求める花へと歩き出す。


「そうよ、枯れちゃったから!」


 茶色の髪を窓からの光に輝かせながら、彼女が後を追ってくる。薄いピンク色の蕾からは、すでに甘い香りが放たれているように思えた。それほどに瑞々しく、繊細な色に染まった蕾だった。


「……」


 それよりも、彼女のいまの言葉に引っかかりを覚える。

 花が枯れたのなら、普通、そのまましばらく飾っておくものなのだ。しかし彼女は、どうしてか、新鮮な花を欲している。

 とはいえ、自分はただの花屋であり、客の事情は関係ない。


「これはどう?」

「ううーん……こっちがいい! だめ?」


 私が選んだものではなく、彼女は花瓶に残っている花を選ぶ。咲いたばかりのものだった。


「それは咲いたばかりだから、おすすめできない」

「……ふぅん、そう」


 花屋で売られるのは、枯れるための花だ。咲いたばかりの花を売るべきではない。


 花。花屋。大昔はそんな店ではなかったらしい。花を愛する人のために、花屋はあったという。

 ところがいまでは、花は死の象徴だ。だから人々は「『花憑き』が咲かないように」と願って花を買う。咲ききった花は、枯れるしかない。そこに願いを込めるのだ。枯れていく様子に『花憑き』が治ることを祈る。


 もっとも『花憑き』は治るものではないが。

 どうやっても『花憑き』になった女は、若くして死ぬ――。


「……でもこっちがいい! お姉さん、私、こっちが欲しいなっ!」

「……わかったよ」

「やった! ありがとう!」


 彼女の選んだ花を、抜き取る。


 思う。彼女の家族は、彼女のことをどう思っているのだろうか、と。薄々感づいてはいたが、おそらく彼女は寮生ではない。実家から学院に通っている生徒だろう……以前に通りを家族と歩いているのを見たことがある。


 彼女の選んだこの花は、わかる人が見れば、枯れるのに時間がかかるものだとわかるだろう。『花憑き』の娘がこんな花を買ってきて、両親は苦い顔をしないだろうか。

 こちらとしては、求められたものを売っているだけだが。


 ――無邪気に喜ぶ彼女の顔は、やはり姉を彷彿させた。

 頭にある蕾も、纏った雰囲気も、姉に似ていた。


「……名前を聞いても?」


 花を包む中、私は尋ねてしまった。口にしてから、どうして尋ねてしまったのだろうと、自分自身で思いかすかに顔を歪める。

 彼女は気付かない。綺麗に包まれていく花に夢中だ。


「フーシアよ。ノーヴェ女学院四年生。好きなものはおしゃべり、嫌いなものは……我慢することかしら。最近はまっているのは、このお店に来ることね!」


 ――よかった、「ロジエ」じゃなかった。


 不意にこみ上げた安堵が、胸の中、まるで雫一滴が落ちて波紋が広がるように、じわりと染みていった。そして冷静になって、心の中で溜息を吐くのだった――何を安心しているのだろうか。どうしてこの子と「ロジエ」を間違えるのだろうか。確かに似ている点はあるが、明らかに違う上に「ロジエ」は死んだじゃないか……。


「『白昼光』のお姉さんは? そういえば、ここは一人でやってるの?」

「……ロビン。一人でやってる」


 必要以上に答えなかった。私はフーシアや……姉のようなお喋りではなかったのだ。

 フーシアの声は店の中によく響く。


「一人でやってるのね! てことは、ここにあるお花は全部ロビンさんがお世話してるってことよね? すごいわ! あのね、私、実はこのお店に通い始める前に、ほかのお店も見てきたの、ほら、街にはここ以外にもいくつか花屋があるじゃない?」


 お喋りが好き、といっていたが、嘘ではないらしい。まるで喜劇が始まったかのように、フーシアは忙しなく喋り始めた。カウンターに乗り出して、少しやかましいほどだ。それでも私は表情を歪めず、さらりと流し続けた。確かにうるさいとは思っていた。けれども、どうしてか、嫌だとはあまり思えなかったのだ。

 ロジエもお喋りだった。双子の妹である自分と違って。


「いろいろ見てきたんだけどね、この花屋さんが一番いいと思ったの! だって……ここのお花はよく咲いてるじゃない? すごく綺麗だと思ったの!」

「……綺麗、ね。世話するのは、得意みたいだから」


 花を綺麗だなんていうのは、頭のいかれた人間くらいだ。少しフーシアのことが心配になる。

 この子は、自分の頭に蕾がついている意味を、理解しているのだろうか。


 包み終わった花を、代金と引き替えにフーシアに渡す。丁寧に包まれた一輪の花。『花憑き』の花と違い、最後には醜く枯れてくれる花。

 彼女達の花も枯れてしまえば、彼女達は醜く死なずに済むのに。


「いつもありがとう!」


 フーシアはにこにこと花を受け取った。大切そうに両手で握っている。

 私はいそいそと作業に戻る。花の水替えをしている最中だったのだ。足下に置いてあった赤い花の花瓶。一本一本花や茎の様子を調べつつ、新しい花瓶へ移していく。


「このお店の花が綺麗なのは、きっと、ロビンさんが花を愛しているからね!」


 と。


「そうじゃなきゃ……きっと、こんなにも綺麗にならないわ!」


 あまりにも無邪気な声だった。私はぴたりと、動きを止めてしまう。耳にかけていた長い灰色の髪が、垂れ下がって顔を隠す。


「また来るわ!」


 足音が遠のいて、ドアベルがからん、となった。残された静寂はどこか冷ややかで、並ぶ花達が少し寂しさを帯びたように思えた。


 私は固まったまま、手にした一輪の花を見ていた。もう片手に持っていたのは、花切りバサミ。


 ――花なんて、愛してはいない。


 ばつん、と音が響いた。だめになっていた葉がひらりと床に落ちた。

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