飲み屋の会話は飲み屋でやれ、SNSはオープンスペースだ
先日、関根大気選手がSNSの誹謗中傷に対して開示請求を行い、申し立てを行った全ての投稿に対してその申し立てが相当と認められた旨の通知を公開しました。誹謗中傷に毅然と対応し、それを公にすることで誹謗中傷を無くそうとした関根選手の行動には頭が下がるばかりです。
ここで考えなきゃいけないんじゃないかなぁ、と個人的に思うのは、「基本的にSNSは(選手本人やその関係者も含めて)全世界の全ての人が見ることが出来る場所である」ことを意識できていない人が多く居るのでは無いか、ということです。そもそも誰が相手であっても「死ね」とか「ゴミ」とか言ってはいけないのは当たり前として、それ以外の投稿についても面と向かって本人に同じ事が言えるのかどうかを考えて見て欲しいなと思います。
SNSでの「発信」は、飲み屋での会話じゃないんです。全世界に向けての発信なんです。負けた時はファンだってストレスが溜まるし、色々言いたくなることがあるのは分かります。でもそれは、本人に向かって言う事じゃあないでしょう。まして、SNSという匿名ツールはその性質上、矛先が誰なのかは分かってもそれを言っているのが誰なのかは瞬時には分からないというものです。要は、「自分は影に隠れながら石ころを投げつけることができる」という、卑怯なことが簡単にできてしまうツールなのです。
今回、関根選手がこのような行動を起こしたのは、自分が矢面に立ってでも誹謗中傷を無くしたいという思いがあったからだと思います。そして、このような罵詈雑言が、選手本人に届いてしまっているのだということの証拠でもあります。かつて、横浜DeNAベイスターズの公式YouTubeで公開された動画の中で、東克樹投手が「100の応援よりも一つの誹謗中傷の方が頭に残る」という旨の発言をしていたこともありました。言葉は刃物、その気になれば簡単に他人を傷つけることができます。「ファンは厳しいことを言わないと」なんてことを言うアカウントをしばしば目にしますが、批判と誹謗中傷の区別がついていないことも多いですし、批判だったとしても言葉を選ばなすぎているなと感じることがよくあります。
SNSは上手く使えば、選手本人に直接応援のメッセージを届けることができる素晴らしいツールになると思います。でも、使い方を間違えれば、その選手を潰すことだってできてしまう危険性も孕んでいます。関根選手があえてこのような行動をした理由を今一度考えて、我々もその使い方を見直してみませんか。
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