第21話 職歴20社目(メーカーでの海外営業(正社員))

「採用面接通過のお知らせ」


この件名で長くて辛かった転職活動がようやく終わったと確信した。

「選考の結果、佐々木様にはぜひ社員として、一緒に働いていただきたいという結論になりました。佐々木様と働ける日を社員一同心待ちにしております」。

不思議だった。今回の転職活動で応募した会社は楽に200社を超える。その中で私が志望する貿易事務の職種で面接までたどり着けた会社は内定をもらったこの会社を含めてたった2社。もう1社の方は不採用。というか連絡が来ない。音信不通状態だった。なぜこの会社だけ私を採用してくれたのだろう。本当に不思議であった。ハローワークでは応募状況を教えてくれる。私を含めてこの会社に応募した人は6名。そのうち不採用者が3名。私を含めて3名が選考に残っていた。残り2名のうち1人は20代後半の男性。もう1人は40代半ばの男性。一次面接の時に20代、30代の男性が多い職場という事を聞いていたので、この20代後半の男性が最終的には採用されるだろうと思っていた。何故彼は不採用になったのか分からない。運命とか縁があったという言葉だけでは納得いかなかった。ましてや、私の前々職と前職はタクシードライバーである。逆にタクシードライバーの経験をしたからこそ、こいつちょっと面白いなと興味を沸かせてしまったのだろうか。

とにかく私は両親に真っ先に電話で報告した。「もしもし。大変長らくお待たせいたしました。この間の会社から内定の通知をもらったよ。心配かけたね」。両親は電話の向こうで大喜びしている。「信一!おめでとう!さあお祝いだ!ビアダンスに行くぞ!」。ビアダンスとは、ドイツビールやお肉が旨い縦浜にあるビアレストランで、私の兄弟や両親たちとお祝い事をする際はいつもここでやる事になっていた。

妻、親戚、兄弟、友人達、ハローワークでお世話になった方、就労支援センターに、採用された事のご報告をし、次々におめでとうの言葉を頂いた。友人の1人は、応募した数に驚いていた。そして「それだけ頑張れるのに、なぜ入社してからすぐに辞めちゃうのか不思議ですよ・・」と首をかしげている様子であった。お祝いムードの中で、妻と義母は冷静であった。妻は「おめでとう。良かったね」と言いつつも「これからが始まりだからね。また嫌な事があったり、変な人がいたりした時に辞めないように認知行動療法に行きながら頑張ってね」と釘を刺していた。義母もラインで「転職活動はいつも頑張って採用されていますよね。努力はされていると思います。後はどんな職場でも嫌な人がいるし、怒られたりすることがあります。それを乗り越えていけるように精神科への通院と認知行動療法は必要ですね。陰ながら応援しています」との事だった。この言葉がこの数年の私の行動を全て物語っている。

一番心に染みる言葉であり、的を得ていた。採用されたから良かったではないのだ。仕事を辞めないで続けていけるかだ。そのように改めて心を引き締めると、胸に不安が押し寄せてきた。過去のトラウマ達と再会し、私の頭の中を超高速のメリーゴーランドのようにグルグル回り始めた。私は気分が悪くなり、頓服薬を飲んだ。そして少し仮眠を取った。目が覚めるといつの間にか辺りが暗くなっていた。どれだけ眠っていたのか。私の心の闇はまだ全て晴れていない。この闇の向こう側には太陽が燦燦と輝き未来は照らされているだろうか。

いや信じるのだ。私には輝かしい未来が待っている。勇気を持つのだ。

私は新しい未来の扉を開けて新しい自分に生まれ変わるかのように玄関のドアを開けた。そしてもうすぐ帰ってくる妻と子供たちのために夕食の材料の買い出しに出かけた。


2022年11月中旬。紅葉が真っ盛りのこの季節。私は転職活動が長引くだろうと予想していてこの日は、日常から解放され全てを忘れようと思い紅葉ツアーに一人で出かける事になっていた。集合場所の駅には参加者が溢れている。予想通り年配の方々が防寒対策をしっかりした服装でワイワイやっていた。参加者の皆さんに今日は宜しくお願いしますと挨拶を次から次に交わし紅葉が見ごろの場所にみんなで電車移動した。私以外は全員お友達同士で参加しているので一人で参加していた私は浮いていた。そして一人だけ若すぎた。

その中で優しく気さくに話しかけてくる60台半ばに見える女性がいた。

「今日は初めて参加ですか」。

「はい。初めてです」

「今日はお仕事お休みなんですか」

「実は今、無職なんです」と素直に答えた。マスクをしているから分からないが、まだおばあちゃんと呼ぶには早そうな、しかし間近で顔を覗くと目じりの辺りの皺がやはりおばあちゃんである。しかし現役のメスの匂いがした。髪型もロングで肩までかかっている。毛先はウェーブがかかっている。後ろ姿だけ見れば20代か30代の女性だ。目はぱっちりしていて、可愛くて綺麗な形をしている。服装も可愛らしさを求めた跡が残っているようなピンクの色が印象的な服装である。ジーパンの装いだが、ジーパンを履いていても肉付きの良いお尻が想像できた。プリプリと触り心地の良さそうなお尻が隠れていそうだった。私の股間はすぐに凝り固まりカチカチペニスへと急成長した。硬くなったペニスはズボンの中で折れ曲がり行き場をなくして苦しんでいた。この人から目が離せなくなった。年の差は軽く見積もっても25歳はありそうであった。いかにも年下好きのような甘い顔をしていた。しかしあからさまにこの人だけに話しかけて距離を縮めようとするのはやめようと思った。

団体ツアーの中の一人の参加者として楽しく規律を守り集団行動を取ろうと思った。そして隙あればこの人の懐に入ろうと思った。しかし、この人もお友達と二人で来ているので単独行動はしない。とにかく最初は純粋に紅葉を楽しもうと思った。一行は、紅葉がみられる場所に着くと、点呼を取り、今日は宜しくお願いしますと挨拶をみんなで交わした後に、紅葉が満開の林の中を歩いて行った。イチョウの木も太陽の光を受けて黄金色に輝いた。カエデの木は真っ赤である。そんな彩を横に渓谷沿いの細くて長い濡れた道を歩いていく。前日の夜に雨が降ったので泥は湿っており、落ち葉も濡れて滑りやすくなっている。渓流ではマス釣りをしている人が所々にいて、楽しんでいる。大きな岩場ではロッククライミングを楽しむ人がたくさんいた。落ちてもけがをしないように下にはマットを敷いている。みんな体格が良い若い人が楽しそうに休日を満喫している。

渓流の下流にいくとカヌーをやっている人がいた。先生に教わって恐る恐る川の流れに乗ろうとしている人。渓流にポツポツ置かれている大きな岩は、巨人がその上をジャンプして遊ばせるように飛び石になっていた。一行の最後尾を歩いているとまるでアリの行列の中の一匹になった気分だった。縦一列になった一行はさらに落ち葉の絨毯が敷き詰めるけもの道を進むと、とびきり大きな橋に直面した。その橋を通るとみんなの重みで橋が揺れる。橋が揺れながらもすれ違う人とは、こんにちわと笑顔で挨拶をする。それが楽しかった。

ふと思い出したように、あの可愛いらしいおばあさんの事が気になった。橋の上で彼女に近づくと橋が揺れて、彼女の手が私の手に触れた。彼女は「ごめんなさい」と言ったが、私にはそれが「私の事を誘ってよ」と言っているように感じた。どのように誘うか決めかねていると解散場所に着いていた。ここでツアーは終了である。

私のペニスはいつの間にか萎えていた。


紅葉巡りを終えて、カフェやお酒の利き酒を楽しんで椅子に腰かけて穏やかな気持ちでいた。ふと現実の事を考えてしまった。今日は何にも考えずに日常から解き放たれて紅葉だけを楽しむのだと決めていたのに。まだ採用の合否をもらっていない会社の事が気になった。そして電話をかけてみた。男性が出た。3週間前に面接をしてくれた社長だった。「もしもし。私、先日面接をさせて頂いた佐々木と申します。選考の件でお電話を致しました」と告げると「少々お待ちください」と少し慌てた様子の声で女性に変わった。面接をしてくれたもう一人の50代後半の女性だった。「もしもし、お電話代わりました」と、少し作ったように声のトーンが上がっていた。「先日面接をさせて頂いた佐々木ですが、選考の結果をまだ頂いていなかったので、どのようなご状況かと思いましてお電話致しました」と告げたら、間髪入れずに「いえ、逆に私たちの方があなた様からのご連絡を待っていたのですが」と告げられた。「えっ?という事は、先日受けた面接の際に、もうすでに内定を頂いていたという事でしょうか」。「いえ。あなた様が、第一志望の会社の面接が2週間後に控えているとの事だったので」と言ってくる。「はい。確かに他社の面接が控えている旨はお伝えしましたが、礼儀として普通は順序として、会社の方から内定の通知を頂くのが先で、その際に労働条件を明示して頂くのが先だと思っていました。ですので私の方も御社からのご連絡を待っていました。そして採用かどうかのご連絡がないので不採用なのかなと思っていました」。「いえいえ。他社様の結果が出てから、そちらからご連絡頂けると思っていました」。女性が電話口の向こうで機嫌が悪くなっていくのが分かる。だんだん話し方が早口になり、先ほどの作った高い声のトーンが地声になっていき、口調が強くなっていく。私は続けた。

「それでは私は採用という事でよろしいでしょうか」。

女性は「いえ、まずは、佐々木さんの入社するかしないかの意志を教えてください」。

「それは想定年収などの情報を含めた労働条件を確認し、他社との比較で決めたいと思いますので教えて頂けませんか」と答えたが、

「それはできません。あの、ちょっと待ってください」と言われ電話の保留音が鳴った。

そして女性がまた電話に戻ると「佐々木さん。申し訳ありません。他にも応募している女性がいまして、そちらの方で考えてますので不採用とさせて頂きます」と言って電話を切られた。事実上の採用から突然不採用に覆った。相撲で言えばうっちゃりをやられた感じだ。

そして、この女性の言動が数年前に辞めた会社のパワハラ女性上司の小川部長に似ていると感じた。また小川に叱責をされたシーンが蘇った。当時を思い出し、私の頭の中は鍋になり、怒りがその中で沸々と湧き、やがて泡を立てて煮えくり始めた。彼女からパワハラを受けて会社を辞めたがそれで問題は解決しなかった。事あるごとに彼女の亡霊に付きまとわれ、会社を入っては辞めを繰り返していた。それをよそに、彼女は同じ会社で反省もせずにのうのうと今も働いているのだ。そんな彼女を私は許せない。次の会社が決まっても私の心は晴れなかった。逆に不安になった。入社日がまた地獄の始まりのカウントダウンに感じた。さあ、心機一転、新天地で頑張るぞという気持ちになれない。会社が決まった時の嬉しさはとうに消え去っていた。また、変な人や怖い人がいて怒られる場面を想像してしまう。そのたびに小川のトラウマが蘇る。私はケジメをつけたかった。精神科の受診を継続し、認知行動療法を受けながら新しい会社で頑張るつもりだったが、時間がない。入社日までもう少しである。精神安定剤ではこの亡霊を退治してくれない。入社日までにこの亡霊とはさよならをしたかった。この亡霊を退治するには直接亡霊に会いに行き、もう私の前に現れないでくれと言うしかないのだ。私は意を決してパワハラ女部長の小川がいる会社に電話をした。

女性社員と思われる人が電話に出た。

「もしもしお忙しい所申し訳ありません。私、佐々木と申しますが小川様はいらっしゃいますでしょうか」。

「申し訳ありません。小川は外出をしております。何時に戻るかも伝えられていない為わかりかねます」との事だったので、「またお電話をします」と答えた。そしてしばらくしてまた電話をかけたが同じ対応だった。それからしばらく時間が経って電話をかけたら今度は電話口に男性が出た。

「どちらの会社の佐々木様でしょうか」。

「会社ではなく、小川様の元部下です」と答えた。今日は不在との事だったので、また改めますと答え電話を切った。

次の日、私の気持ちは変わらず、エスカレートしていた。朝起きると、すぐに妻の元へ急ぎ告げた。「あのパワハラ女性がいる会社に出かけてくる」。

妻は困惑し私に告げた。「何しに行くの?」。

「もう会社を辞めないようにするにはあのパワハラ女上司と直接話して、何故あの時あそこまで衆人環視の中で大きな声で叱責を受けなければならなかったのかを聞く。そして俺が何をしたのがいけなかったのかを聞きにいく。そしてここまで心の傷を与えた事に対して謝罪をしてほしいと言いに行くんだよ」。

妻は冷静に言った。「行ってもいいけど、警察沙汰になったら今の会社の内定が取り消される恐れがあるよ。それを承知の上で行ってきてね」と。

「分かった。どちらにせよ、このパワハラ女性のトラウマが消えない限り、今度の会社でもまたすぐに辞めてしまうと思うから行くよ」と言い残し、自宅を出た。電車の最寄り駅の駐輪場にバイクを停めると250円かかるので、私はいつもお世話になっている就労支援センターの駐輪場に停めさせてもらっていた。担当のカウンセラーの、おさむさんに今から前の会社のパワハラ女性に会いに行くつもりだと言った。おさむさんは、目の色を変え、慌てて私を事務所の奥の部屋に招いた。

「佐々木さん。それは止めた方がいいです。私からのアドバイスです。経験談です。謝罪を求めても相手は応じないですよ。逆に相手を怒らせて訴訟を起こされますよ。ブラック企業は何でもしますよ。会社の内部では上司と部下の関係ですが、会社を辞めた人間がパワハラをしたとされる女性に謝罪を求めてもそれは、上司との闘いではなくなり、会社と戦うことになります。そういう会社はどんな小さな事でも、こちらの言動を黒く塗り替えますよ。

アポイントもなく会社に丸腰で入ったら不法侵入だとか。勤務時間内だったら営業妨害だとか言いかねませんよ。私のアドバイスとしては、電話で会社に連絡して上司にアポイントを取ってください。それが逃げ道にもなりますから。もし直接その上司と話せればそれが一番いいです。そしてアポイントが取れなければ会社には行かない方がいいです。それでも気持ちが収まらない場合は弁護士に相談した方がいいです」と動揺を隠しきれない様子で私を諭した。私は、おさむさんの助言には耳を傾けた方がいいと思ったので、今にも殴り込みをかけて怒鳴りつけたかった気持ちを抑えた。

会うためのアポイントを取るためにその会社に電話をかけた。

「もしもし、佐々木という者ですけど、昨日から何度も電話をして申し訳ありません。小川様はお手すきでしょうか」。電話口の男性からはまた不在であるとの旨を聞かされ、辟易したが、折り返してもらえる事になったので自分の携帯番号を教えて折り返しの電話を待つことにした。1時間が経過した。電話は来ない。2時間が経過した。電話がかかってくる気配を感じない。お昼休みになったら電話がかかってくるかもしれない。もう少し待ってみたが、お昼12時30分を過ぎてもかかってこなかった。私はしびれを切らした。

「おさむさん。先方から電話がかかってこないので私からかけてみます。もうすぐお昼休みも終わってしまうので」。

「分かりました。では、あちらの一番奥の仕切り部屋でお願いします」と誘導され、座席に座った。頭上には11月下旬だと言うのに冷風がガンガン当たる席だ。落ち着いて冷静になれという事なのか。とにかく私はもう一度会社に電話をかけてみた。先ほどの男性が出た。「もしもし、先ほど2時間以上前にお電話した佐々木ですが、まだ小川様から折り返しのお電話を頂いてないのですが。いらっしゃいますか」と伝えると、

男性は「どのようなご用件ですか」と、先ほどの感じとは異質なものを感じた。誰かの意思を託された口調である。

「私は以前、そちらで働いていた佐々木という者です。実は3、4年前くらいに小川様からパワハラを受けて精神科に通う事になって今でも薬を飲んで治療しているのですが、治らず苦しんでいるのです。小川様に話があってお電話をしました。代わっていただけないでしょうか」と懇願した。

男性は「それはできません。個人的な話を勤務中に会社に電話をかけてこないでください。もうかけるのを止めて頂けますか」とキッパリ断られた。私は何も言わずにスマホの通話終了ボタンを押した。やばいと感じた。これ以上この会社に電話をかけるとやばい事になると鈍感な私にも分かった。すぐ横にいたおさむさんに報告した。

「佐々木さん、良かったですよ。今日会社に乗り込まなくて。もし行っていたら、今日帰って来れなくなっていたかもしれませんよ。もうこの会社に電話するのはやめましょう。これ以上やるとストーカーとか、営業妨害とか、何でも罪状を引っ張り出してきて訴えられる可能性がありますよ」。

本当にそうである。少し怖くなってきた。そして今日おさむさんと会えて話ができた事は幸運だと思った。

おさむさんは「奥様もご両親も心配なさっていると思いますからすぐにご状況を報告した方がいいと思いますよ」。

私はまず父親に電話した。「今日だけど、結局会社には行かなかった」。

父親は「えっ、なんで」と驚いた様子であった。

「就労支援センターの方と話をしたら止められてね。アポイントを取った方がいいって言われて。そしてしつこく電話していたらもう電話は止めてくださいと言われて、これ以上関わるとヤバいなという雰囲気を感じたんだ」。

「そうか。実は私もそう思っていたんだ。会社を辞めた当時、そのパワハラ女性はさらにその上の上司からキツイお灸をすえられていたんだろうから、もう十分反省しているよ。それで全て忘れるべきだとは思っていたんだ」。だったら今回も行く前に止めてほしかったが、もうこの数年間の私のトラウマから両親も私に何も言えなくなっていた。

「とにかく、これでそのパワハラ女性との関係も終わりだよ。忘れて次の会社で頑張る事だけを考えよう!さあ、今度ビアダンスに行くぞ!」と言って電話を切った。

そして妻に電話をかけた。妻に会社に行くことを踏みとどまった報告をすると妻は緊張の糸がはずれたのか、溜まっていたことをすべて吐き出した。

「良かった。やっぱり、思考回路が変だね。普通じゃないよ。もし会社に行っていたら警察に通報されていたよ。私の会社で私がそこにいたらすぐに通報するよ。そんな人。ナイフとかも持っているかもしれないしね。危ないよ。変質者と思われるよ。それで警察に通報されたら経歴を根掘り葉掘り聞かれるし内定も取り消されるし、ご両親だって、親戚や兄弟にだって迷惑がかかっていたよ。ほんとに認知行動療法で治すレベルだよ。もうそこでしか治せないよ」。


10年前に妻と出会った。その頃は恋人だった。そして結婚をして妻になり、子供ができて母親になった。育児をしながら子供たちの教育に熱心になるにつれ私との関係もいつしか希薄になり、セックスレスになり、いつしか子育てを共同で行う同居人となった。

そして妻はパートを始め年数が経ち、だんだんとたくましくなり、仕事がうまくいかない自分に仕事をする上での極意を教えてくれる職場の先輩となっていった。もはや二人の間でセックスについて語る事はタブーなのだ。


私は、改めてこれまでの人生を思い返した。何が原因でこのような状況になったのだろう。

もし人生を軌道修正すべき箇所があったのなら私のターニングポイントはどこだったのか。

時間は戻らない。こうして考えている間も時計の秒針は1秒1秒過ぎていき、確実に明日を目指して進んでいく。私の気持ちは晴れぬまま、鬱が取り除けないまま、次の会社でどのような事が待ち受けているかに怯えながら、もうすぐやってくる入社日を恐れている。


それでも私は生きる事を選ぶ。死ぬことの方が恐怖だ。義理の母が住んでいるマンションは15階建て。手すりはすぐによじ登れるセキュリティのしっかりなされていない古いマンション。私は仕事や会社、人間関係で不安な気持ちになり、人生に絶望感を抱くたびにこのマンションから飛び降りられたらいいのになと思うことがこれまで沢山あった。


私の心の中では、何度も飛び降り自殺をしてきた。時々義母に会いにそのマンションに行くが、その手すりから見下ろす遥か下に見える敷地内のコンクリートを見ると、飛び降りる気持ちがなくなる。とてもじゃないが怖くて飛び降りられない。私は生きるしかないのだ。

苦しみを抱えながら、毎日、貯金が減る不安を抱えたまま、人の顔色をうかがいながら、職場の人に怒らないでほしいと切に願いながら、妻との関係も悪いまま、またすぐに会社を辞めるかもしれないし、両親に不安を与えながらも、私は生きなければならない。

そして生きるために何か食べなければならない。


私は、急にお腹がすいてきて、かつ丼を食べに近所のお店の暖簾をくぐった。

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