ReLi
阿良々木与太
第1話
大学のオリエンテーションに遅刻しかけて、空いていた席が彼女の隣だけだったのが、私の運命の始まりだった。
まだざわついている講義室に駆けこんで、必死に空いている席を探す。座りやすそうな端や後ろの席は埋まっている。入学式のときに話しただけの知人はこちらに気が付いておらず、何となく近寄りがたかった。
まだオリエンテーションが始まらないことを祈りつつ、通路の間をふらふらと彷徨う。前列の端に座る女子生徒の隣が空いているのを目にとめて、そちらに向かった。
彼女はゆったりと椅子に腰かけていて、悪く言えば完全に通路をふさいでいる。気が付いてくれればいいものの、手に持ったスマホで何やら動画を見ていて、顔を上げる気配すらない。頭には黒いキャップを被っており、顔も見えなかった。
反対側から入ろうかと思ったが、そちらはそちらで男女数人のグループが談話しており、より近づきづらい。仕方ないので、そっと彼女の肩を叩く。
顔を上げたその人は、ちょっとびっくりするくらい美人だった。長いまつ毛、白い肌、けれどつり目のせいで下から見上げられると睨まれているのかと錯覚する。ショートボブの内側には、鮮やかな青色が入っていて綺麗だった。
彼女は何事かというように、ただ黙って私を見上げている。耳につけたイヤホンをわざわざ外してくれたあたり、見た目はきつそうだけれどいい人なのだろう。
「あの、隣、いいですか」
そう声をかけると、黒い瞳をすいと動かして、隣の空席を確認した。
「ああ、ごめんなさい」
彼女はそう言って椅子を前に寄せると、私が通れる程度の幅を作ってくれた。少し掠れた、色っぽい声だった。ぺこりと会釈をして、隣に腰かける。リュックを机に置いて、ようやく一息ついた。
さっき彼女の声を聞いたときに、一瞬何かが頭をよぎったのだけれど、それが何かを思い出せない。彼女の声に似ているものを、私はよく耳にしている。
答えが出ずモヤモヤとしていたときに、隣からうっすらと音楽が聞こえてきた。それにも、私は聞きなじみがある。ざわついた教室の中で、彼女のイヤホンから漏れ聞こえる音に耳を澄ませる。
そうだ、これはReLiの曲だ。インターネットで活動をしているシンガーソングライターのReLi。先ほどの彼女の声は、ReLiのものに似ているのだ。
そのイヤホンからReLiの曲が聞こえてくるということは、彼女はReLiのファンなのだろうか。私はReLiの曲を聴いている人を周りに初めて見つけて、声をかけたい衝動にかられた。けれどイヤホンをして自分の世界に入り込んでいる同級生に声をかける勇気はなく、ただそちらに耳を傾ける。
数分して、講師が教室に入ってきた。プリントが配られ、これから始まる学校生活の簡単な流れが説明される。履修登録の説明やら、資格課程の説明やら、説明続きで段々と体がだるくなっていった。
隣に座る彼女はプリントに目を落としつつも、左耳のイヤホンだけは外していなかった。右耳のイヤホンは外して、手のひらの中でもてあそんでいる。説明を聞くために音量を下げたのか、もう音楽は聞こえてこない。
オリエンテーションが終わったら声をかけて見ようかと思っていたのに、講師が教室を出て行くやいなや、後ろから声をかけられた。
「いずみ! 来てたんだ?」
振り向いた先にいたのは、私がこの教室に入ってすぐに見つけた、例の入学式の同級生だ。まるで旧知の仲のように、私に駆け寄ってくる。彼女の後ろには、同じく入学式で話しただけの仲間がぞろぞろとついている。
「ね、サークル見学行くんだけど、いずみも行くでしょ?」
「あー、うん、行こうかな」
ウェーブした明るい茶髪を揺らして、彼女は笑った。私は彼女の名前が曖昧なのに、きちんと私の名前を憶えていてくれているのはすごいなと思う。後ろの仲間たちが、はやくはやくと私を急かしている。
名前、なんだったかな。そう思いながらリュックサックを手に取ると、隣の席の彼女はもうどこかに行ってしまっていた。
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