第30話 江戸前の邪道ですが、これはおやっさんの味です!
あっしは
おやっさんは寿司一筋に生きてきた人でとても尊敬していた。
だけど、伝統にこだわりすぎるところはどうもいけねぇと思っていた。
ダンジョンができた。
漁船がいくつも沈んで、新鮮な魚が入りづらくなった。
だからあっしは、ダンジョンで取れた素材を使おうって言った。
「馬鹿野郎! それだきゃぁいけねえ。先代の顔をつぶすつもりか!」
殴られた。
蹴り飛ばされた。
あっしは必死で謝った。
だから、自分でダンジョンに潜ってきた。
ゴブリンを活け締めにして、店でさばいた。
うん、脳みそには白子みてぇなドロリとした深い甘みがある。
キモは臭くていけねえな。悪りぃが、捨てるしかない。
肉質は全体的に固い。
臭みのある部位が多い。
脂が臭いを溜め込んじまってるんだな。
胸と腿から赤身を切り取る。
丁寧に筋を取って、隠し包丁を細かく入れる。
酒と醤油で漬けて、臭みを抜く。
握ってからバーナーでさっと炙って、香ばしさを出す。
あっしのできる限りの工夫を重ねた。
試食もしたが、文句なしに美味ぇ。
本マグロの頬や、ツノみてぇな、どっしりした味わいになった。
「おやっさん、頼むから一貫だけでも」
「こんな邪道、食えるか!」
俺の握った寿司は、調理場の床に散らばった。
おやっさんの下駄が、それを踏みにじった。
「てめぇ、何様のつもりだ! 握りを任せるようになったからって、調子に乗るんじゃねえ! てめぇなんぞ、追い回しからやりなおせ!」
追い回しってなぁ雑用のことだ。
皿洗いや掃除、野菜の下ごしらえなんかしかできねえ。
板場で一番の雑魚ってことだ。
そんなのって、ねえじゃねえか。
あっしは、店のことを真剣に考えたんだ。
あっしは、真剣に新しい寿司を握ったんだ。
「将太ァ……てめぇ……」
気がつきゃあ、おやっさんの胸に柳刃が刺さってた。
どくどく、どくどく、血が流れる。
おっと、いけねえ。
新鮮なネタじゃねえか。
早く冷やして血抜きしねえと。
おやっさんを流し台に押し込んで流水をかけつづける。
頸動脈を切り、
時折、おやっさんの身体が震える。
死後硬直ってやつだな。
2、3日寝かして柔らかくした方がいいか?
悩むが、まずは味見だな。
江戸前はネタに
内臓を取り去り、キモを薄く切って食う。
うーむ、ボソボソだ。
うめぇもんじゃねえな。
おやっさんは酒をやらなかったし、油もんも苦手だった。
キモに栄養がたまらなかったんだろう。
惜しいが、捨てる。
おやっさんの口癖だが、江戸前寿司は素材が命だ。
あれこれ試し、ようやく正解にたどり着く。
肘のちょっと先、
上等な和牛の赤身みてえな味がする。
おやっさんは、これを使って毎日寿司を握ってたんだな……。
そう思うと、ガラにもなく涙が滲んできちまう。
「困ったねえ、うちの人、どこ行っちまったんだい? 今夜は大事な常連さんがお越しだってのに……」
女将さんがやってきた。
いまのおやっさんは握れねえからなあ。
「すんません、おやっさんは急用ができたとかで。板場はあっしに任せるって出かけられました」
「おや、将太に? はぁー、あの人もようやく素直になったんだねえ。ここだけの話だよ? 最近は、あんたと友子の結婚を認めて、うちの跡取りにしたいって話してたんだ」
そんな話があったのか。
思わず心臓が跳ねる。
友子さんはおやっさんの娘さんで、とってもお綺麗で、たまに会ってはひとつふたつ話すくらいのお方だった。
あっしなんかの手の届くお人じゃねえと思ってたが……おやっさんはそこまであっしを買ってくれていたのか……。
「おやおや、何を泣いてるンだい。うちの跡取りになるのが嫌なのかい? それとも、友子と一緒になるのが嫌なのかい?」
「と、とんでもない! あっしには身に余る……その、アレで……ああ、あっしは馬鹿だから、上手く言えねんでさ。あ、あの、よかったらこれを味見にしていただけませんか? 江戸前からしたら邪道じゃあありますが、たしかに
「なんだいもう、冗談もろくに通じない
「はいっ!」
握ったばかりの寿司を差し出す。
江戸前の流儀じゃねえが、たしかに
寿司を食べた女将さんが、考え込むように何度も噛み締めている。
どうだ……これは……おっさんの味でしょう……?
「たまげたねえ。ここまで腕を上げてたのかい。これなら板場を安心して任せられるよ」
「ほ、本当ですか!?」
「あたいが嘘をついたことなんてあるかい? 寿司の目利きについちゃあ、あの人にだって負けてるつもりはないよ」
「ありがとうございます!!」
おやっさんはその日から行方不明になった。
あっしは友子さんと結婚して、鳳凰寿司の十八代目になった。
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