第28話 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識

 俺とアルプが歩いていると、暗がりの先に白装束の女が現れた。

 目と胸が異様に大きく、髪は真紅。

 踊り歌いながらこちらに向かってくる。


「ふんぐるい むぐるうなふ はすたあ どまるはうと んぐあ・がぁ なふたるぐん いあ! はすたあ!」


 女がこちらを指差す。

 黄色の砂塵が吹き荒れる。

 俺はアルプを引き倒して咄嗟に地に伏せる。

 背中を砂が削っていく。

 焼けるような痛み。


「あれー? いきなりこういうのはダメ? 難しいなあ」


 女は首を傾げて何か話している。

 コメントとやりとりしているんだ。


「アルプ、気を張るぞ。ひさびさの格上だ」

「うん、わかった!」


 アルプはすぐさま立ち上がり、両手の短剣を構える。

 俺はサイドステップでアルプから距離を取る。

 魔法使いマジックキャスターを相手に固まっているのは、まとめて片付けてくださいってなもんだ。

 的を散らす必要がある。


「じゃあー、次はこれっ!」


 白い衣装がひらひらと舞う。

 澄んだ声で歌い上げる。


「全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。声をあげ、喜び歌い、ほめ歌えよっ!」

「アルプ、跳べっ!」

「うんっ!」


 石畳が砕け、それを突き破って無数の石の棘が飛び出す。

 地面に留まっていたら串刺しだったろう。

 視界の端でアルプを見る。無事だ。

 しかし、この範囲魔法の連打はキツイ。

 一旦逃げて立て直すか……


「他人に対して高慢にあなたの頬を背けてはならない。また横柄に地上を歩いてはならない。我らが主は、自惚れの強い威張り屋を御好みになられない」


 くそっ、今度は精神魔法か!

 視線がやつに固定される。

 やつと戦わなければならないという感情で心が塗りつぶされる。

 いいじゃねえか。上等だ。

 その細首を一気にすっ飛ばしてやる!


 俺は全力で跳ぶ。

 磨き上げた牙を剥く。

 切っ先が寸前まで届く。


色不異空しきふいくう 空不異色くうふいしき 色即是空しきそくぜくう 空即是色くうそくぜしき 受想行識じゅそうぎょうしき


 女が早口で何かをつぶやく。

 俺は女の体をすり抜けて・・・・・、反対側に飛び出した。

 どんな手品を使いやがった!?

 俺は振り向き、再び牙を剥く。


「うわー、あっぶなーい! けっこうギリギリだったよね!? いまのタイミング!? 神ってない!? いまの神ってない!?」


 野郎、カメラドローンに向かってはしゃいでやがる。

 舐めやがって……


「ヴォーさん、落ち着いて! <鎮静血針アキュパンチャー>」


 アルプの飛ばした血の針が、俺の額に刺さる。

 なんだ、いつの間に新しい<固有能力スキル>に目覚めてたのか?


 いや、そんなことはいい。

 頭に上っていた血が下がっていく。

 思考が冷静を取り戻していく。

 ああ、情けねえ。

 完全にこの女の術中だったじゃねえか。


 息を長く吐く。

 息を長く吸う。

 まずは戦力分析だ。

 相手の火力は圧倒的。

 一撃食らったらおしまい。

 リーチも長い。

 逃げたところで背中からの一撃で仕留められる。


 防御力はどうだ?

 さっきの一撃、わざわざ何かの魔法を使って避けた。

 つまり、魔法使いマジックキャスターのお約束どおり、耐久力は低い。


 となれば、やることはひとつ。


「アルプ! 徹底的に攻めるぞ!」

「わかった!」

「わわわ、すっごーい!」


 アルプが短剣を振るう。

 金色の線が走る。

 女がひらひらと舞う。

 俺が飛びかかる。

 銀色の線が走る。

 女がひらひらと舞う。


「きゃははは! きゃははは!」


 女が楽しげに笑う。

 俺の牙は、アルプの剣は、やつの服にもかすらない。

 斬りかかる。

 飛びかかる。

 飛びかかる。

 斬りかかる。飛びかかる。斬りかかる。飛びかかる。飛びかかる。斬りかかる。飛びかかる。飛びかかる。飛びかかる。斬りかかる。斬りかかる。飛びかかる。飛びかかる。飛びかかる。飛びかかる――


 どれだけの間、攻防を繰り返したか。

 いや、攻防じゃない。

 一方的な俺たちの攻撃だ。

 俺たちは終始攻め続け――しかし、かすり傷さえ負わせられなかった。


 アルプはもう倒れている。

 俺も口の中がからからだ。

 上がった体温を放とうとする耳が熱い。

 もう一撃。

 あと一撃。

 今度こそ。

 最後の。


 膝に力が入らなくなる。

 アルプの横に身体が転がる。

 息が苦しい。

 ああ、ちくしょう、判断をミスった。

 アルプだけでも逃がすべきだった。


 なんとか仰向けになると、女はまだ踊り狂っていた。

 額に汗を浮かべ、満面の笑顔で。

 その視線の先にはカメラドローンしかない。


「それでは、今日はご視聴ありがとうございました~~~☆゛ チャンネル登録、高評価をくれないとドーマンセーマンだぞっ☆゛」


 深々と一礼。

 そして背を向ける。


「【企画趣旨が変わってるぞ】……? 企画って、なんだったっけ? いっぱい踊れて、いっぱい歌えて、あかりは大満足だよ~~~☆゛ でも、いっぱい汗もかいてべっとべと。早く帰ってシャワー浴びたーい☆゛ あ、そっちの動画は有料枠で! へへへ、嘘々。半分だけは見せちゃうね~~~☆゛」


 警戒することもなく、背中を見せて歩き去っていく。

 ああ、ちくしょう。俺たちなんて敵じゃねえってことか。


 奥歯を噛みしめる。

 ぎりりと軋む。

 唇の端から血が垂れる。


 まだまだ、まだまだだな。

 俺はもっと、もっと強くならなきゃならねえ。

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