第5話

 スクールバッグを机に掛けて、椅子に座る。歩いてきただけで、首筋に流れる汗。風磨は下敷きを出して扇いだ。

 冷たさに身体が驚いたが、悪戯してきた相手を見るまでの動きは、いつも通りの冷静な風磨に思えた。

 そんな様子に、大翔は不満げだ。


「冷たい缶だぞ、もう少しリアクションあってもよくない?」

「その冷たさが丁度良かったみたい」


 頬に当てられている缶は、首へと移る。


「熱中症じゃないよな?」

「暑さに何も考えたくはないけど」

「その回答が一番怖ぇよ」


 彼の目の前、椅子を動かして大翔は座った。眼が合いそうになるのを、反射でそらす。


「……あ、あのさ、サボった日は、その……フォローしてくれた? なんか助かった」


 突然のお礼に、大翔は小さく笑う。


「何。サボったの。フォローになってたんなら、それは良かった──…」


 大翔の視線が、風磨の後方で止まる。「ん?」と不思議に思い、後ろを向いた。

 女子二人が、ひそひそ話の最中だった。風磨に見られたことによって、話しは止まる。


「何なんだ……」

「先輩と帰ったことに関して、噂が立ってるかもな」

「どんな噂が?」

「単純に、付き合ってるとか、そういうのだろ」


 中学生ほど騒ぎはしないだろうけど、興味がないわけじゃない。


「茶化したい奴はどうしても出てくるから、何かあれば言えよ? 話くらいは聞ける」


 瞬きを何回か、風磨は大翔をじっと見る。人差し指に力を入れて、大翔は缶を開けた。爽快な音。


「大翔ってキレたらヤバそう?」

「初めて名前呼ばれた気がする。ていうか、本人に聞く? それ」


 吹き出した風磨につられて、大翔も笑った。



 *


 夏休み前の期末テスト。勉強のために部活動もしばらくは無い。

 なんとなく開いたSNSに、愁の呟きを見つける。いいねボタンへ指を近づけるも、やめた。

 昼のときは楽しく話すけれど、ネットの中では酷くマイナス思考で、それが理由としてあるのか風磨は愁と学校以外で会うのが、想像出来ずにいる。

 スマートフォンを見ていた目は焦点が外れて、ふわふわと漂った。


 持っていた為に、バイブの勢いで落ちそうになるのを耐える。海里から連絡が入った。

 肯定の文面を送信し、昇降口へと急ぐ。部活動が無いから生徒で混雑している昇降口、それでも下駄箱に背を預けて視線はスマートフォンに向いている海里が、風磨の目にはくっきりと映った。

 近づいていき、気配で察したのか、海里は顔をあげて微笑んだ。


「お昼を済ませてからのほうがいいよね。一旦は家へ帰るでしょ?」

「そうですね、その方が身軽だし」


 風磨の肩に、三年生の男子生徒が、擦れるようにぶつかった。

 自然と睨み合う形になってしまった。けれど風磨は、邪魔な位置に居ただけだと思い直し、「すみません」と謝る。


「……元カレの友達だ。なんで。嫌がらせするにしても関係ないじゃない。大丈夫? ごめんね」

「当たったのだって軽くだし、平気です」


 海里に彼氏がいたこと。もう付き合ってはいなくても、風磨には経験が無いから、考えが追い付かなかった。


「今日は一緒にテスト勉強するんですよね? 楽しいことを考えませんか?」

「なんだろう、一度に正反対のことを言ってる気がする」


 雲っていた二人の空気は、次第に晴れた。一旦は正門で別れて、図書館に現地集合と決まった。


 簡単に昼を済ませて、電車に乗った。足早に歩くスーツの男性、派手な装いをしている男女が、風磨のそばを通りすぎて行った。

 男の腕へ絡むように、女性はくっついている。学校で寄せられる思惑は今、風磨の目に映っている事と同じなのか。


 見られるのが嫌だから何もしない? 近くで見てると不愉快だから何か言ってやるのか? 考え出して腕を組む。その姿が建物のガラスに映り、風磨は慌てて止めた。


 勉強に必要な物を入れるのに適していたのが、スクールバッグだった。

 外に出て改めて見ると、目立っている気がしてきて、ソワソワしてくる。


「──後輩くん?」


 そう呼んでくる相手はいないけれど、外で会う約束をしているのは、一人しかいない。

 一見ワンピースに見える服。カーキ色で丈の長いTシャツに、膝丈のジーンズ。

 想像していたよりも明るい格好で、視線が外されるのを、海里は気になった。


「それは緊張? 私の格好……変かな」

「先輩は慣れてるでしょ? ほら、元彼がいたって」

「確かに付き合った。でもね、こうして外で遊ぶことなんてしなかったの。今でははっきりと思うよ、恋愛に憧れてて付き合うっていう形をしてただけだって」

「……なんか、すみません」


 海里は風磨の隣に立つ。「学校指定の鞄……」

「丁度いい大きさが無くて」

「やること終わらせたら、お店見る?」

「鞄を買うほど持ち合わせてないので、いいです」

「見るだけなのに」


 大人、大学生。利用しているのは、その辺りくらい。資格や参考書、あまりの静けさに怖じ気づきそうになる。


「喫茶店に長居するのって気が引けるけど、こっちも音が響いたらどうしよって困るね」

「ここまで静かだと、変に緊張しますね」


 長い机の一番端に、向かい合うように座った。ふと頭のなかに、どこかで読んだ漫画が思い起こされた。

 妹が読んでて片付け忘れた物だった。ヒロインは高校生で、相手は大学生。勉強に勤しんでいるけれど、どこか甘い空気が漂う。

 状況的には漫画とほぼ同じ。教える場面があったけれど、学年が違っては何もできない。


 これ以上は駄目だと、考えるのをやめる為に、風磨は問題に集中した。

 時間確認ができるように出していたスマートフォンが光った。通知を確認すると同時に、時間も見た。

 彼は何かを感じて、ノートに向けていた視線を上げる。前のめりにして様子を見ている海里と、しっかり目が合った。


「な、何か?」

「きちんと勉強して凄いなーと思って」

「つまりは僕のことを見てたと?」

「あ、そっか。そうなるね」


 海里は机に広げていたノートと筆箱を、鞄に仕舞う。「飲み物買おうよ」

 風磨も慌てて片付けて、海里の後を追い掛けた。


 ひたすら歩いて、キッチンカーで飲み物を購入した。近くに公園があり、ピクニックしている家族連れがいる。

 芝生の、空いているところに、腰を下ろした。


「夏だけどさ、芝生があると気持ちいいね」

「風がよく通って良いですね」


 家族連れ、スポーツをしている人、一組の男女に風磨は目がいった。


「あの二人って付き合ってるのかな、ほら、ピクニックシート広げて座ってる」


 同じところを見ていると分かり、「あぁ、あの二人ですね」と返事をする。


「キスってさ、どう思う?」

「……はぃ?」


 突然のことで、少しむせる。咳払いをした。


「別れる原因になったのは、私がそういうのを拒んだからなんだ。一緒にいるだけで、好きの表現になればいいのに」

「表現としては分かりやすいですよね。距離も近くないとできないし」

「手を繋ぐだけでも十分じゃない?」

「それは小学生でも出来ますからね」


 スキンシップというものは恋愛でなくても、心を許した相手にならいい。

 海里に何を言いたいのか、論破して質問がこないようにでもしたいのか、風磨は腕を組んだ。


「現状、先輩とは隣にいるのが限界ですね」

「私、拒否されてる?」

「むしろ友達なのに、どこまでスキンシップができると思ってんですか」

「私の家に来るのはあり?」

「先輩の親が、異性を呼ぶことについて、どう思ってるかが気になりますけど」

「後輩くんの考えを聞いてるのに」

「女子の家なんて小学生以来なんで、たぶん無し──」


 目が泳いでストローを咥えた。そんな風磨を見て、海里はふふっと安心の声を出した。


「なぁんだ、嫌じゃなくて振る舞いに困るって感じなのね。よかった」


 この日の最後にプリクラを撮った。いろいろ落書きをするんだと思って、ペンを握る。

 海里の様子を見るけれど、とくに手は動いてなくて、書いていないことに突っ込まれることも無く、終了した。


〝かいり〟と〝ふうま〟


 海里のかわいらしい字で書かれた、名前。呼ぶことがないかもしれない、呼ばれることがないかもしれない。

 名前を書かれたことに、驚きと嬉しさ。風磨は鞄へ大事そうに入れた。


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