第12話 デッドボール

「小学生んときよ、事故で父さんと母さんが死んだんだ。けど運転してたやつは逮捕されなかった。なんでだと思う?」

「……権力絡みか」

「当たり。そいつ事務次官? っていうのをやってたらしくてさ、不起訴にされた」


 その事件はよく覚えている。当時、上級国民だから優遇されていると話題になっていた。そしてなにより一人残された子供が不憫だと思ったことを覚えている。


「そうか、あれの生き残りがお前だったのか」


 伊勢の隣に腰掛け、話を聞く。

 伊勢の口から語られた過去は、思わず眉をひそめてしまうようなものだった。


 ◇


 伊勢いせ めぐる

 それが両親から授かった名前。


 俺は幼い頃から父さんから野球を教わっていた。父さんは厳しいけど優しく、野球の面白さを教えてくれた。

 そして母さんは野球にのめり込む俺のことを応援してくれた。今にして思えば、随分と苦労をかけた。土まみれのユニフォームを文句を言うことなく、綺麗にしてくれた。


 野球は俺たち家族の拠り所。だから、二人がいなくなったあとも野球を続けた。二人の残り香を感じられる、俺の唯一の心の支えだった。


 高校生になり、俺はエースピッチャーとして活躍していた。そんなある日、他校と練習試合をすることになった。


 試合当日。マウンドに立つ俺は目を疑った。応援に来た保護者の中にあの男がいたからだ。

 父さんと母さんを殺した、あの男が。


 奴は、相手校の息子の応援に来ているようだった。


 誰があいつの血を受け継いでいるのかすぐにわかった。そいつがバッターボックスに立った瞬間、あの男が苛つくほどでかい声援を送るのだから。


 その男は、とても純粋な顔をしていた。純粋に息子の勇姿を応援していた。


 冷静ではいられなかった。はらわたが煮えくり返るようだった。


 少し考えれば思い至るだろ。もしあのとき轢いた二人が自分とその妻だったらと。残された息子はどうなってしまうのだろうかと。


 そこにたどり着けない愚か者に、どうしようもない怒りを覚えた。


 だがふと、冷静になって考えた。

 そもそも罰から逃れた人間に罪の意識なんてあるはずない、と。


 その結論に――その理不尽に至ったとき、俺の心は折れた。


 それからの投球は散々だった。コントロールはままならず、速度も落ちていた。

 そして、あの男の息子がバッターボックスに立った。相変わらず、あの男の声援がノイズのように鳴り響く。


 投げる直前、どうでもいいことに気づいた。それまであの男の息子の顔を見ないようにしていたが、つい気づく。

 ――似ている、瓜二つだ。


 その瞬間、それまで全く力の入れなかった腕にかっと膂力が戻ってくるのを感じた。


 故意か偶然か、もう覚えていない。俺が投げたボールはそいつの頭部へと直撃した。

 デッドボール。ピッチャーにとって不名誉だが、俺はそのとき歓喜に打ち震えた。


 幸い、大怪我になることはなかった。それより驚いたことは頭部へデッドボールを受けたそいつは俺に文句の一つも言わず、ただ気にしなくていいと言ってきたことだった。とんびが鷹を生むとはまさにこのことだと思った。


 試合後、俺が一人になったところを見計らって、あの男がやってきた。

 奴はデッドボールに対する追求をしてきた。その内容は罵詈雑言の嵐だった。


 最後に奴はこう言った。

 ――親の顔が見てみたいもんだ


 初めてだった、本気で人を殺したいと思ったのは。俺はどす黒い衝動をぐっと抑え、あることを訊いた。


 ――どこかで会ったことありません?


 知らんと即答された。

 会ったことあるよ、遺族への説明会で。でもお前は手元の資料ばかり見てこっちを一度たりとも見なかった。


 この世は死ぬべき人間が平然と生きてる。自らがもたらした不幸なんてどこ吹く風。信賞必罰しんしょうひつばつは遠い理想郷にある。


 もう疲れた。野球が辛い。今までは野球の中に父さんと母さんの顔を見ていた。だが、あの日からあの男の顔が入り込むようになった。

 俺たち家族の野球を汚された。だから辞めた。


 それからの日々は空虚だった。野球を取り上げると、俺の人生はがらんどうだった。


 そんな惰性の日々を過ごしていたある日、ゼシルとか言う奴と出会った。そのお陰で、俺はこの強靭な肉体を手に入れることができた。この力があればなんでもできると思った。

 ――なんでもできる。

 だから一番やりたいことをすることにした。あの男――我業がごう 寿疵ひさしを殺す。


 ◇


「我業?」


 最近聞いたことがある名字に、つい反応してしまう。


「ああ、いわゆるお貴族様ってやつの家だ」


 我業 了。俺の前世もその性だ。まさかここでそれを聞くとは。


「今日どっかのお偉いさんの演説があるらしくよぉ、そこに我業 寿疵も顔を出すらしんだ。だからここから狙撃してやろうと思ってたんだが……」

「邪魔して悪かったな……」

「気にすんな」


 そう言って、巡は立ち上がった。


「ん? お前、色欲の権能が解除されとらんやん」


 そのとき、ユニコーンが巡に近づき、巡の体をじろじろと見ていた。


「ほぉ~なるほど、ゼシルも器用な真似しとんな」

「どうしたユニコーン?」

「文字ってゆうんやっけ? この世界で使われる意志の伝達手段? それがこいつの骨に刻まれとる」

「どういうこと?」


 巡と二人で?を浮かべる。

 いや、それよりもこいつの口ぶりからすると、異世界って文字の概念がないのか? かなり不便そうだ。


「色欲の権能を文字に乗せて、その効果を付与しとるんや。これのお陰でこいつはより強固な効果を保持しとる。あんちゃんの魔法の否定でかき消せるのは一時的で、今は元通りになっとるはずやで」

「お、ほんとだ」


 そう言って、巡は屋上の壁を殴った。コンクリートの壁はいともたやすく割れ、パラパラと破片が落ちる。


「なら、大丈夫か」


 俺は、巡がコンクリートの壁を砕いてできた石を、巡に渡した。


「決めろよ、ピッチャー」

「……止めないのか?」

「人殺しはだめ~、なんて思考停止言わねえよ。俺もお前と同じだ。この世には死ぬべき人間がたくさんいる。ほら、まだ演説は続いてる」


 巡は、渡した石を見つめ、毅然とした顔つきで演説をしている方向を望む。そして、ふうと深呼吸をした。


「フェンス越しに投げるのか?」

「――――」


 巡は極限まで集中しているのか、こちらの声が届いていないようだった。ここから目標までを直線で結ぶと、推定600メートルほどの距離になる。本当に狙撃できるのだろうか、半信半疑だ。


 巡は体を横に向け、首だけを目標に向ける。そして、左足を上げた。後ろに引かれた腕は弓の弦のようにしなり、美しい半円を描く。振りかぶった腕は捉えられないほどはやい。最大限の遠心力と、最高のパワー。

 目にも留まらぬ速さで解き放たれたそれは、遅れて鋭い音を奏でた。


「音速かよ……!」


 よくこんな怪力ゴリラに勝てたな、俺。

 演説に集まる群衆を見ると、なにやらどよめきはじめ、逃げ惑っていた。


「当たったのか?」


 さすがにこの距離から人一人の特定はできない。巡に結果を聞く。


「大当たりだ」


 俺はその報告を聞き、巡へ手を挙げた。


「ナイス、デッドボール」


ぱんと、俺たちはハイタッチをするのだった。

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