現代アートとかについての雑文

オキタクミ

【感想】『RRR』にモヤモヤした人は森美術館の『ワールド・クラスルーム』展に行くと良いと思う

 今さら『RRR』? って感じもするけど,吹替版の上映始まるらしいし,『ワールド・クラスルーム』のほうはまだ割と会期あるので.

 


 『RRR』そのものに対する私の感想はまあ「アクションシーンは文句なしにおもしろいけどマッチョイズムとナショナリズムが露骨だなあ」というなんの捻りもないもので,これに関しては作品見れば明らかなので深入りしない.ピンとこない人はググればその類の感想はいっぱい出てくる気がする.


 個人的にモヤモヤしたのは,『RRR』そのものでなく,その受容のされ方だった.こういう,マッチョイズムとナショナリズムががっつり結びついたエンタメ作品が大衆にウケることには別に意外性はない.「まあ皆そういうの好きだよね,知ってた」というくらいのもの.ただ,こんなにも批判が出ないものかと思った.例えば,もしディズニーがこんな感じの作品つくったら絶対にボコボコにされていたはず.なんだか「ポスト・コロニアリズム」が免罪符になっているみたいですごく引っかかった.ポスト・コロニアリズムってべつに,旧植民地の(悪しき)ナショナリズムに対して無批判でいることではなくない?


 リベラル寄りの人々の多くは,似たような違和感を持ちつつも,下手に触れて「植民地支配を正当化するのか!!」的反撃を喰らうことを警戒していたのだろう.人情というか処世術というか折り合いとしては理解できる.でも,普通にそれは健全じゃないんじゃないのとも思う.そういう空気感の「欺瞞っぽさ」が,リベラルが攻撃される大きな要因になっているところはあるはず.


 ただそれ以上にモヤモヤしたのは,「欧米や日本の作品のマッチョイズムやナショナリズムなら批判するのに『RRR』は手放しで激賞しているひと」というのが少なからずいそうなことだった.ものすごく悪く取るなら,そういうひとたちの権威批判・制度批判って単に「権威っぽいもの」への怨嗟に支えられていて,その「権威っぽいもの」が打倒されて快感が得られる場合には,打倒する側の思想や手段の内実をちゃんと議論して功罪を見極める作業はおざなりにされてしまう,ということなんじゃないだろうか.


 以上がタイトルの前半(『RRR』をめぐるモヤモヤ)の話で,以下が後半,つまり森美術館の『ワールド・クラスルーム』展の話.同展覧会に展示されていた,シルパ・グプタいう作家の《運命と密会の約束》という作品を見ると,私と似たモヤモヤを抱いていた人は,そのモヤモヤがちょっと晴れるかもしれない.


 会場にはマイクスタンドが置かれている.その前には誰も立っていない.声だけが聞こえる.作家自身が,インド独立前夜の初代首相による演説「運命と密会の約束」を朗読する声だ.演説の文章は雄弁で,勇ましく,力強い.けれど,彼女の声は不規則に揺れ,ささやくように,あるいは歌うように,文章を読み上げていく.大勢の聴衆を前にした演説というよりも,ひとり部屋にいるときの独り言か鼻歌のようだ.一言で言えば,独立,自由,平等,民主主義と言った言葉を,ナショナリズムやマッチョイズムに絡め取られずに語り直す試みだった.


 ——というわけで,『ワールド・クラスルーム』,おすすめです.この展覧会はこの展覧会でモヤモヤはあったけど,《運命と密会の約束》に限らず良い作品がいろいろあったので.

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