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  • あるいはとても贅沢な悩みへの応援コメント

     こんばんは。

     「満ち足り過ぎたことによる疲れ」というフレーズで思い出すのは、星新一のショートショートです。星新一はもちろんSF作家なわけですが、物質的に満ち足りた近未来の世界で、主人公たちが変わらない日常に退屈しているという描写がよく出てきます。三田誠広の『いちご同盟』は15歳の少年少女が主軸の話ですが、敷かれたレール(尾崎豊の歌う「支配」)に沿った人生を15年続けてきて、今後もそれがずっと続くのだろうということについての「疲れ」が見えます。こうした作家たちの作品は、福祉国家としての日本社会、つまり、(男性であれば)真っ当な青春を送れば真っ当な会社に入れる、終身雇用と年功序列によって安心安全の平穏な人生を送れるという感覚を前提にしているように思います。
     一億総中流と言われた時代にも経済格差はあったようですし、当然ながらホワイトカラーのサラリーマンではなく一次・二次産業で肉体労働に従事する男性もいれば、女手一つで家族を養わねばなかった女性たちもいました。そこに小泉政権で解禁された非正規雇用の増加や、終身雇用と年功序列の解体、近年の精神疾患・自然災害・感染症の脅威、老齢年金の崩壊などを考え合わせると、「健康で安定的な変わらない日常に退屈する」というのは、世間的にはぜいたくな悩みと言えるかもしれません。

     ただ、ゲーム的な感覚を「取っ払う」ために「諦める」、「自分が行える実に多くのことについて、その権限を放棄する」という道が挙げられているのを見て思ったのは、現代社会に生きる我々が情報や欲望に飲み込まれる生活を送っており、そのせいで受身な姿勢を強いられているのではないかということです。
     誰が悪いとは言いませんが、我々は追いかけきれない情報を追う必要性に駆られる中で、一つひとつの情報を味わったり、深掘りしたりする余裕を失いつつあるわけで、このとき、情報は個別の重みを失い、我々の意識を素通りしていくのではないかと思います。これはある意味、ゲーム的です。
     また、我々は日々の中で、自分のものかどうかよく分からない欲望を刺激され続けている状況であり、そもそも欲しいと思ったことがない商品さえ消費させられています。手塚治虫や藤子・F・不二雄のSFを読んだとき、タイムマシンや宇宙船はあっても携帯電話やSNSの類が出てこないのは、無ければ無いで別に困らず、「あんなこといいな、できたらいいな」の範疇にさえ入っていなかったからです。デバイスの大きさや通信速度、画質などの追求もそうです。そういう商品が生まれて、無かったはずの欲望を刺激されなければ、我々はそれを欲しなかったし、社会の中でそれが不可欠な存在になるはずもなかったでしょう。それなのに、満足できたはずのものに満足できなくなり、常に新しい商品を求めさせられている。これもまたゲーム的です。次々に提示されるステージやクエストを消費することに終始させられて、価値ある何かを自ら主体的に生み出すとか、何かに意味を見出すとかの営みから、疎外されているからです。
     このとき、我々の生活は主体性を失って受身になり、生きているという実感はぼやけ、自分の独自性・唯一性は揺らぎ、世界は手触りを失っていくでしょう。それが人生、この世界が遊戯(ゲーム)のように思えるという感覚に繋がっているのかもしれません。
     もしそうだとすると、そこから脱却する方法は……。一般論よりも、人それぞれ個別の文脈に合わせた向き合い方が重要になってくるかもしれませんね。

     長文失礼しました。
     的外れなことを言っていたら、すみません。

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。
     正確なご指摘だと思われます。

     最後に仰られた、一般論と各人の文脈に合わせた向き合い方。ここが非常に難儀するところですかね。
     語弊があるかもしれませんが、各人の文脈に逐一合わせるのはコスパが悪いでしょうから……

    「みんな違ってみんな良い。だから誰もが自由に振る舞えるように個性を重要視しよう!」と言いつつも、
     実際は「これが【君の個性】なんだよ」と売れ残ったセール品を押しつけられるかのような、ものすごい不気味な感じを受けるんですよね。
     正確に価値や優先順位を判断する前に次が来てしまう。囃し立てられるままに呑み込んでしまう。
     本文では「体験版をしているような」と形容しましたが、実際のところ、その体験版をしている間ですらどうにも集中できない。

     コメントを受けて再考しましたが、ひょっとしたら主体的に、真面目に向き合うことから逃げて、安全なガヤに回りたいだけなのかもしれません。
     ゲームと言ってしまえばつまらない現状を製作者のせいに出来ますからね。