第60話

「結局、君は死ねなかったんですね」

「いやな顔をして言うじゃないか、飯島君は」

「やめてくださいよ、僕は安心して喜んでいるんです」

「それが嫌な顔というんだ。……事実、僕は情けないのか誇らしいのかわからない気分なんだ」

「海の深くまでいったのに、恋人が溺れた途端に助けちゃうんですもんね」

「ああ、自作自演だよ」

「なぜ一緒に溺れてやらなかったんです?」

「溺れてやらなかったんじゃないよ、溺れられなかったんだ、秋子が溺れているのを見て、自然と身体が動いてたんだ」

「よっぽど秋子さんのことを愛してらしたんですね」

「そんなもんじゃないよ、これは。もっと挫折じみた話さ。僕はもう観念に生きることを諦めたね。いや、憧れて生きるのをやめたんだ、もっと地に足をつけて生きることにした。どだい、観念に生きるということはひとつの才能がいるんだ。それは突き詰めていけば観念のために死ねるのかという問いだね。僕はもうこれにノーと言ってしまった」

「まだ早すぎるかもしれませんよ、見限るのは」

「いやこれが最後なんだよ。ガキが大人になる最後の試験だったんだ。……ところで君も、僕とおなじ答えを辿ると思うけどね」

「……」

「君は愛なんかでは死ねないし、罪悪感でも死ねない、そうだろう?」

「……」

「ならもっと妙なことをせずにちゃんと生きるべきだね。大学を中退しようがなにしようがまだ時間はあるんだからさ」

「……それはつらいことですね。でも、そうかもしれない。いままで散々気持ちいい思いをしたんだから」

「まあ、僕らはあの姉妹とはちがったってことだね」

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