第21話
八月に差し掛かったころ、雪子は永い夢を見た。それはあまりにも途方もない夢で、延々とつづくトンネルの世界、いやトンネルの逆さの世界で、つまり光の中の道から一点の暗がりへ向けて歩き続けるような夢だった。
夢で、雪子は青年と暮らしていた。
彼女のふだん住んでいる場所とは似ても似つかぬ六畳間の安アパートに、ふたりは押し合って食べたり寝たりしている。畳の上にあるのは小さなちゃぶ台と、ふたりの本、あとは布団と銭湯に行くための洗面器だけである。それでも本がずいぶんと多く、三百冊は優に超えるから、狭苦しい。冬の日は、ひとつの敷布団にふたりぶんの布団をかけて眠る。青年はそのとき雪子のほうを向かない。それだから、雪子は背中を抱きしめて、彼の暖になる。
夢はストーリーがなかった。導入も、山も谷もなく、ただひたすらに雪子は青年と同居した。それ故に、夢は質量をもった。繰り返される和やかな食卓が、雪子にはっきりとした現実感覚を与えるのだった。
雪子は同居の、笑いあったり、静かに眠ったりすることの刹那々々に、青年が死ぬことを悟った。青年がどういう所以で、どういう死に方をするのか、それは知らない。しかしこの青年は、もしくは夫は、この逆トンネルの果てに、自分より先に亡くなってしまうのだろう。雪子は夢のなかで、この日々が鈍間にすすむことを願った。願うだけ願い、しかしそれでもふたりはトンネルのなかを進んだ。
雪子が目覚めたとき、妙な心地になった。それは別の世界に連れ去られ、また勝手にもどされたような感覚。雪子は夢の、ほとんどの瞬間をおぼろげにしか思い出せなかった。はっきりと掘り起こせる感覚といえば、青年の死の確信だけである。雪子は、いよいよ青年に会いたくてたまらない。
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