第20話

 雪子はハンカチを探した青年に、どうにも会いたくなって仕方のない日がつづいた。しかしその願いは雪子らしくなく、ただ「会いたい」という一点だけで、何故とかどうしてとか、そういう論理がなかった。雪子は直観的に青年を求める気持ちが高揚して、しかもその高揚というのが、前触れも連想もない衝動的なものだから、雪子の生活の精彩は曇ってばかりである。

 たとえば朝八時の満員電車にもまれ、車内のスーツ姿の男性が暑苦しそうに吊革につかまるときや、休日の、テレビをつけようとしたときリモコンのアナログを押してしまって、画面一面が砂嵐になったときに、雪子の頭はふいに青年のあらゆる姿が思い出され、それは洪水のようにとめどめもなく、彼女の視界を覆った。

 雪子は青年に意識を割かれたあと、いつも風景と彼を見比べ、つまり背景の隠れた象徴が彼女の思考に青年を想起させたのではないかと考えた。それは鍵と鍵穴をたしかめる作業に似ていたが、しかしもうタイミングを逃した雪子の頭では、そのふたつはどうも噛みあうところがなく、回りそうな気配もない。

 雪子はすぐに恋という単語を思い浮かべた。ただ彼女において、恋は理性の支配下にあった。雪子は無謀な恋をしない。相手の立場やルックスや知性を総合的に判断して、それから恋に落ちるという作業をする。雪子からすれば恋なんてものは自動車の設計に似ていて、可能な図面を描いてから、実際に制作し、ガソリンを流し込む。過去の唯一の恋人は、つくるまではよかったものの、すぐに設計外の故障をした。

 しかしこの気持ちはどうだろう。雪子はこの感情に恋と命名したくはなかった。頭でっかちな彼女は、これを恋と称するためには判断材料が乏しいと考えた。

『私、やはりあの子と会いたいわ。それはひとつにこの感情を解明するために、ひとつにただ会いたいために。でも、どうすればいいんだろう。A大ということしか私は知らない。アキに訊けばわかるかもしれないけれど、でも、アキが知ったら勉強の邪魔になるわ。やはり、A大の試験期間が終わって、それからゆっくり話そう』

 雪子はそう決めたつもりが、しかし彼女の内心はそれほど頑丈にできていなかった。

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