第8話

 秋子は彼女の恋人を愛している。それは自ら言い聞かせるようなものでなく、望めば自覚できるほどの愛だった。

 秋子は恋人の、ひとつひとつのパーツが大きく、浅黒い田舎風の顔を見るといまだ胸が高揚した。机にしがみつき、ノートに何かしら必死に書き込む横顔は、決して整ったものではないが、惚れ々々する。口をへの字に曲げ、筆圧に力を込めるところを見ると、秋子はその強張った頬をつつきたくなった。素朴な健気さ、日曜の朗らかな香りをまとった柴犬にある、野生じみた執着。それを垣間見ると秋子はどうしようもなく触れたくなった。火傷しそうなほど赤い額にてのひらをあてて、「熱いわね」なんて微笑みたい。

 秋子に言い寄った男は数知れない。そしてそのうちに付き合ったのは夏樹含めて三人だった。夏樹以外の二人は一か月も足らずに秋子のほうから別れを告げた。理由は彼らの目に映る情熱が、秋子と付き合った途端に冷めたからだった。花園へ連れていくといったラグビー部のフォワード、予備校がおなじだったT大志望の浪人生、秋子が惚れた彼らの情熱が、結局秋子への所有欲であるのを知るとげんなりした。

『どうしてみんなこうなんだろう。わたしの目が悪いのかしら。わたしの目には、男のひとたちが欲望の操り人形に見えるわ。ちがいといえば、糸が太いか細いかだけ。流行ものの軽々しい所有欲か、馬鹿みたいに狂った所有欲。それ以外のひとたちは別のことにちゃんと集中しているけれど、それもオタクじみた集中で、信念のあるものではないわ』

 秋子は高校の教室に入って見渡すたび、そんなことを思った。そして決まって彼女は姉をも想った。姉はやさしいが、どこか灼熱なものがある。秋子にはその正体が判然としないが、その存在を確信することはできた。雪子のひとりで物思いに沈むさまは、秋子が学校で見るような退屈な発作ではなく、より重大な自己への問いかけに見えた。

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