第3話

 こんどこそ割れるような拍手に見舞われて、秋子はたどたどしくお辞儀した。恋人の夏樹が締めの挨拶をして聴衆の老人たちにアンケートを配ったが、彼らはろくに記入もせず秋子のもとへ集まった。

「あの、とても、よかったです。……いろんなことを思い出しました。ほんとうに。たとえば、その、夫のこととか……夫は数年前に亡くなって……」

 真っ先に秋子に寄った老婆は、感動の消化より早く言葉にしようとするものだから、ふだんの饒舌とはかけ離れた、しどろもどろな感想しかいえなかった。老婆は伏し目がちで半世紀以上前の、初々しい少女の振る舞いをしている。

他の老人たちも秋子に色々と語った。演奏の良し悪しから曲のうんちくまで彼らは不器用に喋りすぎた。そして決まって喋り終えた老人たちは、口をぱくつかせて、何かまだ言えるのではないかと口内をさぐっていた。

秋子は始終微笑んで聞いた。頬にはひかえめなえくぼが浮かび、あざけた感じは一切ない。しまいにはホームでいちばんの長老が秋子に手を合わせて拝んだ。

「よかったじゃないか、大成功だ」

 住宅街のバス停で待っているあいだ、夏樹は二人のピアニストをしきりに褒めた。ボランティアサークルの代表でもあるこの学生は、何についても大成功と言って、皆の労をねぎらうが、その実中身がどうも空洞で、下手に銅像を並べているようでもある。

「ありがとう」

 と秋子の前に弾いた美玖がいった。美玖は熊本の下町の生れらしく、礼をいうのもあっけらかんとしていた。その清涼な言い方がよく人から好かれた。

「秋ちゃんもよかったよ。二曲目なんてとくに」

 夏樹は美玖だけ反応したのが不安で、わざわざ名指したが、秋子は「ええ」としか返さなかった。

 秋子はもう、親が離れた子の気持ちになっている。この姉離れのできない妹は、目の端であちこち見やっては、世間をゆるがす数々の極悪事件が頭に閃いてしまった。

「お姉さんならさっき、男のひとと出ていくのを見かけたわ」

 秋子の様子を察して美玖がいった。

「男のひと? 雪ちゃんは男のひとと来てたのかしら」

「さあ、どうだろうね。僕らは準備でバタバタしていたからあんまりわからないな」

 夏樹は、なんだか恋人が自分より姉をとった気がして、素っ気なくいった。

 バスが来た。秋子はまだ名残惜しそうに老人ホームのほうを向いていたが、夏樹に軽く背中を押され、しげしげと乗り込んだ。

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