第8話 走ってくる安西さん

 放課後、隣で安西あんざいさんが寝ているのを確認した俺は、すぐに教室を出た。明日からは待ちに待ったゴールデンウィーク。五日間も学校が休みなんて夢のような時間をできるだけ長く楽しみたい。


「まずは昨日買った新作を読むだろ、その次には積読を消化して、その次は――」


 下駄箱に向かいながら、やりたいことを思い浮かべ指折り数えていく。

 見てなかった映画も観に行きたいし、昔行ってたゲーセンにも――って、っん?

 指で数えきれなくなったのと同じタイミングで、ドタバタと誰かが走ってくる音が聞こえてきた。


「……なんだろう」


 そう思って後ろを確認してみたら、安西さんが息を切らしていた。


「えっとこれ!」


 見せてきたのは青いノート。俺が安西さんの鞄の中にこっそりと入れていた、定期考査対策用のノートだ。こんなに慌ててやって来たってことはもしかして。


「あのこのノート――」

「ごめん! 無粋な真似をした。人の鞄に物を入れるなんて嫌がらせにもほどがあるよな。ほんとこの通り!」


 廊下に他の生徒がいることも忘れ、俺は全力で頭を下げた。


「……え? どうしてそんなこというの?」

「……怒らないのか?」


 少しだけ顔を上げると、安西さんは怒っているそぶりもなく不思議そうに首をかしげていた。


「怒ったりなんかしないよ! そりゃあね、鞄の中に知らないノートが入っていたらあれだったけど――」


 やっぱりそうだよな。どんなにお節介な人だってこんなことは普通しない。


「そうだよな、ほんとにごめ――」

「でもこんなに、こんなにまとめられてるんだよ。そんな怒ったりなんて絶対ないから」


 安西さんが開いたノートには、先生からここが出ると言われていた箇所や、教科書で出そうなとこが細かく載っていた。さらにその箇所にも「POIT!」とと分かりやすく解説が書かれている。

 俺が何度も見返すために作ったものだ。


「もう一回聞くけど、君が入れてくれたんでしょ?」

「そうだよ。勉強する時間がないかもしれないって思ったから」

「ありがとう、また助けてもらっちゃったね」


 そう言って、安西さんはにっこりと笑った。

 やってよかったな。


 ――ねぇ、あの二人何やってるんだろ。

 ――痴話喧嘩でもしてるんじゃねぇの。

 ――眠り姫が起きてるところ初めて見た。


 そんな声が聞こえ、俺は周囲を確認した。


「ってヤバい。安西さん、ちょっと逃げるよ!」


 俺は安西さんの手を掴んで校門を出た。


「ここだったら大丈夫だよな」


 安西さんを連れてやって来たのは、通学に使っている駅。近くに誰もいないことを確認した俺は安西さんに声をかけた。


「安西さん、大丈夫?」

「……大丈夫」


 そう言ってはいるが息を切らして、膝に手を置いている。


「……あの場所だとあれだったよね」

「いや、こっちこそ」

「いや、こっちこそ」

「って、どっちでもいいよね」

 

 クスっと笑う安西さん。それにつられて、俺も笑っていた。

 それから俺と安西さんは何も話さずに、ゆっくりと駅のホームに向かった。


「私こっちだから」


 安西さんが指を差していたのは近鉄線。俺がいつも使っているのはJR。


「じゃあ、お別れだね」

「そうだね」

「じゃあ、またらいしゅ――」

 

 そう言って俺は駅の方へ歩いていこうとした。

 

「――あのさ、明日からって――」

「……?」


 安西さんが何か言いかけた気がする。明日からはゴールデンウィークだけど。


「――ごめん、やっぱり何でもない。また来週ね!」


 安西さんが改札の方に走っていく。俺は安西さんを見届けて、駅の方へ向かった。


「ほんとに何だったんだろう」


 ゴールデンウィークが明けた月曜日。安西さんは学校に来なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る