星屑と硝子

二晩占二

星屑と硝子

 雨のように、星屑が降っていた。

 細かな欠片がぼくの腕に落ちて、音もなく砕ける。なんの感触も、なんの音もない。ひとつの個体の終わり方としては、あまりにあっけなく、星屑は散っていく。色も形も残さず、地面の上に降り積もる。そうなると、もはや元が星屑だったのか砂ぼこりだったのかすら見分けがつかなかった。


「また降ってきたね」


 彼女の美しい音色が、響いた。

 真空を氷柱つららで叩いたような、澄んだ音だった。

 彼女は喋らない。硝子ガラスだから。この星の原住民族たちはみんな、硝子ガラスでできている。全身が透明な流線型。美しい民族だ。

 彼女は喋らない。ただ、響きを言葉に寄せることができた。それでなんとなく、会話ができる。


 ぼくは何百世代目かわからない地球人の末裔だ。曾祖父ちゃんの頃に壊れかけの地球を抜け出して、この星に住み着いたらしい。なのにまた、ぼくらの住む星は壊れかけている。星屑の雨は終末の証だった。


 ぼくは何百世代目かわからない地球人の末裔だ。なのに、喋れない。響くことすらできない。環境が変わって発声発語器官が退化した、わけではない。声帯は生きている。舌も自在に動かせる。

 ただ、単に、言葉が浮かばないだけだ。


 今日は彼女たち一家の出発日。

 宇宙船に乗って、遠い星へと旅立っていく。壊れかけの星を捨てて、新たな家に引っ越していく。

 つまり、お別れの日、だ。


 周囲の惑星はすでに風化して、砕けて、あちこちに降り注いでいる。それが、星屑の雨の正体。

 少し、雨脚が強まってきた気がする。

 役目を終えた星々の欠片が、ぱらぱらと舞い落ちる。


「ね、持ってきてくれた?」


 再び彼女が響いた。

 ぼくは返事もせず、うなずきもせず、ポケットに手を入れる。四角い、古ぼけた物体を取り出して、彼女の手のひらに乗せた。透き通った彼女の手と同じサイズの黒い箱。


「すごい、これがカメラなのね」


 彼女は色々な角度に箱を動かして、眺めた。

 思い出を、形に、残したい。

 そんな彼女の願いを聞いたとき、ぼくはこのカメラのことを思い出した。隕石の事故で死んだ、父の形見だった。父は骨董品コレクターで、暇を見てはデブリの山から地球時代の珍品を発掘していた。

 カメラは、父の自慢の逸品だった。


「どうやって使うの?」


 ぼくは彼女の手からカメラを受け取り、記憶を掘り起こした。裏面に仕込まれたプラスチックの歯車を回す。1回、2回。「巻き上げ」という作業らしい。歯車を回すたび、ぎりぎりと音が鳴った。

 星の終わりが近づくにつれて、通信設備も電力も静かに引退していった。かつては一言命じるだけで撮影された写真は、今やレアな骨董品に頼らなければ撮ることもできない。

 大粒の星屑が肩に当たって、音もなくぜた。


 アナログな巻き上げ作業が完了し、ぼくは彼女のすぐそばに寄った。

 彼女の腕に、ぼくの手の甲が触れた。りん、と小さな音が鳴る。つめたくて優しい感触だった。耳のふちが熱くなるのを感じた。

 心臓の音が聴こえる。彼女に心臓はない。だからこれは、ぼくの音だ。

 左手でカメラを内に向け、腕を伸ばす。ふたりの姿が入るように、画角を調整する。お互いに、立ち位置を微調整していく。


「撮るよ」


 ようやくぼくは言葉を発して、その直後にシャッターボタンを押した。かろうじて、涙は眼球の裏側に留めた。


「終わり?」

「うん」

「これで撮れたの?」

「うん、撮れたよ」

「それで、どうするの? どうやったら見れるの。写真」


 彼女は急かすように、魚の寝息のような音で響く。

 ぼくはカメラをいじる。ぱきっと音がして、フィルムが飛び出た。手のひらで受け取る。黒い、筒状の記録媒体。飛び出た勢いで、フィルムは、ぼくの生命線の上を転がった。


「これを、現像すればいいはずなんだけど」

「現像? それってどうやるの?」


 食い気味の彼女の響きに、ぼくは首を振るしかなかった。

 現像方法までは、教わっていない。そもそも実物質の写真なんて、見たこともない。完成形がまるで検討もつかない。

 残念な色合いに染まる彼女の表情に耐えきれず、ぼくはフィルムのベロを引っ張り出した。遠い恒星の灯りに、透かしてみる。最初の1枚に、ぼくらの姿がうっすらと映っていた。


「ほら、ここ」

「見せて」


 彼女が顔を寄せてきた。

 冷たく、美しい透明が、ぼくの頬に触れる。


「ねえ、貸して」


 彼女はぼくの手からそっとフィルムを奪うと、自分の胸に押し当てた。透明な胸。透明な手。フィルムの黒い輪郭が、宙に浮いて見えた。

 何秒も、何十秒も、押し当てていた。彼女の肩や頭に、星屑が積もって、すぐに落ちる。なめらかな曲線を滑り落ちて、地面の上で砂と交じる。


「見て。どうかな」


 十分に押し当てたあと、彼女はフィルムを胸から離した。

 彼女の透明な肌の下に、ぼくらの写真が映り込んでいた。小さくて、不鮮明な写真。でもその小窓みたいな枠の中には、はにかんだ表情を浮かべる彼女とぼくがいた。確かに、写真だった。


「ばっちりじゃん」

 ぼくは強がって笑う。

「ばっちりでしょ」

 彼女は響く。


 透明な硝子ガラスに映された写真は消えることも薄まることもなく、永遠に留まりつづけてくれるように見えた。


「こっちにも写せるかな」


 ぼくはおどけて、自分の胸を指した。

 肉と骨と血でできたぼくの体は、ちっとも透明ではない。


「いいね、やってみよ」


 彼女は真面目に受け取って、響いた。

 フィルムをぴん、と張ったまま、ぼくに近づいてくる。

 ぼくも真面目に受け取ることにした。シャツの前をはだける。地球人の皮膚。彼女が近寄る。ぼくの素肌に、フィルムを押し当てる。

 すぐそばに、彼女の顔があった。

 抱きしめたくなった。やはり、勇気が出なかった。


「駄目みたい」


 彼女がぼくの肌からフィルムをはがした。

 何の痕跡ものこらず、ぼくの薄橙うすだいだい色だけが、そこに在りつづけていた。



 不意に、美しい鐘の音が響いた。

 深海で歌う泡沫のコーラスみたいに、魅惑的な音色。ぼくらは振り返り、そして別れを覚悟した。


 彼女の父の声だった。

 前世代の硝子ガラス原住民たちは、まだ言葉に似せて響かせることができない。家族を呼ぶとき、彼らはメロディを奏でる。


 船出を報せる、呼び声だった。

 彼女は行ってしまう。

 終わりゆくこの星を出て、遠く、手の届かないところへ、行ってしまう。


「じゃあね」


 彼女が響いた。


「じゃあね」


 ぼくは言った。


 それきり、彼女は一言も響かず、一度も振り返らず、まっすぐに港のほうへ去っていった。

 彼女の背が見えなくなって、ようやく、ぼくは涙を流した。


 胸の一部が温かかった。そこに両手を当てて、泣きつづけた。

 彼女がフィルムを押し付けた場所だった。色も形も、投影されていないけれど、そこに二人の思い出が残っているように感じた。



 遠くで、船の出る音がした。




<了>

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星屑と硝子 二晩占二 @niban_senji

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