ドン亀 帝国海軍呂号潜水艦奮戦記 

ひぐらし なく

第1話 出撃

「出港用意」

 磯垣忍大尉は呂号第三十二潜水艦長としてはじめての実戦を迎える。

 行き先はパラオだ、第四艦隊に転籍の上は哨戒及び輸送船攻撃任務に就くことになる。


 ただパラオまで直行するわけではなく、補給を受けたのち慣熟、哨戒を兼ねていったん南に下がるという航海計画を、四艦隊には伝え、承認を得ている。

 伊号第十一号潜水艦の航海長から艦長として着任して三か月、実戦に向けて日本海で訓練を重ねてきた。


 昭和十七年年七月、五月のドーリットル中佐率いるB25による空襲、六月のミッドウェー海戦等、戦局は徐々にひっ迫しては来たが、本土はまだまだ平和である。

 北吸岸壁には舞鶴鎮守府のお歴々が総出で見送りをしてくれるらしい。

「手空き乗組員は登舷礼配置」


 磯垣が指揮する呂号潜水艦は、水中排水量千トン弱の小型艦である。その図体に比べいかにも派手な見送りだと、磯垣は恐縮しきりだ。

 艦橋上で敬礼をしながらも、少しでも早く岸壁から遠ざかることを願っていた。


「出港用意もとい、登舷礼配置もとい、引き続き狭水道航行配置」

 舞鶴防備隊沖を通過したところでやっと登舷礼を解いた。軍艦のみならず漁船までもが手を振ってくれていた。

 舞鶴港は若狭湾の最奥部、軍港として申し分のない地形になっている、博奕岬をかわすまで約十海里。両側には陸軍の砲台が並ぶ。


「速力原速、針路ふた、なな、まる」

「艦長どうしますか、潜航しますか」


「基本は浮上航行で行こう、しばらく本土は見納めだ。見張りは怠らずにな」

 目的地までは、巡航速度で五日弱、できることなら潜航せずに行きたい。

 敵艦隊はいないはずだが、それこそ潜水艦がいる可能性はあった。


 豊後水道から太平洋へ、順調な航海が続いた。

 三か月前まで乗艦していた伊号潜水艦は、艦隊決戦を任務としていたこともあって、駆逐艦のみならず巡洋艦、空母を追って行動していた。逆にいえば、常に敵からの攻撃にもさらされるということだった。


 そのときの緊張感から言えば、天と地ほどの落差がある。

「潜望鏡発見」

 弛緩しきっていた神経が一気に緊張した。


「急速潜航」

 相手が潜水艦の場合、浮上してしているよりは潜った方が安全だ。

 敵を探知できたとしても、魚雷を命中させることはおそらくできない。それはお互い様だ、たった十本しかない貴重な魚雷を無駄に使うことはない。


「機関停止、ソナー、敵は」

「感ありません、おそらく向こうも機関を停止しているかと」

 我慢比べということか、しかしほんの数十秒で潜航するとは、この艦のクルーは優秀らしい、後はどれくらい我慢強いかだな。磯垣はこの航海で時間のクルーの技量を確認するつもりだった。


 それはもちろん、自分自身もクルーから見られているということだ。潜水艦は運命共同体なのだ、指揮官が無能ならば生存率は格段に落ちる。

 今回も神が与えた試験問題かもしれない。


 すこし挑発してみるか。

「前進微速」

「潜望鏡深度」

「潜望鏡上げ」

 周囲は海しかない、上空にも敵機は影はなかった。


「メインタンクブロー」

「ソナー、感あるか」

「ありません」

「見間違いですかね」

 航海長が言う。


「かもしれん、ま、よくあることだ。それよりも一連の行動を確認できたから良しとせねば。退屈すぎて、ボケかけてたからな」

 艦内の空気が和らいだ。こんなことで厳しく部下を叱責する者もいるらしい、磯垣はあまり好きではない、怒声では人は動かせないと信じていた。

「パラオまではもうしばらくかかる。今のうちに英気を養っておけ、交代で喫煙許可」


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