あじさいは今日も

高柳孝吉

あじさいは今日も

 相談支援事業所あじさいは今日も必要とする人達で賑わっている。必要とする人とされる人。スタッフとメンバーさんが混在する中で、それぞれがそれぞれの生きて来た過去と生きている現在を通して錯綜する想いと、そして少なからずの笑い合う中で。

 そんな中、メンバーである俺は今日もあじさいだか咲いているアカシアを眺めて何憂う事無く忘却に溺れる…。


 三十年前。まだあじさいが聖赤十字医院精神科としてのみ機能していた頃、誤薬による死亡事故があった。警察が入り、故意による殺人事件の線でも洗い流しが行われたが、結局当日勤務していた看護師、医師、それぞれからの聴取で何ら得られるところ無く事件性は謎に秘められたまま捜査は打ち切られた。亡くなった患者の遺族からも特に申し立ても無く葬儀から二ヶ月か経った頃、当日勤務していた看護師の一人だった女が自ら命を断った。当時新聞、マスコミ各社が騒ぎ立てその看護師が犯人の殺人事件だったのではないか、病院の管理体制はずさんではなかったか、警察、病院側の対応に手落ちは無かったか等指摘されテレビを点ければその話題で持ち切りだったが、ひと月、またひと月と時が経つにつれ世間の目は別のタレントの浮気のゴシップへと移って行きやがて事件は完全に忘れ去られて行った。結局何も解決していないのに。誰も救われて無いのに。


 相談支援事業所あじさいは今日も人で賑わっている。必要とする人とされる人。それぞれの人生と生きて来た過去を通して生きている現在で交錯し合っている。介護の仕事をしている現在たまに通所するあじさいで、あじさいなのに咲いているアカシアをぼーっと眺めて息抜きをしていると感じるひとときの平穏と束の間の幸せの中、遠い国では戦争が起きているなんて信じられないような静寂の中、ふと二人の人の笑う声が聞こえて来た。幻聴?ーー馬鹿な。皆からはよく聞く話だが、俺にはその症状は無い。もう一度耳を澄ましてみる。二度とその笑う声は聞こえる事は無かったが、断言して言える。その声は、幻聴でも他の利用者でも無かった、と。何かの幽霊?ーー馬鹿な。俺はスタッフに肩を叩かれて今日から始まる新しいプログラムの時間だと告げられてホールに向かおうとして、もう一度声のした方を振り返った。何か二人の気配に見守られたような気がして。そして、どうしました?大丈夫?の声掛けに笑顔で返し、ええ、大丈夫です。なんでも無いんです、なんでも…。ーーでもね、不思議なんです。そこに二人の人がいたような気がして…。そこまで言って、そんな事言ってたら具合でも悪いんかい、って言われそう、と自ら突っ込んでスタッフと笑い合い今日から始まる新しいプログラムに参加する為にホールへ向かって歩いて行った。

 

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あじさいは今日も 高柳孝吉 @1968125takeshi

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