第37話 小田原城址公園

 うなぎを食べて、元気を取り戻した綾は日没の時間までまだ余裕があるので早速、小田原城址公園を散策し始めた。うなぎ屋である松琴楼は三の丸北口にあたる「幸田口門(こうだぐちもん)」にあり、土塁や外堀の石垣の一部が残っているのがわかる。南進すると堀の周りは桜が植えて有って、時期が時期ならいい花見が出来そうである。


 小田原城は前述したとおり、城址としての規模は関東最大で、本来の小田原城は小田原市街全域を城とする広大な城であり、中世の城跡も残りつつ、近代の城址も残っている。という極めて稀な存在なのだが、令和の今でも情報発信が下手なのかいまいち話題にはなっていない。


 歩いている感じだと、城址公園は城跡をメインとして魅せている感じにはなっていなく、学校が建っちゃったり、遊園地もあるようだ。


 本丸に入ると、天守閣は存在しているがこれは1960年に再建したコンクリート造りで展望台としての機能が優先されているようで、ちょっと風情が無いのがよくないのかもしれない。天守閣直下までくると親子連れが多く、先ほども書いた通り、遊園地も併設されておりエンターテイメント施設感が強い感じ。おかっぱ頭の女の子や、青っ洟を垂れた子供もいる。何より一人っ子っぽい家族はいなく子供を数人連れ歩く母親がはぐれる子供を叱ったり、見ず知らずそうな大人が子供をあやしてる姿も見られる。周囲を見渡すと子供の多さはやはり今とは比べ物にならないくらい多い。やはり昭和なんだな。と改めて感じる。


 天守閣はまだ出来たばかりで違和感があるのだが、再建される前は天守に観覧車が設置されていたそうで、元々は小田原こども博覧会という市制10周年事業が昭和25年に行われたので遊園地としての色合いが強かったようだ。勿論、遊園地だけではなく動物園も併設されているのでまさに子供のために投資された場所だ。


 令和の今でも豆汽車などの遊園地施設、動物園も縮小はされているが営業はされているので昭和感がいまだに残ってくれてるスポットの一つと言えるだろう。


 人混みを小田原で初めて味わった綾はこの時代の人、殊に子供たちは今令和ではもう還暦をとっくに過ぎた世代であることを考えるとちょっと不思議な気分になりながら、城址公園を後にしていよいよ箱根に向かう。

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