考える人の末路

紅野素良

なぜ人は生きるのか


『なぜ人は生きるのか』




 朝、自転車を漕ぐとき、あるいは眠たい国語の授業のとき、ありきたりだが夜中寝れないときなど、ふとしたときに考えてしまう。


 その問いに答えが出ないことは言うまでもない。



 そんな、人類誰もが考えるような在り来りなことを考えてしまい、気分が落ち込んだときやちょっと疲れたときなどは、こうして高いとこから下を見下ろすのが日課になっている。


 これはただのおまじないみたいなものだ。


「煙と馬鹿は高いところが好き」というが、言い得て妙だ。



 かくいう僕は虐められていたり、友だちが居ないわけではない。

 人並み程度の友だちはいるし、それなりの生活を送っている、思春期真っ盛りの、普通の男子高校生だ。


 でも、もし、もしいきなりデスゲームかなんかが始まって「今から信頼できる友達とペアをつくってください」なんて言われたらたぶん僕は余るだろう。その程度だ。


 こういうことを考えていると自分がちっぽけな人間に思えて仕方ない。


 今日も無性に疲れてここまで来たわけだが、ほんとうに煙みたいだと自分でも思う。ダイオキシンなんかじゃなくただの水蒸気だ。


 何かで読んだが「煙のようにこの世を去る」みたいな表現をしていた人がいたが、今、ネットが流通した現代社会で死に様が見つかろうものなら、永遠と残り続けるスナッフフィルム的な何かになるのがオチだ。


 だからこそ、ここから落ちることはできない。



 本は素敵だ。死ぬことが綺麗に書かれる。死に方によっては憧れるような死に様もある。けれども、死んでいった彼らにはドラマがある。だからこそ美しい。



 空虚な人生を送っている僕が疲れたなんてぬかすのはちゃんちゃらおかしい。


 もちろん僕もわかっている。今日を生きたかった人がいることを。明日を望んで死んでいく人がいることを。


 今日が月曜日だからか。こんなネガティブな思考になるのは。


 そうだ。明日は火曜日、好きなマンガの最新作が発売される日だ。


 だからとりあえず、それを読み切るまでは生きているとしよう。


 そうして僕は家路に着くのであった。



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