第32話 記憶
記憶
記憶は人の人生を語る上では欠かせないものだ。
それがきれいなもので楽しくて光輝くものであれば尚更だ。
でも、俺みたいに泥まみれで、汚らわしくて、忌々しい人生を過ごしてきた人間はどのように思えばいい。
振り返るたび、思い出すたびに心が痛い。胸が締め付けられるように痛む。
考えたくもない。回顧さえしたくないというのにふと頭の中によぎってしまう。
最悪だ。それを思い出した日は丸一日・・・・・・いや二日三日は容易につぶれる。
嫌な記憶。最悪な記憶。惨めな記憶。屈辱的な記憶。
でも、そんな俺にもちゃんと輝いていた記憶もあるんだ。
本当にわずかだけど、一握りの輝きだけど。広大な沼に咲く、一凛の蓮の花のように地味だけどすごく目立つものが。
俺はその花を守るために、俺自身の居場所を守るために、未来に縋るのだ。
「何やったんだ!グズグズしてないで運べよッ!」
「はい!」
日が照るグラウンド。聞こえてくるのはバットがボールを打つときに奏でる金属音。
俺はそれがとても耳障りであった。
そしてそれ以上に憎かった。
なんで俺がこんなことを、本当はこんなことにはならなかったのに・・・・・・!
飛月未来は神童である。そう言われたのは昔のお話。
俺の家は元々シングルマザーの家系で母の手一つで育て上げられた。
周りからはいい目では見られなかった。
そのせいで世間では結婚というものを絶対的な愛の下で行われるものだという暗黙の了解のようなものがあるのかと俺は幼いころから思っていた。
父親は飲酒が原因で人を撥ねて死亡させた挙句、家に借金を残したまま警察から逃げるように自殺を図った。
家族とはいえ、結婚したとはいえど他人は所詮他人。
なのに、その人間の所業の責任を他人が負うというのは如何なものだろうか。
それも愛を誓った結果なのだろうか。
俺の幼いころの記憶は、俺の前では取り繕ったような明るい笑顔を見せているが、どこか闇を感じる母の表情がたくさんある。
しかし、愛も愛する対象がいなければ意味をなさない。
自己愛というものもあるが、あれはただのまがい物の間と俺は思っている。
自己を愛したところで現実の在り方というものは何も変わってこない。俺はそう思っている。
だから、俺は俺が嫌いだ。昔からずっと。
結婚して俺さえ生まれてこなければ、母と父の二人の愛の結晶である俺さえいなければ母はこの現実から逃げることで来たのかもしれないと思うと、俺は自分の存在さえも否定したくなる。
だけど、そんな自分にも誇れるものがあった。
それは野球であった。
母が人との交流を増やすためにと、小学校に上がってからすぐにただでさえ少ない金銭を崩し俺に習い事をさせてくれたのだ。
俺は地元から少し離れた軟式野球チームに所属することになった。
何故少し遠いのかというと、家の近くでの俺の家の噂はいいものではないから。
母は俺が余計な事を言われたりしないようにと俺に配慮してくれたのだ。土日は車でグラウンドまで送り迎えしてくれた。
平日は生活費を稼ぐために一生懸命夜遅くまで働いてる中、疲れているのに朝から弁当も作ってくれた。
俺は期待に応えたいと思った。
まあ期待なんてものは今思えば、勝手に俺が作り出して勝手に抱いていた空想なのだが。
その甲斐もあって俺はその地域ではかなりの活躍をすることができた。
バットを振れば基本当たるし、ほとんどが長打となる。
守備の練習は一人でするには厳しいものがあり、あまりうまくはなれなかったがそれでも平均的な守備よりもうまくできていたと思う。
母は試合の日は必ず応援に来てくれた。
俺が打つたびに大喜びもしてくれた。それがとても嬉しかった。
誰かが俺の活躍を見て喜んでくれている。
そんな中、俺の中に一つ夢ができた。プロ野球選手という大それた夢である。
俺は無我夢中で練習をした。平日は家の近くの河原で毎日数百回もの振りをした。
手が血だらけになっても振り続けた。土台となる下半身を鍛えるために川の近くの土手をたくさん走った。
安定した足腰はスポーツにおいて万能な効果を見せてくれると知ったときからはスクワットもたくさんやることにした。
素振りを50回終えるたびにスクワットも50回。それを十数回繰り返す。
それが終わったら、3~6キロほどの長距離ランニング。
それを学校から帰ってきたらすぐにやることにした。
同級生たちは友達を作ってたくさん遊んでいた。
俺には一人もいなかった。正直言うと、とっても寂しかった。
誰かに喜んでほしい。だけど人がいなければ喜びは共有できない。
そこの点において愛と喜びというものは原理的に同じものなのかな、なんて思ってみたこともあった。
それでも俺は続けた。勉強だっておろそかにはしない。
小学校は成績をあまり意識しないから、母にはある程度でいいとも言われていたが、そんなことはないと俺は勝手に決めつけ、勉強に励み、成績表では高い評価をもらっていた。
ただただ母に喜んでほしくて、俺のことを看た人たちが喜んでる姿を見たくて俺は一生懸命だった。
だが、そんな無理は人間の体では必ず限界が来るものである。
歯車が狂い始めたのは小学校5年生の冬頃からだった。
膝の感覚がおかしい。歩くたびにがくがくと外れた感じがする。
まともに走れない。素振りができない。
俺の様子を見た母が仕事を午後からにしてもらい、病院に連れて行ってくれた。
結果的に俺の膝は『ジャンパー膝』というものになってしまっていたようだ。
太ももの筋肉が固くなり、その結果成長過程にある膝の骨にダメージが入った結果、軟骨が剥がれそれが神経に触る結果、痛みが生じる・・・・・・とかだったかな。
だけど、そんなものでは俺は折れない。
俺は膝のサポーターを母に買ってもらい、ストレッチを一日のスケジュールに導入しつつ練習のメニューを維持することにした。
そうでもしないと、不安なのだ。俺が誰かを喜ばせられなくなる。
今思えば、それはきっと俺の存在証明だったのだろう。
自己顕示欲とは似て非なるもの。誰かに自分を刻むことによって自己の在り方を証明する。
恥ずかしい限りだが、実際昔はそうであったのだ。
そして、怪我をしたままだったが、俺は県代表に選ばれ大きな活躍を残した。
その後、俺の活躍を見た人からスカウトを受けた。
硬式野球のスカウトである。
軟式野球はやわらかめのボールを使って行う野球だが、硬式野球はうって変わるものだ。
ゴロのバウンドはあまり跳ねず、バットも芯でボールを捉えないとろくに飛んでも行かない。
だけど、プロの選手を目指すうえでは通らなければならない道。
基本的に学校での野球の部活は軟式が中学校までで高校から硬式になる。
早めに慣れておいて損はないな。俺はそう思ってそのスカウトに承諾することにした。
その結果は無惨なものだった。
かつての輝かんばかりの活躍は見る影もなくなり、俺は心身共々ボロボロになった。
変化球の導入、硬式の恐ろしいほどの固さ。俺はだんだん怖くなっていってしまった。
バットはスイングしても当たらず、ノックのボールは取れるかどうかの境目。
硬式野球は全体的にレベルが高く、打てて当たり前、取れて当たり前、バッターを打ち取って当たり前と監督が何度も俺たちに言っていた。
そのチームの監督、指導者もいわば『昔の人』であり体罰上等。気に食わないことがあれば容赦なく殴ってくるし、硬式ボールを子どもに投げつけてくる人だった。
機嫌のいい時だけはすこぶる調子よく振る舞い、子どもたちにいろいろとおごったりもしていたが、その変貌ぶりに俺は恐怖した。
大人が怖い。俺はだんだんそう思い始めてきていた。
チームの他の子どもたちは硬式にもついていく音ができたようで目覚ましい活躍をしていた。
一方俺は何も残せなかった。
練習では怒号を浴び、殴られ、走らされた。
だけど、諦めなかった。諦めたくなかった。
もはや喜んでほしいなんて目的を忘れ、ただただ自分の中にあるわだかまりを無くすためだけにバットを振り続けた。
だが、身体はまだ中学生の成長期の真っ只中。昔から積み上げてきた積み木が今になって崩れ始めたのだ。
膝は両方とも『オスグット』になり、脛は疲労骨折を起こし、打てないからピッチャーに成れということで土日祝日、試合のない日はブルペンでストライクが150回入るまで投げさせられ、肩を壊し、腰を痛めた。
練習にはまともに参加することもできず、母の心配も振り切り、練習に参加したが、怪我がばれ、また殴られた。
そこからはずっと雑用。
グラウンドを一人で整備し、一人でものを運び、土を運んだ。
土日祝日は俺にとって奴隷の日であった。
なんでやめなかったか?意固地になっていたのさ。
それ以外に生きる道がないと、視野を狭くしてずっとやってきたんだよ。
それ以外の生きる方法を知らない。
それが仇となっていった。
中学に上がってから、学校では全く人と話すことができず、虐めの対象になった。
消しゴムを投げつけられたりという地味なものから、水をかけられたり、物を壊した責任を押し付けられたりと散々であった。
最終的には、俺の家のことが周りにばれてしまい、殺人鬼の子どもだと周りから蔑まれ、虐めどころか、誰も俺に近寄らなくなった。
俺の名前を知っている人はほとんどいない。名前より先に殺人鬼の子どもというレッテルの方が先にみんなの頭の中に浮かび上がってくるからだ。
教師も虐められていたころから何もしてくれなかった。それを黙認していたまである。しかし、殺人鬼の子どもだということが周知になってからは態度が一変、まるで悪を裁くかのように俺の伸び悩む成績について放課後に呼び出して罵詈雑言を浴びせる教師も少なくなかった。
そして、それは野球のチームにもその話が広がった。
原因は俺の上級生に俺と同じ学校に通いながら、俺と同じチームに所属している人がいたからであった。
コーチ陣や監督はもう俺に命令しかしてこなかった。
ある日、監督に呼ばれ放されたことがあった。
『チームを辞めるか、マネージャーになってこのチームのために尽くせ』
省力しているが、そんな感じの内容だった。
自分の可能性を諦め、チームのために生きる奴隷に成れと言われたようなものだった。
俺は撤収作業が終わり、帰って、暗闇の中の土手を走りながら泣いた。
もう限界だった。
大人は怖い。恐ろしい。
やめてもいいかなとも思った。だけど、まるで逃げているみたいで情けなかった。
それにここまで俺のことを信じて続けさせてくれた母に申し訳がなかった。
だけど次第に大好きだった母のことも恐ろしくなり、話すことが少なくなってしまった。
(俺は一人だ。孤独だ。もう消えてしまいたい、死んでしまいたい)
言語化すると単純な思考かもしれないが、言語化というものはあくまで自分の感情を相手にわかりやすく伝えるために、心を言葉まで堕とすものであるが、実際はこんな単純なものではなかった。もう心の中がグジャグジャになってしまったのだ。
その気持ちや思考が始まったのは中学一年の秋ごろからだっただろうか。
毎日のように自分が死ぬ夢を見ては朝に自分が目覚めてしまったことを悔いる毎日が続いた。
それが一年以上続いた中学2年の三学期。
学校のテストの結果が悲惨なものになっていた。
ろくに進学することすら怪しいほどの成績だった。
もう高校で野球するのは絶望的。野球でも勉強でも良い成績を収めて推薦をもらわなければ高校に行くのさえ絶望的だ。
自由に高校にも行けない世の中になってしまっているから、こればっかりは仕方ない。
勉強だって皆においていかれないように、推薦をもらえるように頑張ってきた。
だけど、何をどう頑張れば皆のような成績を取れるのか俺にはわからなかった。
いや、それ以上に精神が疲弊しきっていてもう考える余裕などなかった。
そんな中、もう俺は限界を迎えることとなる。
(あ、死のう)
突発的な感情。しかし、そう思い実行するに足る経緯であった。
俺は父と同じ自殺を図ることにした。
まさか同じ道を歩むことになろうとは、思っても見なかった。
学校の屋上は確か鍵がかかっている。
ならば誰もいなくなった教室から飛び降りて誰にも見届けられることなく死んでやろう。
俺はそう思い授業終わりの夕日がさす教室の中、窓を開けて庇に出た。
さあ、コンクリートで固められたその柵さえ乗り越えて地面に向けて飛び込めばすべてが終わる。俺は実行した瞬間、この生き地獄からおさらばできる。
・・・・・・だけど、見積もりが甘かった。
「そこで何してるの?危なくない?」
人が教室の中にいたのだ。
後ろから聞こえてきたのは女子の声。それもこの学校ではかなり有名な人の声。
俺が何故知っているかだって?いくら人と話さないとはいえ、その人は男子の界隈ではとても有名であるからだ。
理由は可愛いからだ。中学男子の女子の話題なんてそんなもので埋め尽くされている。
休み時間とかではその人の名前は男子の口から絶対に出てくるレベルでその人はみんなからチヤホヤされている。
女子からは疎まれている部類だが、彼女と仲のいい人も少なからずいるらしい。
俺は後ろを振り返った。
その声の主はやはり俺の想像した通りの人物であった。
園田咲さんだ。
園田さんは俺の表情を見るや否や眉間に力を入れたような表情をする。
自分が話しかけた人が殺人鬼の子どもだったからだろうか。
それとも、これから自殺を図ろうとする人間の表情は相当恐ろしいものだったのか。
俺はその場でそれら二つの思考が脳裏をよぎった。
まあどちらでもいい。とりあえず、庇から出て何事もなかったかのように教室に戻ろう。
・・・・・・またあの日々に戻るのか。
とにかく億劫だった。足が重たい。
庇から出たくない。今すぐ飛び降りてしまいたい。
この周りからチヤホヤされているこの子に、人の死を刻み込むのも悪くないかもしれない。
俺はもう正気ではなかったのだ。
きっと教室に戻っても、明日登校すれば園田さんが噂を広げて、俺は教師からとんでもなく怒られるだろう。
ならば、いっその事飛び降りてやろうとまた外へ振り向き、手を柵に置く。
しかし、後ろから足音が聞こえてくる。それも走っているかのように速い足音。
園田さんが庇に走ってきていたのだ。
「ねえ、あんた。飛月未来でしょ?」
俺の名前を知っている!?いくら同じクラスだからってもはや空気のようになっていた俺のことを認識しているのか!?
俺を見つめる視線は他の子どもたちのような侮蔑の目つきをしていない。
シンと冷たくなった俺の心を見通しているようだと思わせるほど真っすぐな目。
普段そんな目で俺は見られたらきっと真っすぐさに嫉妬し、目を背けていただろう。
だけど今はそんなことを気にできるほど余裕がなかった。
「あ~あ。完全にイカれてる目つきしてるね」
当たり前である。自ら命を落とそうとしている人間がイカれてないわけがない。
「・・・・・・何も言わないか」
・・・・・・いったいなにが言いたいんだこの人は?
一体、何の目的で俺のいる庇に走ってきたのか?
「ねえ、未来君。私と少し話さない?」
「・・・・・・え!?」
衝撃的な一言だった。
中学生活の二年間、ろくに学校の人と話してこなかったから急に話そうなんて言われて驚いてしまった。
「プフフ、驚いた?時間あるでしょ?ほらこんな危ないところにいないでさっさと教室に入ろう!」
そういった彼女の表情はどこまでも無垢な笑顔で。その金色の髪は夕日に照らされて眩しいほどの輝きを放っていた。
「あーあびっくりしちゃった。宿題持って帰るの忘れて急いで取りに来たら人が庇に人がいるんだもん。あ、ちょっと待ってね。待ってくれてる友達に連絡しておかないと」
事態が急展開過ぎる。死のうと思った人間を前に平然としている学年一可愛い子。
その子は自分の机の上に座り、俺はその子の近くに立つ。
「本当に何が目的なんだ?」
俺は久々に学校で人を相手に口を開いた気がする。
どうしゃべっていいのかも忘れ始めていたが、とりあえず心にあることを口に出してみた。
「初めて声聞いた気がする。結構響きのある声なんだね」
「・・・・・・一応野球やってるからな」
「マジ!?本当!?でも部活には入ってないよね?」
「外部の硬式野球だ」
「はぇーすっご」
園田さんは関心したような声を出す。
まあ中学生なら大多数が部活に入り、外部のクラブに所属することはないから珍しかったのだろう。
・・・・・・
しばらく教室に沈黙が走った。
「目的か・・・・・・ただただ気になっただけだよ。そこで何していたのかって」
なんだ、そんなことか。なら話は速い。さっさと理由を言って家に帰って素振りしよう。
「死のうと思った。ただそれだけの事」
「・・・・・・そっか。どうりでさっきの目つきをね」
彼女は一瞬だけ驚いたように目を開いたが、すぐに納得したような反応を見せた。
・・・・・・
またしても教室が静まり返る。
俺はその空間に耐えきることができそうになかった。
「もういいか、俺は帰るぞ」
俺は自分の机の横に掛けてあったボロボロのバックを取ろうと歩き出した。
「あ、待って。言ったじゃん、時間あるでしょって」
「帰って練習だ」
「あら熱心。さっきまで死のうとしてた人が言う言葉には見えないけど」
「・・・・・・」
確かにその通りだ。このまま帰ったところでこの気分を引きずっていても多分練習にならない。
だが、それを気にされるのが癪に障る。
こちらの事情も知らないで勝手にことを勧めようとしてくるこの人が気に食わない。
「園田さん。とりあえず今日のことは見なかったことにしてほしい。じゃあ」
俺はバックを持って教室を出ようとした。
だが、俺の肩を彼女は掴んできた。それも思いっきり。
利き腕で壊れている右肩じゃなかったことが救いだ。
「待てって言ってるの。少しお話しようよ」
そういったこの所の顔は笑顔であったが、どこか怒りを感じさせるオーラのようなものが出ていた。
「は、はい・・・・・・」
そのオーラに俺は負けてしまい結局、教室に残ることになってしまった。
「とりあえずさあ、なんかあったわけ?言いたくはないと思うけど言えるところから吐いていけば、少しずつは楽になると思うよ」
「なんで俺の話を聞こうとしてくれるんだ?聞いた後に金でも取ろうってんじゃ・・・・・・まさか宗教勧誘とかじゃ!」
いくら何でも怪しすぎる。虐められ空気となり果てた俺の話を聞いてくれるだなんて何かこの話には裏がありそうで仕方ない。
「アハハ!警戒心強すぎだって!大丈夫、大丈夫!そんなことしないし、誰かに言いふらしたりもしない」
「本当か?」
「信じてほしい。私は誰かを裏切るようなことなんかしたくないの」
再び俺の目を見る真っすぐなほどの視線。
もしかしたら、この人は本物の真っすぐな人なのかもしれない。
「わかった。信じるよ。でもどこから話せばいいのか・・・・・・」
「さっきも言った通り、話したい事から話せばいいと思うよ。何なら、私に何か質問するところからでも!」
人の話を聞くどころか、自己開示までしようとしているのかこの人は!?
一体何のために・・・・・・
あ!そうじゃん!これが聞きたい事でもいいのかもしれない!
人と話さない期間が長すぎて自分が何を聞けばいいのかもわからなくなっていたんだ!
でも嫌な表情されたり、拒否されるのは怖い。
あの大人たちのように俺を怒鳴りつけてくるかもしれない・・・・・・
「大丈夫!」
俺が頭の中にうかんだ不安を払拭するかのような声。
「信用して、私を!あなたが言いたいことを試しに口にしてみて!」
思えば俺は園田さんのその一言ですべて救われた気がしたのだ。
吐き出してしまっていいのだろうか?
俺のこの思いを。関係のない人に。ましてや同級生の女の子に。
でも、言わないと・・・・・・吐かないと!
自分が壊れてしまいそうだ!
「・・・・・・キツイ。・・・・・・辛い。助けてほしい。俺は!・・・・・・もう何もしたくない!もう・・・・・・人を辞めてしまいたい。・・・・・・全部捨てて、楽になって・・・・・」
俺はこれ以上言葉にできなかった。
見る見るうちに俺の目が霞み、熱くなっていく。
久々に流した涙。もう最近は泣く気力さえ湧いてこなかったから。
「そっか。だからあそこにいたんだね・・・・・・」
俺は空いた顔を手で押さえながら首をたてに振った。
俺はその場で満足するまでずっと泣いた。
園田さんはその様子をずっと何も言わずに俺が落ち着くまで待っていてくれた。
「・・・・・・ありがとうすごく楽になった」
俺はとりあえず落ち着いてきたので園田さんにお礼を言った。
「いいの、いいの。私は何もしてないよ。未来君が自分から思いを吐き出しただけ。どう?
結構楽になるでしょ?」
「うん・・・・・・」
・・・・・・とても恥ずかしいことをしたかもしれない。
同級生の、しかも女の子の前で滅茶苦茶に泣いてしまったのだから。
少し顔が熱くなっていく感じがしたのはきっと気のせいではない。
「そろそろ部活陣が終わるころだからさっさと学校出よう!お互いに見られると多分面倒なことになっちゃうからさ!」
「そうだな・・・・・・」
まあそうだろう。俺なんかと園田さんが一緒に居たら間違いなく園田さんは男子や他の女子から何か言われてしまう。
それは俺だって例外ではない。きっとまた苛めが激化する。
俺と園田さんはひそひそと学校を出て、園田さんが近くの公園へ行こうといってくれたのでそこへ向かうことにした。
「どうここ?あんまり人どおりがないから他の人に見つかることないかも!」
そこは公園の中でも木が生い茂った場所だった。
夏はとても蚊や虫が多く、とてもじゃないが居られる場所ではない。
しかし今は三月、寒さこそあれどそういったやかましい虫はいない。
・・・・・・でもこんな人通りがない場所で女の子と二人っきり!
おまけにあんなに可愛い園田さんと!
一体今日の俺は何が起こているんだ!?
夢か!?夢なのか!?夢なんだな!?
俺は試しに頬をつねってみた。うん、痛い。紛れもない現実である。
「何、夢とでも思ったの?残念、現実だよ!」
満面の笑みで手を広げ何かをアピールしているかのようだった。
「フッ、アハハッ!」
どういった意図があってその行為に出たのかわからずつい笑ってしまう。
「あ、酷い!笑った!」
園田さんが少し機嫌を悪くしたような顔をした。
でもその顔は本気で嫌がっている顔ではなく、まるで友人にちょっかいをかけられたようなただのコミュニケーションの中で行われる表情だった。
「そうだ、聞きたいことがあるんだ。聞いてもいいかな?」
「うん、どうぞ」
「どうして俺なんかの話を聞こうとしてくれたんだ?園田さんに裏の意図がない事はわかってるけど、どうしてなの?」
俺はさっきどうしても心配で言い出せなかったことを思い切っていってみることにした。
きっと園田さんなら大丈夫。根拠こそないけど、俺は園田さんの『大丈夫』という言葉を信用してみることにした。
「お、聞いてくれたね~。そんなにアタシの事気になっちゃうのか~」
何故かすました顔になる園田さん。
「なんでその表情?」
「いや~男子に根掘り葉掘り聞かれちゃうのか~って思って。ましてや初めて喋る人に聞かれちゃうなんて~」
「いやだったか?」
うーん、女子の言うことはよくわからない。
「待って、待って!冗談、冗談!少し意地悪したくなっちゃっただけだから!」
次は少し焦ったかのような表情を浮かべる。
「そうだね・・・・・・何から話そうかな・・・・・・もう最初っからでもいいか。私さ、ほら可愛いし、金髪じゃん?」
急に自画自賛し始めた!確かにその通りだけど!
「うん、そうだね」
「あ、認めた。何々?私の事可愛いと思ってるの?」
「・・・・・・!」
「プフフ、可愛い。顔赤くなってる」
「マジか!」
無意識のうちに赤くなっていたのか!?
流石にこのシチュエーションでは仕方ないとは思う。
「アハハ!嘘、嘘。ごめんね、脱線しちゃって。じゃあさっきの続き。アタシって生まれつき金髪なの。他の人とは違ってとても目立つけど、アタシは両親がくれたこの髪の色が好きだったから全然気にしなかったの。でも、小学校に上がってからいろんな人にチヤホヤされ始めた。もともとそんなことには慣れていたし別に大したことはなかった。でもね、一部の女子からとてつもない嫉妬を受けることになっちゃったの」
「それって、もしかして・・・・・・」
「うん、アタシね、苛められた。髪を無理やり切られたり、ひっぱられたりね。ほら、ここ見て」
園田さんはそう言って俺の方へズイッと近づいてきた。
園田さんの長い髪が風に揺られフワッとする。シャンプーの臭いだろうか、とてもいい匂いがした。
近づいてきた園田さんは右側の髪を手で持ち上げて耳元を見せてきた。
「暗くて見えないかも・・・・・・だけど一応ね。耳の近くの首のところ、見えるかな?」
薄暗くて見えにくかったが、他の園田さんの綺麗な皮膚とは違う場所があった。鼻に入ってくるシャンプーの良い香りさえも忘れさせてしまうほどのもの。
それは、傷だった。それもかなり深い傷。
「見えた・・・・・・」
「うん、よかった。それね、髪を切られそうになった時に抵抗したら首元にハサミの刃が刺さっちゃってできたものなんだ。だから髪を長くしてるし、髪は今もお母さんに切ってもらってるの」
上を向いて園田さんが悲しそうな顔をする。
本当は園田さんだって好きに髪型を変えたいはずなのに、その傷のせいで・・・・・・
「そうだったんだ・・・・・・」
「そのあと、災害が起きてその子は亡くなっちゃったんだけど。ほら私たちが四年生の時に起きた大災害、覚えてる?」
「もちろんだよ。覚えてる」
何万人もの人が無くなった大地震。俺もその時は母親が仕事に行っていて、帰宅困難者になり、連絡もつかず停電で暗くなった部屋の中で一人余震に震えていた。
「そのあと、アタシがいた学校が再開したのは4年生の冬からだったの。しばらくはみんなおとなしかったけど、5年生辺りになってからやっぱりみんな思春期に入るのかな、アタシに告白してくる男子が多くなってきたの。
それに逆恨みした子たちが上履きを隠したりしてきて・・・・・・後は髪に墨汁をかけられたことがあったんだ。その日はたまたまお気に入りの服を着てて、その墨汁のせいで汚れちゃったの。いままでできる限り泣かないようにしてたんだけど、いろいろと我慢できなくなって遂に泣いちゃった。お母さんとお父さんがくれた大好きな自分の髪の色のせいで苛められて、お気に入りの服も汚されて、身体にも傷をつけられて・・・・・・でも、その時にあの子が来たの」
「あの子って?」
「うーん、知ってるかな、桜田千世って名前の可愛い女の子。うちのクラスの隣にいる」
「うん、まあ。もちろん話したことはないけど」
桜田千世。園田さんほどではないが学年の男子の中では話題に上がりやすい人だ。
男子との付き合いが一切なく、男子と話している姿をクラスの行事や班の作業以外で見られたことがないらしい。(クラスの男子の噂を時々盗み聞きしているので知っている。そんなことをしている理由はもしかしたら会話に入れる機会があるんじゃないかと期待していたからだ)
だけど、噂ではすでに男の人と一緒にいるのが目撃されてて、あれはお兄さんだ、いや彼氏だ論争が以前クラスの中で繰り広げられていた。
俺はクラスが同じになったことがないし、廊下ですれ違っていたとしても顔と名前が一致しないのでよくわからない。
「あの子とはクラスが小学一年生の頃から一緒で、時々話すぐらいだったの。とにかくおとなしい子で、私も昔はおとなしかったからあんまり話すことがなかったんだよね」
「え、園田さんが!?」
「なに、意外そうな声出して~。本当に昔はおとなしかったんだよ。それこそお人形とか言われたりして」
「そ、そうだったんだ」
意外過ぎる。今の園田さんのチャラさからは全然想像できない。
「そんなおとなしいチヨが何をしたかというとね、叩いたの。その子のことを。私に墨汁かけた子も虐めを放任してた先生もびっくり!アタシもその時はあのチヨがって唖然しちゃったよ。それに驚かされたのは叩いたチヨ本人もすごく泣いてて。人のために泣ける素敵な子だと思った。
そのあとにね、アタシに抱き着いてきたの。服に墨汁がついた私に。自分の服がどうなろうとお構いなしと言わんばかりに。『止められなくてごめんなさい』ってね。
そのあとたくさん話して、泣いて、スッキリしたら世界の見え方が一気に変わった。それに加えてその一件からアタシの苛めの隠蔽がようやく無くなってきて、アタシはよくチヨと遊ぶ機会が増えたの。
それである時、気になって聞いてみたの。『なんであの時、私を助けてくれたの?』って。そしたらチヨは『私も人の勇気と優しさに助けられた。私もあの人みたいなかっこいい人になりたい。それに前からずっと止めたかったけどようやく勇気をもって前に踏み出せた』って言ってさ。
本当におとなしいし子犬のような可愛い子だけど芯があって、アタシにとってずっとあの子は憧れなの。つまり、アタシが未来君にやってることはその子のただの真似事。だけど、未来君がさっき楽になったって言ってくれて本当によかったよ」
・・・・・・
「そう、だったんだ。話してくれてありがとう」
「いえいえ~。だけどこの話は他の人には内緒ね」
「うん、というか言いふらせるような人もいないからさ」
「ほら、悲しいこと言わないの」
だが事実である。
「でも、その・・・・・・桜田千世さん。すごくかっこいい人なんだね」
「うん、それは、それは!だけどめっちゃ可愛いの!コロッコロ表情は変わるし、純粋だし、もう照れ顔なんか最高で仕方ない!」
デレデレした顔をしている園田さん。そんなに魅力的な人なのか・・・・・・
「そういえば、その桜田千世さんが言ってた『あの人』って誰のことなんだろ?」
「あーそれか。まあ、あんまり詳しいことは言えないな・・・・・・だけどお兄さんのような人だよ」
良かったなクラスの男子ども、桜田千世さんと一緒にいる男の人はお兄さんである派の勝利だ!
「その人と、その人の保護者?がうちの小学校に乗り込んできて、教師を集めて私の苛めについて問い合わせたらしいの。その保護者の人は地元でも名の知れた人でね、その人たちのおかげで大人たちも動かざるを得なかったみたい」
「お、おう・・・・・・すごいな」
でも、普通会話にお兄さんだったら、お兄さんって断言するはず。
だけど、園田さんは『お兄さんみたいな人』とか、桜田千世さんだって『あの人』って言っているようだし・・・・・・
何か事情があるように見えたが、ここで問うのは明らかに愚問だろう。
此処に来てあの大人たちに鍛え上げられることになった『余計なことは言わない』スキルが役に立った。
「というわけなんだ。っともう結構暗くなっちゃったな~。ざーんねん。もう少し話を聞きたかったんだけど」
「暗くなると園田さんは危ないよ。ただでさえ可愛いから」
「・・・・・・そう言うことを素で言えちゃう人なのかな、君は」
どうしたのだろうか、ただただ心配しただけなのだが、園田さんが動揺したのか、俺がいる方向とは反対の方に顔を向けている。
「まあ、いいか。心配してくれてありがとう!私は大丈夫だから!じゃあさ、連絡先交換しようよ。またアタシは未来君と話したいな!」
「うん、でもいいの?彼氏さんに怒られたりしない?俺なんかと連絡先交換して」
「え?なんのこと?」
キョトンと何を言われてるのかわからないような表情をする園田さん。
「いないけど、アタシ、彼氏なんか」
「え!?いないの!?」
意外過ぎる!あんなに男子に好かれているのに!
いや、これもさっきと同じくからかわれているだけのはず!
「人生で一回もいないけど?」
いや、本当っぽいぞ!それにこの手のデリケートな話題で園田さんが嘘をつくようには思えない。
先ほどまでの重たい話が十分根拠だ。
「そ、そうだったんだ・・・・・・」
「な~に、嬉しいの?」
「いや、そんなことは!」
うん、なんといえば良いのやら・・・・・・よくわからないや。
「とりあえず、連絡先交換しよ!後、一ついいかな?」
「何かな?」
少し怒ったような目つきをして俺の方を見てきた。
「さっきから俺なんか、俺なんかって言ってるけどさ、もっと自分に自信もちなよ。俺なんかって思ってるとドンドン気分が落ちていくよ。もっと胸張って生きなきゃもったいないぞ!」
なんて大人な事を言う人なんだ、園田咲さん!
俺の周りの大人たちとは全然違う!14歳の少女が大人なんかよりも大人をしている。
いや、なんだよ。大人をしてるって。大人が動詞になってるって!
自分の脳内にツッコミを入れつつ、俺は園田さんと連絡先を交換して、家に帰っていった。
もう辺りは真っ暗だ。だけど俺の心はかつてないほど晴れ晴れとしていた。
その日は、俺は初めて練習を休むことにした。
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