Another butterfly ~映像の世紀 バタフライエフェクト補足エッセイ~

卯月響介

「零戦 その後の敗者の戦い」より~ 戦闘機が生んだ、もう一つの超特急

第1話 開発コード:SE

 日本海軍の主力戦闘機、ゼロ戦。

 このゼロ戦をはじめ、旧日本軍で戦闘機に携わった技術者たちは戦後、その技術を平和利用に生かし、国産旅客機YS-11や胃カメラ、新幹線を生み出した――。

 2023年1月23日に初放送された映像の世紀 バタフライエフェクト「零戦 その後の敗者の戦い」の大まかなあらすじである。


 今回は、新幹線開発につながる、もう一つのバタフライエフェクトを取り上げようと思います。

 実は新幹線と同じく、戦闘機の技術を生かして作られた超特急が、もう一つ存在しているのです。

 その列車は、今も形を変えて走り続けていますが、ひょっとしたら“超特急”のイメージは浮かんでこないかもしれません。

 しかし、この超特急が生み出すバタフライエフェクトは、その後の日本を走り抜ける、数多くの鉄道車両の運命を大きく変えることになったのです。


 それでは時計の針を、新幹線開発計画が持ち上がるすこし前に戻してみましょう――。


 ■

 

 第二次世界大戦後、1950年代。


 国鉄の鉄道技術研究所では、陸海軍で戦闘機の開発や設計に携わった、多くの技術者たちが再雇用され、日々研究を重ねていました。

 彼らが心血を注いでいた研究テーマのひとつが、高速鉄道。

 より速く安全に走る鉄道の研究は、戦闘機開発で培った技術を生かせる、絶好のテーマでした。

 彼らの中には、ゼロ戦の墜落事故研究を応用し、高速走行中の列車を脱線させる「蛇行動」という動きを突き止めた松平精まつだいら ただしや、爆撃機 銀河や特攻機 桜花の空力特性を応用して、0系新幹線の先頭部分を生み出した三木忠直みき ただなおの姿もありました。


 しかし、そんな彼らとは裏腹に、国鉄は高速鉄道の開発には消極的でした。

 1950年代、日本の鉄道は長距離を走る電車が登場してはいたものの、機関車が貨車や客車をけん引する方法が未だに主流で、事足りていたこと。

 そして、戦災復興などにより国鉄そのものに余裕がなかったのが原因だったのです。



 1954年10月。

 そんな鉄道技術研究所に、思わぬところから技術協力の依頼が舞い込みます。

 その相手とは、国鉄のライバル企業である関東の大手私鉄、小田急電鉄。

 戦前、鉄道省に勤めていた経歴を持つ小田急取締役 山本利三郎やまもと りさぶろうは、彼らにこう訴えました。


 「とても軽く、かつ安全に走ることができる、全く新しい電車を作りたい。 力を貸してくれないだろうか」


 敗戦後、東京と温泉地・箱根を直結する私鉄として、1948年に再スタートを切った小田急でしたが、路線のほとんどが国鉄(現JR)東海道線と並走していたこともあり、その旅客獲得競争は熾烈を極めていました。

 しかも、小田急の線路は戦時中の酷使でボロボロになっており、東京~小田原を国鉄は75分で駆け抜けたのに対し、小田急はなんと100分もかかっていたのです。


 そこで小田急は、新宿~小田原を60分で結び、かつ線路を傷めない超軽量の新型特急電車を開発。 活路を見出そうとしました。

 松平ら鉄道技術研究所の人々も、この千載一遇の機会を快く承諾。

 かくして、鉄道会社の垣根を超えた、未来の電車設計プロジェクトがスタートしました。


 全く新しい異次元の特急電車としてSE― スーパー・エクスプレスの開発コードを与えられた新型車両は、のちのデビューにおいて、とある愛称を与えられるのです。

 

 小田急ロマンスカー、と。


 〈第二話へ続く〉

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